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軍用馬として徴発された馬の末路
動物とお話できるドリトル先生シリーズの作者ロフティングの執筆のきっかけは第一次世界大戦でボランティア兵で従軍している際に負傷した軍用馬が治療も受けられないまま銃殺されていることでした。そこで軍馬について書いてみました。
第一次世界大戦の徴発馬
ロフテイングのいうとおり戦争が国家総力戦となった第一次世界大戦において、自動車がまだ普及していなかったため、軍隊の移動に必要な膨大な数の馬が徴発されており、悲劇的最後を遂げました。
第一次欧州大戦参戦国の徴発馬の数だ。イギリス、フランスは平時保管馬の7倍。ドイツ、オーストリアは8倍。イギリスは戦地へ150万頭。フランスは180万頭。ロシア、ドイツは各120万頭。オーストリアは70万頭。ロシアを除く各国は馬を輸入した。その数はイギリスは130万頭。フランスは80万頭だ。
「馬たちの悲劇は終わらなかった。終戦時にイギリス軍が所有していた75万頭の馬の大半は、農耕馬としてフランスの農家に売られたり、食料にされたりしたのだ。故郷イギリスに戻った馬は10万頭に満たなかった」
「この戦いで英軍は百万頭の軍馬を投入したという。戦争直前、英陸軍で所有していた馬は2万6千頭ほどだったが、対戦勃発後、僅か2週間で英国内から14万頭の馬を集めている。何処の農家に馬が何頭いるか情報を得ていた警察の購入官の働きが大きかったそうだ。所有していた4頭のうち、3頭まで徴用させられた農家もあった。」
「軍馬の死因の大半は戦死ではなく、疲労や病気、気候の変化によるものだったそうな。特に西部戦線での泥とぬかるみは兵士も馬も苦しめられる。不衛生な環境で馬にはダニがつき、それが他の馬に感染する。抗生物質のない時代、消毒薬で洗うほかなかった。
ドイツ軍が撒いた鉄びしに傷付く馬も多かった。踏むと蹄内部に泥も深く入り込み、そうなれば洗っても泥は落ちないそうだ。感染症に罹り蹄をやられた馬は立てなくなり射殺された。兵士が射殺を実行する苦悩は想像に余りある。」
「英軍の勝利に貢献した馬たちだが、戦後軍が所有していた馬の中でも若く健康な2万5千頭は本国に送られたが、8万5千頭は処分されたという。屠殺後解体され、肉や皮、骨まで売られ戦費に充てられた。50万頭はフランスやベルギーの農家に売られたという。馬は本来の農耕馬に戻ったのだ。軍以外で所有していた6万頭の馬も無事に帰国できた。人間だけでなく馬の犠牲も途方もなかったの」
https://web.archive.org/web/20120918225610/http://blog.goo.ne.jp:80/mugi411/e/d8139f7aaa3bbaad40e0b4c2583d8332
太平洋戦争に徴発された馬
日本においても太平洋戦争時に多数の徴発馬が中国など海外に送られました。
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札幌発いろいろ。。。
旧日本軍では支那事変勃発から敗戦までの間に60万~70万頭(敗戦に伴う軍の関係書類焼却により正確な頭数は不明)の馬が使われその内、24万頭余りが大陸に動員された。
徴発された馬の末路
太平洋戦争に従軍した馬たちは多くが病死しました。また敗戦となった際に戦勝軍により射殺されています。中国軍に引き渡しされてもいました。
「中国軍は日本軍馬を接収。自軍の馬として「再雇用」しています」
昭和20年ビルマ(現在のミャンマー)のアンダマン島において,長く辛かった戦争を乗り切りやっと平和を迎えるという頃,進駐して来た英軍に148頭の軍馬が一斉に銃殺され同時に土中深く埋められた
支那事変(日中戦争)から大東亜戦争そして,昭和20年8月15日敗戦までの間,軍役に服した軍馬は100万頭ともいわれている.敗戦により残された馬は,現地で戦勝国に引渡された.その中で第37師団はタイ国で敗戦となり,英軍に約3,100頭の軍馬を引渡した.そして,英軍によって全頭銃殺された.
竹澤哲男
http://nichiju.lin.gr.jp/mag/05803/06_12.htm
8月15日頃には全島に生き残った馬はほとんどいなかったという.約一年前中国大陸を出港した1,300頭の軍馬は(送り返された300頭を除いて)何をする訳でもなく全滅するに至った.海中に没した馬,餓死した馬,環境の変化に適応できず衰弱死した馬,空襲・艦砲射撃により爆死した馬,機銃掃射にて戦死した馬,事故死・病死した馬,まるで死ぬためにこの島にやって来たかのようである.
60年前のハルマヘラ島での惨事
(「或る陸軍獣医官の記録」から)
森 徹士
http://nichiju.lin.gr.jp/mag/05811/06_10.htm
内地の軍馬は払い下げられた
内地にいた軍馬は150円ほどで払い下げられました。屠畜され馬肉とされた軍馬もいたもようです。そうやって多くの馬は消えていきました。
沖縄戦下の軍馬たち 名城大学経済学部 大 瀧 真 俊
https://wwwbiz.meijo-u.ac.jp/SEBM/kaihou/no85/01_P1.pdf
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