人生録1 人間の探索

私がもっともすきな遊びは「ごっこ遊び」だった。つまり「なりきりキッズ」だった。幼稚園の「新撰組ごっこ」で刀と衣装を作り、マグロ漁師として卒園。小学校低学年では「風林火山ごっこ」で山本勘助を、「天地人ごっこ」では上杉謙信を演じ、サトウキビや掃除の放棄の棒で小道具を、ヤシの木のふもとを城にした。(ちなみにこの時櫻井は真田幸村を演じている)家庭では弟との「恐竜学校ごっこ」で30種類以上の恐竜の赤ちゃんの役を演じ、弟を校長に任命。小道具を作ったり、運動会の音楽を作ったり、振り付けを考えたりして過ごした。そのことから家の中では大抵四足歩行であった。その後に発足した「ムシムシ学校」ではティティウスシロカブトの「ちゅうすくん」の役が私にはまり、(このことについてはまた後日)それ以来20前後まで昆虫として実家で過ごした。(反抗期には壁に穴を掘って「巣」を作った)このようなことから、私は「私自身」の感情がほとんどわからないまま大人になった。(そしてこれは一般に舞台俳優に向いていそうなプロフィールだが大学で勉強を進めてどちらかというと演出側か、セルフプロデュース向きだと感じている。頑固だし。)

ところで、私の長所は「恥知らず」だ。恥の感情はあるのだが、それよりも快感が優先され、今では後悔もあまりない。(10代前半に異性に目覚めたときは一度恥じたこともあったが20超えた今ではアホらしい)私は自分の「人生を成功させる」よりも、多様な世界を経験し、様々なキャラクターを解放したまま生きることに充実を感じてそれを実践している。そして自分のメンタルを多少削っても、多くの洞察が得られることにやりがいや貢献意識を感じている。(最近はやりのMBTIではENTP-Aだ。私は小賢しいが打算的なのではなく単に子どものような好奇心でいろいろやってみたくていたずらを仕掛けているだけ)だからか学校などでよくある「キャラ」を演じることに何の苦も無かったが、飽きてはリセットして今日から「新生モトーカだ!」と言ってクラスの中心人物にキモガられ、キモガられると余計にやって、(内心は少し傷ついている)お前らのキャパはそんなものなのか、つまらないなと思っていた。さあ、10代の頃に躊躇いがあったのは単純に「モテたかった」からというのと歌とダンスを仕事にしたかったために人々からの人気取りに再現性を持たせたかったからというのがある。(2度ほどスターのような扱いを受けたことがあるのでそれでこのボウズは味を占めたのだ!しかし今ではこれらの相互関係を全く誤解していたことに気付いている)
 それで15歳前後の演出はそれこそ「ワンポイントカラー」というか、老若男女に割と受け入れられやすいジャ〇ーズ風の風貌で運動部に所属しながら特定の好きなことは一方的に話すASD、時々おやじギャグ、そして一人で舞台に出て踊り、厨二的な折り紙を折る、という見えない落とし穴のようなキャラクターだ。銀〇とか斉木〇〇雄のψ〇に出てきそうなキャラ。手探りせずに自分の理想を雑に合体させたために計算がほとんどなかったが、それも見込みで「飾らなさ、ぬけっぽさ」とみなされると思い、放置していた。このころ学校にあまり行かなくなり、発達検査を受けて医師にASD傾向のあるADHDと診断された。そして診断されたとき「よし、思い通りだ。これは使える」と内心思った。なぜならそこが学校生活を送るうえで厄介だったからだ。「それさえなければお前は何でもできるのに勿体ない」と言われていた部分でもあったし、芸能界への進出においても厄介だった。(しかし後年それ以外にも厄介な部分が多いことに気付く)つまりこれを公言してチャラにしてもらえればいいのではないか?ポケモンの努力値のようにできるところにだけ努力値を全振りすればいいのではないか?と即座に判断した。そしてそれは「素直さ」として周囲に受け入れられ、瞬く間に人気者になった。売名成功ダダダッダ!



 そして高校に入学した。ある程度偏差値が高く私立お金持ちの子女が多い学園だったので皆勉強や稽古事に忙しく、いい意味で人に無関心というか、大人しく、平和でナイーブな子が多かったので中学よりもいくらか過ごしやすかった。しかし何よりもこの時期に負の意味において最も疑問に思っていたのは「どうして多くの人は人の不誠実や不注意、言動の矛盾を指摘しようと思うのか?」ということだった。ツイッターやヤフーニュースの掲示板、人々の話題を聞いていてもうわさ話や野次、批評家ごっこに花を咲かせている。私ならそんな暇があったら自分のやりたいことや人生の目標に労力を費やすのに。何事かをなそうものなら、人生はあまりに短い。人の悪口なんか言っていると心がおブスになっちゃうわ。そんな生活を続けていたら老後の健康に悪いワ。世界が平和にならないワ!単純にそう思っていたため正直くだらないと思ってバカにしていた。社会的悪はもっと違うところにあるというのにどうしてそれと向き合わずに、触れずに、率直に皮肉を交えて楽しんで議論せずに、仲間内で誰が好きだの、誰は身勝手だの、ご機嫌取りと忖度をしているのか。(まあとはいえ、人間関係が「気晴らし」だった私はそこで健全な残酷性のユーモアを言って笑ってもらえるのもバラエティみたいで素直に楽しかったが。)しかし一人になったときには「青春」は疾風怒濤ではなく白昼夢なのか、ほんとうにそれでいいのか!?と。それが気取っているように周りから見えたのか、一部からは近づきがたいと思われていたそう(どこが?)また男子からは、「あいつ調子乗ってんな」といった印象もあったらしく、また一部では盲目的にアイドル視されていたという話も聞いたが兎に角「癖が強い、謎キャラ」のポジションを得ていた。つまり学校に気まぐれで登校する僕のことをあれこれ推察しても、どんな暮らしをしているかは僕に聞かないと分からないというような印象。誰かと密接な関係を持つこともなく、風のうわさを聞いては話を面白く料理してありがたがられる、そんな得な立ち位置。文章にするとかなり悪徳だが、最初にも述べた通り、私はただ私にある権利を行使してピアノやダンスの下地作りに青春を費やし、誰かを攻撃することもなく、何なら得意なことで人のサポートをしようと、あわよくば世界に名をとどろかせようと、また苦手な部分がバレて親切にしてくれる人を悲しませまいと思っていた。つまり「苦手な部分をわかりにくくし、得意なことで貢献し、自らの道に全力投球する」という方針だ。しかし何度も言うようだが私はこれをカッコつけて真剣に打算的にやっているのではなく、半分ウケ狙いで、というか自分で興奮するから、自分で自分にウケるからやっていた。だってピアノが楽しすぎるんだもの。周りが好きな人がどうだとかなんちゃら関チャラしてる横で不器用なオタクのふりをしてその何十倍の悦楽に浸るって背徳的快楽以外の何物でもない!一人が最も興奮を覚えられる。僕はオナニーの数十倍に匹敵する快楽をこの時覚えてしまったのだ!




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