海辺のバレエスクール

 日本のクラシックバレエの発祥地は鎌倉であることは、鎌倉市内の人にもあまり知られていません。
 鎌倉が「鎌倉らしい」と言われるのは西洋文化と別荘文化の影響を受けているからでしょう。
 日本のバレエの発展を願いつつ、そのルーツを大事にしたいと考えています。
 日本最初のバレエスクールの跡地(七里ガ浜)には創立者エリアナ・パヴロバの顕彰碑が国道134沿いに建てられているのですが、渋滞でもしなければす通りされます。
 カレーで人気のあるレストランの駐車場がスクールの跡地で、その西側の階段を上ると二重のアーチと案内版、パヴロバ一家のレリーフが置かれた顕彰碑があります。
 江ノ電の七里ガ浜駅近くを通りかかったら海側とは逆の山側をご覧いただきたいです。
 創設者のエリアナ・パヴロバは昭和16年5月、日本陸軍の慰問中に亡くなっています。
 その後、妹のナデジダが後を継ぎ、鎌倉バレエの発展に捧げたことも今のままでは忘れられていくかもしれないと危惧しています。
 私はエリアナ・パヴロバの孫弟子というのは厚かましいのですが、橘バレエ学校を卒業して牧阿佐美バレエ団に名前だけでも関わったことがあることと、鎌倉の住人という理由で、ナデジダとの関りを通して鎌倉とバレエのことを書いてみようと思います。

 日本に定住することを決めたパヴロバ一家は昭和初期には住居を兼ねて弟子たちを受け入れて育成する稽古場を創る必要があった。
 晩年のナデジダから母親のナタリアは当時の七里ガ浜の風景に魅せられて、別荘を持つならこの場所が相応しいと決めたと聞いている。
 貴族とはいえども海辺に別荘を持つことは憧れであったと。
 


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