海辺のバレエ・スクール 4

 パヴロバ一家は、材木座にあったマネージャーの別荘を借家にしていたが、バレエスクール建築予定地の近くにあった洋館を借りることができた。
 当時は未だバレエはお稽古事としてを習う人は限られていた。
 一方で、西洋風の生活に馴染むためには社交ダンスを教養の一つとして子女に習わせる必要を感じていた階級社会もあった。
 エリアナは鎌倉を根拠にして日本に居住するからにはクラシックバレエを広め、教えていくことを決めていた。
 ナタリアはエリアナの貴族の娘としてプライドを保たせる交友関係を望んでいた。
 エリアナがバレエに専念できる様に恋愛関係には厳しかったようだ。
 生徒は増える一方で一日でも早く本格的なバレエスクールを建てる必要があった。
 エリアナは東京の稽古場を掛け持ちしたり、地方公演があったり、その間に広告のモデルや映画の女優をしている。
 エリアナの仕事はマネージャーの沢夫人の見事な手配によって増えていき、収入も安定していく。
大きな劇場での舞台公演は現在の広告と新聞記事、映画、日本の伝統文化とのコラボを示している。
 七里ヶ浜のバレエスクールは建て始めていたが、エリアナが地方公演から帰ってくるたびに未完状態であった。
 ナタリアの言葉不足の上に厳しい要求も、西洋風の建設になれない業者の苛立ちも、誤解が原因であっても、建設の遅れはエリアナには嘆いているだけでは済まされなかった。
 エリアナは北鎌倉に創設された潤光学院に教師として招聘されていた。
 その関わりから、学長の久野氏がバレエ学校建設費用の残額を立て替えてくれたのである。(因みにエリアナは全額返済している)

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