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女性性を否定して生きてきた。

田舎でのびのびと、すくすく大きくなった。
そもそも生まれた時から身体が大きく。
同い年の女の子はもちろん、男の子と比較しても身長が一番高かった。

幼稚園の頃から好きな男の子はいた。
私の性自認は女、である。

小学1年生の時、クラスで一番身長が小さい男の子にスカートめくりをされた。
しかし周りの大人達は彼に対して全く怒らなかった。
(困った子ね、位。実際困った子だったのだけれども。今から思えばそれはそれで背景に色々な問題があると思うので。仕方ないことなのだけれど。)
悔しくて悔しくて。
普段そこまで泣かない子だったはずなのに、小学校の廊下で大泣きした。
誰も私を慰めることはなかった。
それくらい我慢しなさい、という声がどこかから聞こえた気がした。

小学校中学年くらいの頃、家の本棚の奥底から男女の産み分けの本を見つけた。
実家は三人兄弟で長女、次女、長男(私は長女)。
古い家なので、後継としての男の子が欲しかったのは、今になってはまぁ、わかる。
女女、と産まれてきて、男を産みたい(産まなきゃ)と、本にすがった両親の気持ち、わからなくはない。
けど当時の自分にとってはそれはもうショックだった。
私は男で生まれてきた方が良かったのか。生まれてくるべきだったのか。
その頃から女でいちゃいけないんだ、男でいたほうが良いんだ、という気持ちが強くなった。

中学に入学して数日目の朝、初めての生理がきた。
周りの友達はすでに始まっていて、私は体格がいい小学生だったのに、中学まで始まらなかったのは奇跡だったなと今では思う。
母に報告し、父には絶対に言わないでくれ、と伝えて学校に行った。
その日1日はつつがなく終わり、母は赤飯などを準備することはなく。
けどお夕飯はハンバーグか唐揚げか、当時の私の好物だったように記憶している。
その夜、布団の中で大泣きした。
母は声を上げて泣く私を、寝るまで心配そうに宥めてくれた。
ついに名実ともに女になってしまった。
女になんてなりたくなかった。
その日を境に何かが変わってしまった気がする。

結局、中学では男性とうまくコミニケーションが取れず、
男性がいる環境に疲れた、と思い、
母の母校である近隣の公立女子高を第一志望に据え、無事合格した。

女子高はとっても楽しかった。楽だった。
社会的に考えられる男女の役割とか全部取っ払って、全部を女がする。
明るい子だけじゃない。おとなしい子も静かな子ももちろんいるんだけど、皆それぞれに個性があって、芯が強かった。
(のちに高校時代の友人と皆我が強くて大変だったよね〜という思い出話をしたが、私もね♡そして貴女もね♡)
性差に囚われない、自分らしさを発揮できる場所。
高校時代は色々あったけど楽しかったことしか思い出せない。

大学は学びたい学部がある、共学の大学に行った。
元々男子校な、バンカラ(死語)な校風な大学だったので、
女子高出身の自己主張する、なんでもやる!という女は初手から変な女扱いされた。
これまたやりたいことがあったのでアウトドアサークルに入ったが、
女は重いものを持たされない代わりに男に比べたら楽しいことが少なかった気がする。
笑いと言えば下ネタだし、
食事作りと皿洗いは押し付けされるし(料理作れないと人間性を全否定される。私は料理が苦手なのでずっと皿洗いをしてた。)、
男たちが二日酔いで寝ている中テントの片付けをするのは女たちで、
キャンプイベントがあまり好きではなかった。(よく4年間いたな)

大学卒業後は新卒で営業として採用された。
女性営業が増えてきたとはいえ採用数全体の3割位。
営業の女性と事務の女性が明確に分かれている世界だった。
事務のかわいい新入社員は飲み会でも重宝がられ、
営業女性、しかも可愛くない、可愛く振る舞えない私はここでもまた片付け要員だった。
(ところでいまだに飲み会の時に偉い人の隣は若い女、というのは本当にやめた方がいいと思う。時代錯誤ぞ。)

そんな中でも、女性だけど負けるまいと必死に食らいついて、少しだけ偉くなった。
けれど年々働くうちに生理がキツくなり、
朝礼中気分が悪くなって倒れたりを繰り返した。
一度本当にお腹が痛くてロッカーで伏せって(体調が悪いことは同じ課の女性の先輩には伝えたので私が席を外していることは伝わっていたはずだ)、少し回復して真っ青な顔で自席に戻った時、
男性の先輩から「(管理者であるという)役割を考えろ(勝手に席を外すな)」と怒られ、
男性の課長からは「うまくやってよ。」と一言言われた。
体質としての女を持ちながら、大半が男性である管理者の世界に当てはめられるのかと絶望した。

女でいることはなんでここまで苦しいのか。
女として働くことはなんでここまで辛いことなのか。
そこまで言うんだったらこっちだって我を通させてもらう、と
長年悩んでいた不妊治療の門を叩き、
ここで卵巣嚢腫の肥大化かつ卵子の数が圧倒的に少ないため自然妊娠は不可能という事実を叩きつけられ、
色々あって妊娠出産(2回)した。

生まれたのは両方とも女の子だった。
明らかに残念がる夫に絶望したし、
義実家からは次こそは男の子ね!と冗談のように言われた。
実母には電話越しに女の子だったよ、と報告したら女の子はかわいいよー!と全力で言ってくれたので、
電話越しで気づかれないように泣いた。
実母は出産祝いもピンクのものは贈ってこなかったので、私の性格をよくわかっている。

そして復職し、母親だから、というもっともらしい理由で梯子を外され、現在に至る。

***

女性で生きてきて損をしている、と思ったことなんてあげればキリがない。
こんな性格なので性転換を考えたことも何度もある。
そもそも毎月生理のたびに女として生まれたことを恨む。
女で生まれてよかった、と思ったことなんて生きてきて一度もない。

ここまで恨みつらみを書いてきて何を言うのか、と言われるだろう。
けれどもな、
私は自分が女性であることを捨てられない。

スカート捲りをされた記憶がどうしても残っているし、
大人になってからも幾度か嫌な思いをしたことがあるので、
スカートは滅多に履かない。

けど靴を履くならパンプスだし、下着もつければアクセサリーも大好きだ。
青ばっかり身につけるけれどピンクのものも必ず目に留まってしまう。

女らしいものは無理、と言いながら、
女らしさをとても気にしている自分がいる。

女でいたくない、と感情で思いながら、
心の奥底の自分は女であり、できれば女性らしくありたいと思って、
その気持ちを捨てることができないでいる。
それは社会に押し付けられたジェンターとしての女性、というよりは、
肉体として、精神として、魂としての女性、のなのかもしれない。

私は女性であることを捨てることはできない。
ならば、
この身体のままで、嫌だったこととか全部まるっと抱えて、
そのまま戦うしかないじゃないか。

***

ここまで書いてお出かけして、今年の夏の制服をTwitterでつぶやいたらmmm jewelryの茉莉華さんからのリプをもらった。

カッコ良さと女性らしいの融合体
まさしくそれを目指していたように感じる。
周りからそのように見えているのか自分、と思い、とても嬉しい気持ちになった。

そうか、ずっとここでぐるぐるしていたのか私は。

誰に何を言われようと思われようと関係ない。
変えられない自分(女性であること、女性らしいを気にしてしまうこと)を否定する必要はどこにもない。
私は私が思い描く女でいていい。

これからは少しずつ、本当に少しずつだけど、
自分の女性性を尊重してあげたいと思っている。
自分は一人しかいないのだから。

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