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アニメと実写の合成がブーム?

最近、アニメと実写を合成した演出が増えている気がする。例えば、今期のアニメでいえば、『小市民シリーズ』と『負けヒロインが多すぎる!』のED。

前者は『さらざんまい』のEDを担当していた田島太雄が手がけたもので、実写の風景をベースに、アニメキャラがそこに存在しているかのように演出されている。

一時期ロシアで流行っていたアニメキャラを現実世界に馴染ませるコラージュを思わせる手法だ。

後者は、8mmフィルムやセル画の質感と実写コマ撮りを組み合わせており、懐メロのカバーということもあってか『彼氏彼女の事情』っぽい。

両者は岐阜や豊橋といった地方都市の持つノスタルジー性を引き出すために、こうした表現を用いており、その試みは成功していると思うのだが、いまいち安牌な印象もある。近い表現でも『変人のサラダボウル』のOPの方がインパクトは大きい。

こちらも岐阜が舞台だが、フィギュアを実景に合成したデジラマっぽい見せ方。チョコレートを川に流し込むなど、虚構が現実を侵食するようなイメージが面白い。

アニメキャラが突然現実世界に現れたような作品だと、『七つの大罪』のゲームのCMも記憶に新しい。

こちらは巨人族の少女ディアンヌが東京都心に現れたというシチュエーションだ。

アニメと実写の合成自体は、別段新しい手法ではない。『ロジャー・ラビット』や『あっぱれさんま大先生』のわしゃガエル、『ルーニー・テューンズ バックインアクション』など、そうした表現は古くから存在した。

ただ、これらは現実世界にアニメのキャラクターが出てくるおかしさを楽しむもので、虚構と現実の境目を意識した上でのドタバタだったと思う。

対して、最近のものは虚構と現実がシームレス化している(『トムとジェリー』の実写版は『ロジャー・ラビット』の系譜に連なっていたが)。

シームレス化は、技術的な進歩によるものが大きいのだろうが、『ロジャー・ラビット』が世に出た頃より、現実世界が虚構で溢れていることが当たり前なってきた側面もあるのではないか。

このポカリスエットのCMは、まさにイメージがリアルに満ちた世界をあけすけ描いている。AR表象のゴテゴテしたダサさといい、広告配信にAR空間を掌握されたディストピアっぽいが、物語が路地裏に迷い込むところから始まっており、こちらもノスタルジーを演出する意図を感じた。

aespa 'Hot Mess' のMVは、実写をアニメ的に撮影している。日本デビュー曲らしく、ガンダム、セーラームーン、攻殻機動隊、エヴァなどのアニメから、ギャル雑誌のタイポグラフィまで、幅広くオマージュしているのも観ていて楽しい。

NewJeansのOMG然り、アイドルという虚構と現実の境界が曖昧なメディアでその揺らぎを描くのは、今やK-POPの専売特許のようになっている印象だが、日本のアイドルのCMにも良いものはある。

ソフトバンクのウェブCM、神ジューデンガールでは、アニメ顔とも評される乃木坂46の池田瑛紗と存在が不条理系ギャグマンガな真空ジェシカ川北という、それぞれ別ベクトルでアニメ的な二人のキャラクターが、和製カートゥーンとシンクロしている。

実写とアニメが入り乱れるだけでなく、ゲームのポリゴン風だったり、スマホの広告ゲームのパロディなどを取り入れている点も面白い。

私が特に好きなのは、aespaのHot Messと神ジューデンガールで、虚構と現実の境界線がより曖昧になるものに興味がある。

ノスタルジーを喚起する表現の一環として、実景にキャラクターを重ねる方向もそれはそれで良いのだが、いささか綺麗過ぎると言うか、よりMAD的な、カオスに編集されたものが観たいのかもしれない。

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