日本の戦前までの私的制裁
日本ではかつて、伝統的に公な体罰が禁止されていたけれど、近代になって、私的制裁が蔓延していました。
公的教育に体罰がある西洋と体罰はない日本
西洋の教育と日本の寺子屋の違い
江戸時代と同じころヨーロッパで行われていた教育は、少人数の恵まれた家庭の子供たちを対象にした教育でしたが、先生は、ムチを持ちながら勉強を教えるというスタイルでした。それに対して、日本の江戸時代の寺子屋教育は、庶民から武士までさまざまな階層の子供たちが楽しくいたずらをしながら勉強をするという雰囲気でした
欧米学校体罰史研究 : その概観と批判
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/31544
日本では伝統的に公的教育に体罰はなかった
「江戸時代以前にあって体罰否定論者はおそらく最澄と道元だろうということである。
江戸時代の初めごろから体罰が忌まれるようになった。
なんと水戸黄門様も体罰反対をはっきり表明しているそうだ。
闇斎、素行、藤樹、蕃山といった儒学者や心学者も体罰を否定している」
「折檻することは、親子の感情を損ね、子どもの性格を表裏あるものにするとして否定的だった。
18世紀後半になると、青陵、大塩平八郎などの体罰肯定論が出てくる。
明治初年に出た『日本教育史資料』によれば、体罰規定のある藩校と郷校は維新期に存在した270藩のうち6校である。
しかも、このうち数藩については明治になってからの規定の可能性があるという。
体罰が否定されるということは現実には体罰が行われていたからであり、藩校に体罰規定がないから体罰がなされなかったわけではない。
薩摩藩、熊本藩、会津藩では、青少年自治組織では「粗暴・残酷な罰(大体集団的リンチがある)」が行われていたが、「一般的傾向とは言えない」と江森一郎氏は言う。
また、寺子屋でも体罰はあまりなされていないそうだ。
「江戸の寺子屋では一般的には体罰に対してきわめて慎重であり、羞恥心に訴えたり、恐怖心を適度に利用したりすること自体が主だったと考えるべきである」
日本に来た外国人の多くは、日本では子どもに対する体罰がほとんど行われていないことを書き記している。」
明治以降の学校教育における体罰の禁止
もちろん禁止しても私的制裁する教師はいました。
明治民法の親の懲戒権
明治の民法制定の際に親の懲戒権が規定され、親による制裁が許容されました。
親の懲戒権 : 明治民法編纂過程における体罰正当化の過程https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/39678
日本軍
日本陸軍は体罰禁止だった。
日本海軍の体罰
日本で公的に認められた体罰は海軍だけのようです。
日本陸軍の私的制裁
日本の陸軍では私的制裁が蔓延しました。
「こうした内務管理体制からのわずかな逸脱過失が内務班での二年兵による私的制裁の口実になった」…私的制裁…『内務教育の参考』では内務班の統合性を乱すものとして厳しく禁じられ…ていたが二年兵は前年に殴られた意趣返しに次の年に初年兵に暴力を振るうなど私的暴力が止むことはなかった
— 石部統久 (@mototchen) September 29, 2015
@mototchen
— 石部統久 (@mototchen) September 29, 2015
前記述
荒川(2006:129‑130)は、山崎慶一郎(陸軍大尉)編著による昭和9(1934)年版の『内務教育の参考』をもとに「内務班の日常」
経済人の軍国体験:教育機関としての軍隊
片瀬 一男)http://t.co/G3iySM7Tze
陸軍士官学校での私的制裁の禁止
私的制裁を禁止した事例です。
陸軍士官学校では私的制裁(グーパン)はあったのか?という疑問に対して、あるという描写と、ほぼ無かったという記述の両方があって謎だったが、たぶんこの「殿下に一発お見舞い申し上げる」事件がターニングポイントなのだろう…w pic.twitter.com/P6DjOHX9qH
— 熊谷杯人☆巻きシッポ帝国 (@kumagaihaito) October 6, 2015
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