見出し画像

心震えた日

おはようございます。昨日3歳の娘とお出かけする際に自分で髪の毛結ぶと言いだし、フツーに後ろで一つ結びをしている姿を見て、「あれ、これ教えてもらってどうこうできるレベルじゃなくね?」と娘の成長に脱帽したmotomです。
#指の動き結構複雑よあれ
#言葉で指の動きの説明は冒頭で完全に諦めた

さて今日はここ最近僕がとある法人に出会い、心震えた日の事について書き留めたいと思います。
自分を客観視する自慰会です。

▼言行一致の極地

理念や信念って会社や個人でも少なからず持っている思いますが、1mmもブレずに言行一致させることって中々難しかったりすると思うんです。

目先の利益より理念を優先することが会社の存続が危うくなる場面で、それでも理念を取ることはとても勇気が要ります。
信念を貫く事で周りから人が離れて孤独になるとしたら、そりゃ耐えるのは辛いです。

それでもその理念と行動を一致させ続けている事業に最近出会いました。
法人が掲げている理念と今までの沿革・ひとつひとつのアクション・ゴール設定など全てに理念が溶け込んでいる様に見える。
本物の理念を目の当たりにしただけで心がこんなに揺さぶられるとは人生の中で初めての体験でした。

▼具体的に何に感動したのか

神は細部に宿るとよく聞きますが、パッと表面を見たくらいじゃ拾えきれない程の細かい部分だと思います。
映画であれば一瞬しか映らない雨の雫一粒とか。

僕の眼がそんなに肥えてるという訳ではないですが、正面から事業の詳細と向き合った時に、噛めば噛む程味が出てくるガムみたいもので、
これは理念・目的への執着度合いが大きければ大きいほど比例して、サービスや報酬などの細かい条件・内容一つ一つに形として現れるものだなと、心から敬意が湧くと同時にどこか悔しさも湧いてきました。
今の僕にこんな気高い仕組みは創れない。。

▼つくづくドMです

僕が行動を起こす際の大きな要因は、

・面白いと思えるか
・心底そのサービス・商品に惚れられるか
・誰もまだ実現したことがないか

の3点で、未知数が多過ぎたり大勢が面倒で手出したがらない事を好みます。
必ずと言っていいほど、頻繁にふん詰まって死にかけます。何か事を起こす前からふん詰まることは、自分でも容易に想像できるのに、それでも好き好んで向かっていきます。
ドM以外のナイスネーミングがもしあれば教えてほしいくらい感動センサーがぶっ壊れてるんだと思います。

でもそんなふん詰まってジタバタもがいてる自分が一番好きです。楽しいです。誰かと一緒にジタバタしてるのなんてサイコー過ぎます。

心震えたあの日、もしかしたら近い将来その事業に本腰入れて参入する、そんなきっかけになるのかもしれません。
皆さんの心震えたあの日は何時ですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?