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笑点の歴史と勢力変化のまとめ

笑点という番組について知っている人は多いと思いますが、その詳細は意外と知られていないので簡単にまとめておくと

・1966年から続く長寿番組


 2023年の今から見ると「大昔だな」と感じますが、開始当時は「若手落語家」が活躍する番組だったこともあり、「立川談志」「林家こん平」「五代目三遊亭圓楽」など2023年現在でも名前が挙がる大御所が初期メンバーとして在籍していました。
 長寿番組でありながら今なお二期メンバー(初期メンバーの次の世代)ぐらいが活躍しているので、初期からの強い繋がりが残っているのも特徴。昨今のバラエティのように気付いたら内容が変わっているということはありません。
 開始時期についてスポーツで考えてみると、1966年の相撲は大鵬、柏戸が横綱、プロ野球では王、長嶋が活躍していた…。と考えるといかに長い期間存続してきたかが解ります。

・題名はパロディ


 1966年当時大ヒットしていた三浦綾子の小説をもとにした映画「氷点」をもじって「笑点」と名付けられました。「氷点」は名作で2001年と2006年にもドラマ化されていますがそれでさえ既に20年ぐらい前になるので20代の方は解らないでしょうね…。
 パロディの題名が60年近く残っているというのも面白いなと思います。

・有名な座布団を得るコーナーは「大喜利」


 笑点と言えば「座布団持ってきて」「座布団取っちゃって」というイメージが強く番組内のメインですが、これは「大喜利」という番組内の1コーナー。もう一つのコーナーは「演芸」と言い漫才協会所属の芸人を中心に出演しています。

笑点に参加している落語家の所属

さて、そんな笑点は「落語家が出ている」というイメージがありますが、落語家の所属組織は実はバラバラ

1.落語協会
1923年に設立された東京の落語家の大元となる組織
現在の会長は柳亭市馬
笑点に関係のある落語家としては
相談役:林家木久扇
副会長:林家正蔵 (林家三平の実兄)
常任理事:林家たい平
真打:春風亭一之輔

2.落語芸術協会
1930年に「日本芸術協会」として設立
現在の会長は春風亭昇太
笑点に関係のある落語家としては
相談役:三遊亭遊三
真打:桂宮治

3.五代目円楽一門会
1978年に六代目三遊亭圓生が一門で落語協会を脱退したのが始まり。
当の六代目三遊亭圓生は1979年に死去し、脱退した大半の落語家が落語協会に復帰する中、六代目三遊亭圓生に跡取りとして指名されていた五代目三遊亭円楽は復帰せず独立した団体のまま活動を続ける。
大日本落語すみれ会、落語円楽党、落語ベアーズ、五代目円楽一門会と改称しつつ現在も存続。
五代目三遊亭円楽の死後は六代目三遊亭円楽が会長となり、落語芸術協会への合流(被吸収合併)を模索しており、円楽自身は落語芸術協会の定席に出るなどしていたが一門での合流は実現せぬまま死去。
現在の会長は三遊亭圓橘
笑点に関係のある落語家としては
顧問:三遊亭好楽

4.落語立川流
1983年に立川談志が一門で落語協会を脱退したのが始まり。
2011年に立川談志が死去してからは土橋亭里う馬が代表。
笑点とのかかわりとしては、立川談志が大喜利の初代司会であり現在の大喜利の形を確立した。
談志以降に笑点出演者はいないが、笑点での真打披露口上に立川流の新真打も登壇するなど現在では良好な関係。

東京の落語は以上の4団体がメイン
(一応書いておくと、関西の落語は上方落語。またいずれの団体にも所属しないフリーの落語家も存在する)

では、それぞれの団体が笑点においてどれぐらいの席数を占めているか

笑点の勢力変化まとめ

笑点はメンバーの入れ替えが比較的少ない番組であり、特に1988年に桂才賀が抜けた以降は長く固定メンバーが続いていた。そのメンバーが以下の通り()内は出演期間、一部メンバーは一旦メンバーから抜けて復活している

