世の中の大人皆こうだったりする?

責任に追われる毎日を送っている。
小学生の頃はよかった、好きな女子がバレても『そんな好きとか言った事ないよ』と声を大にして言えば言ったことにはならないのだから。
全く嫌になってしまう、
大人になった今の僕が仮に好意を持っている子へ溢れる想いをひとたび伝えてしまえばその先には結婚や仕事、人生と言った、重過ぎる責任と向き合う事になる。
僕らはいつの間にか言ったことを簡単に撤回することが出来ない環境に足を踏み入れてしまっていたのだ。。
僕は社会人になった(学生を卒業した)ことで
今後の自分の人生において、何をするにあたっても言葉や仕草・声のトーンに感情まで自分の行動、思想に全て責任を負わなければいけない環境に身を置くことになり、最近その事実に気付いてしまった。
これは僕にとってとても残酷なことであり、僕はこの目の前に立ちはだかる責任という大きな壁の前で幼稚園の年少組のように駄々をこね、向き合いたく無いとウジウジすることしか出来なくなってしまった(現在進行形)。
成人した22の男が駄々をこねる様な真似をしてしまったら幼稚園の年少組の良い子達に一斉に防犯ブザーを鳴らされ即座に逮捕されるだろう、
社会人(大人)になった僕はあらゆる責任と向き合いたく無くて仕方がない。
世の中の大人達はこんなにキモいものと向き合っているのかと思うと周りに居る大人皆んなが、誠実かつ真っ当な人生を歩んでいる気がしてきたし周りの大人達の生活が活き活きしている気がしてきた、目が眩んできた気もする。
責任を様々な箇所で取り続ける世の中は真っ当で誠実過ぎるあまり、この現実から逃避したくて堪らないのだ。

僕は21まで駄々をこね続けた。大学を卒業するまで責任と向き合うことしなかった。責任とは誓約と制約であり、それを守れば信頼と言うものを勝ち取れる。だが"信頼"は1つでもミスをしてしまうと崩れ落ちるものでもあり、"信頼"と言うものを僕は信じられなかった、中途半端であれば余計何も手に入れられない事を知っていたからだ、責任も持たず楽しそうな事ばかりをしてきた僕の前に大きく立ちはだかるこの責任という名の壁と向き合うのは少しキツ過ぎる、楽をさせてくれよ

僕が大人になり切るために、この責任と信頼という課題に向き合いそれらを持ち合わせる人生を選び進めるのかどうかが今後の僕の人生の大きな舵になるのかもなとふと書きながら感じた

ひどく誠実で真面目な世の中に怯えた僕はこうして必死に駄々をこね大人になりたくないと喚いている
早く真っ当な大人になってこんな気持ちがなくなるといいな。

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