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詩の紹介(2017年4月12日)

球根  塔和子

埋められた球根は

土と水と太陽にいざなわれて

のっぴきならないばくはつを遂げる

私はいま

私をとりまいている

土の手ざわり

水の手ざわり

陽のてざわりをたしかめたしかめ

土の中にある球根

全部をかけて

花になるのを息をひそめて待つもの

どんなに

気をもんでももまなくても

来るだろうその日

私は

うまく咲くことが出来るか出来ないか

いらざる知恵にさいなまれ

いじくりすぎる

まがった球根

塔和子「記憶の川」より

塔和子は元ハンセン病の詩人(1929年 ‐2013年)

当時日本は先進国入りをするために、路上生活者やハンセン病者を一掃。

全国のハンセン病者を強制的に終身隔離し、その政策を正当化するために、意図して強烈な差別を国民に植え付けた。

ハンセン病が感染力もほとんどなく、薬で治る病気だと知りながら、何十年と隔離政策は続いた。

断種や隔離部屋、ハンセン病者をこの世から消すという、非人間的な環境。人権侵害。

親族への差別を恐れ、死んだことになっている人達も多い。自殺においては言うまでもない(療養所で名前さえもない骨壺をたくさん見た。僕が訪問した当時500人以上が住んでいた療養所は、誰一人いないかのように静かだった。その静けさは忘れられない)

和子も13歳で家族と離れ、施設で生活した。

療養所に送る時、父が一緒に身投げしようかと言ったそうだ。同じ父として身を切られる思いがする。

小泉首相が控訴を断念し、元患者ら原告が全面勝訴したあの歴史的国賠訴訟の時、「私は興味ない」と言ったそうだ。

彼女の詩を読んでいると、その事に頷ける。

彼女は命をとことんまで見つめたのではないか。過酷な環境にいながらも、それでも湧き上がる感情、自分という人間の奥の奥、悲しみの奥の奥、その中に「真理」を掴もうとした。言葉によって掴もうとした。

そして、そのことによって彼女は生きのびたのではないかと思う。

1人の闘いだったし、1人の喜びだった。しかしそれは繋がりの拒否ではなく、魂の繋がりの希求だったのではないか。

自分の外ではなく、中に中に。

社会ではなく、真理に真理に向いた。

だからではないかと思える。

球根。好きな詩。

僕もまたいじくりすぎて曲がっている。

土の手ざわり、水の手ざわり、陽のてざわりを感じていればいい。

所詮ぼくらは、のっぴきならない爆発によって、生かされているにすぎない。

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