・長らく固定メンバーであった大喜利メンバー
司会:五代目三遊亭円楽(1984-2006) 円楽一門
三遊亭小遊三(1983-現在) 落語芸術協会
三遊亭好楽(1988-現在) 円楽一門
林家木久蔵(1971-現在:木久扇) 落語協会
桂歌丸(1970-2016) 落語芸術協会
三遊亭楽太郎(1977-2022) 円楽一門
林家こん平(1972-2004) 落語協会
座布団運び:山田隆夫(1984-現在)  一応落語協会に弟子入りしているが前座にさえなっていない様子

1988年から2004年まで、実に16年間このメンバーで固定であった。
司会が円楽一門の代表:五代目三遊亭圓楽であったこともあり、7名のメンバーのうち3名が円楽一門、残る4名を落語協会と落語芸術協会が2名ずつ分け合う形。

その後、2004年以降は僅かではあるがメンバーや勢力図に変化が見える。
2004年 林家こん平 落語協会 → 林家たい平 落語協会 
2006年 五代目三遊亭円楽 円楽一門 → 春風亭昇太 落語芸術協会
2016年 桂歌丸 落語芸術協会 → 林家三平 落語協会
2022年 六代目三遊亭円楽 円楽一門 → 桂宮治 落語芸術協会
2023年 林家三平 落語協会 → 春風亭一之輔 落語協会

2023年現在、円楽一門は1名まで減少、残る6名を落語協会と落語芸術協会が3名ずつ分け合う形となっている。

また、そもそもとして所属団体同士の関係性も変化している。
笑点開始は1966年であるが、上記のように1978年に圓生一門(後の円楽一門)が、1983年に立川談志一門が落語協会から抜け、当時の協会上層部はギスギスしていた。

現在は40年ほど経ち当時のことを知る人も少なくなると同時に、笑点出演者がそれぞれの協会の重役に就いている状況であり、円楽一門は落語芸術協会への合流を模索(後述)、立川流も笑点内にて真打披露口上をするなど東京の落語会の関係性は良くなっている。

・円楽一門の落語芸術協会への合流

前述の通り、六代目三遊亭圓生が落語協会から脱退したもののすぐに逝去。
その後を五代目三遊亭円楽(長らく笑点の司会をしていた「馬面」の相性で呼ばれる落語家)が引き継ぎ、さらに六代目三遊亭円楽(楽太郎、笑点では「腹黒」の相性)が引き継いだ。

この辺りから円楽一門は定席を持たないことなどから落語芸術協会への合流を模索。その大元としては落語芸術協会の会長(当時)である桂歌丸と、六代目三遊亭円楽(楽太郎)が長年笑点で共演していたことが礎となっている。

元々は2010年に楽太郎が六代目三遊亭円楽襲名披露をする際、定席を持たない円楽一門であるにもかかわらず、桂歌丸会長の尽力によって定席にて披露を実施したことがある。

結局、落語芸術協会の反対により円楽一門の合流は実現しなかったが、2017年には六代目三遊亭円楽が単独で客員として落語芸術協会の定席に出演できるようになった。

これが第一歩となり合流への道を模索しようとする道半ばの2018年に桂歌丸が逝去した。それと前後して六代目三遊亭円楽は桂歌丸を「人間国宝認定(実現すれば落語家として4人目)」にする運動をしていたが実現せず、現在では「笑点の永世名誉司会」になっているのも六代目三遊亭円楽の尽力によるものと思われる。

このこと自体を否定するものではないが、笑点の司会と言えば23年間司会を務めた五代目三遊亭円楽の方が第一人者であり、10年しか司会を務めていない桂歌丸はやや劣るような気もする。桂歌丸の出演期間を考えれば「永世名誉大喜利出演者」であれば文句なしであるが…。
しかし、これも恐らくは六代目三遊亭円楽の立場としては自分の師匠である五代目三遊亭円楽を「永世」に推すのは身内贔屓になってしまう。
協会が違うからこそ、推薦できたのだろう。

また桂歌丸逝去後も落語芸術協会の会長は三遊亭小遊三が代行、後に春風亭昇太が会長就任と笑点メンバーが会長になっており円楽一門合流の可能性は完全に消滅はしていなかったが、2022年に六代目三遊亭円楽も逝去してしまい同行が不明となっている。

(一旦完結、誤りがあればコメント欄にお願いしたい)



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