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生育歴①

自分の生育歴を振り返っていこうと思います。
長くなりそうなのでいくつかにわけて…

幼稚園時代

母はいわゆる寿退社をし専業主婦だったため、私は保育園ではなく幼稚園に通ってました。
この時代は今までの人生で一番わがままに過ごしていたかもしれません笑 好き嫌いが激しく、給食が嫌すぎて毎日泣きながら行ってました。
妹もまだ生まれていない〜赤ちゃんだったので、何も考えてません。
この頃は父も若く貧乏暮らしだったはずなのに、ピアノやスイミング、公文等々習い事は色々させてもらってました。色々な経験をさせてもらえたことに感謝しています。

小学生時代(低〜中学年)

転勤族だったので色々な公立小学校に通いました。
低学年の頃は、妹の療育について行って一緒に遊んでいた記憶があります。
中学年の頃から、妹が同じ小学校に入ってきました(今の特別支援学級)。この頃くらいから、妹のことを気にするようになった気がします。特別支援学級に妹がいるという他のきょうだいとは違う環境、妹の奇異な行動に対する周りの目、登校班に親がいる恥ずかしさ等々、もやもやと考えることはありました。このもやもやについて、親には一度も話したことはないと思います。全部飲み込んで、自分気持ちを表出することが苦手な子どもでした。これは今でも苦手です(きょうだい児・者あるあるではないでしょうか?)。
妹と二人でいる時、知らない人からヒソヒソ笑われて嫌だったこと・登校班に母がいるのが気恥ずかしくて友達との話の内容を聞かれたくなかったこと等々、本当は当時素直に話せたら良かったなと思います。でもこれが私にとっての「普通」「日常」「当たり前」のことで、話したところで変えられない現実、母を傷つけるんじゃないかと無意識下で思っていた気がします。
この頃、母は妊娠しました。母から話があった時はすでに中絶を決めた上での話で、まだ子どもだった私は悲しんで泣きました。今の私は母の決断を理解できます。

小学生時代(高学年)

この時代にも転校したのですが、ある小学校に転校した時のことを今でも覚えています。転校生は全校生徒の前で挨拶するみたいな慣習があり、妹と共に挨拶させられました。転校早々、全校生徒にきょうだい児であることを知られるなんて苦痛でしかなかったです。
幸いこのことでいじめられるとかはありませんでしたが、当時はきょうだい児の気持ちなんて何も考えられていなかったと思います。

このくらいの時期、たまに妹と二人で家で留守番することがあったのですが、そのタイミングでよく脱走されました。当時の妹は多動が強かった気がします。脱走の仕方も、部屋の窓から出て屋根をつたって降りたりとなかなかすごかったです。だいたい母が帰ってくるまでいないことに気が付いてなかったので、ちゃんと見てない私も悪かったのですが、両親から怒られたことはなかったです。この時怒られていたら「妹のせいで」となっていたかもしれません。

小学生時代(全年を通じて)

小学生の時は同じ学校に妹がいたので、自分の友人たちにも妹のことは知られていました。既に知られているので、家で遊んだりするにもいちいちカミングアウトの必要がなく気楽でした。
小学校生時代の友人は、今も何の気負いもせず話せる大切な人たちです。会話の中で妹の話題が出てありのままを話しても、特別な反応はありません。普通の姉妹の話として聞いてくれます。
小学生時代にいじめられたり、友人たちから変な目で見られなかったことが良い環境だったなと思います。もしもいじめられるような環境だったら、いじめる人たちではなく妹や両親を恨んでしまったかもしれません。たまたま、運良く環境に恵まれただけだと思います。知らない人からは変な目で見られたり、あからさまに避けられたり、馬鹿にされるような言葉を浴びせられたこともあります。知らない人だから嫌な気持ちになりつつも無視できましたが、これが学校という狭いコミュニティの中であったら子どもの自分には耐えられなかったと思います。
友人たちに感謝!!

②へ続く

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