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芸術は、自己告白である。

オブセッションとカタルシス

アートは「生きづらさを抱えた人たちの魂の叫び」なんて言ったら大げさでしょうか。私が美術館にいく理由の一つは、その魂の咆哮に触れるためでもあります。魅力的な作品には、作家の全人生の記憶が詰まっています。

『オブセッション』という言葉を聞いたことはありますか?

この言葉の意味は強迫観念です、執念とも訳されます。人生の中で経験した強烈な体験や記憶。作家はオブセッションに苦しまされ、傷つけられ、そしてそれを克服するために作品を通して自分の内なる世界を現実へ表現します。

私は作品を前にすると自分が持っているネガティブな感情が共鳴して滲み出てくるような気分になることがあります。

カタルシスそれは突如としてやってきます。呆然として空を仰ぐような感覚。

「作品には作家のエネルギーが込められていて、見ただけでそれを感じる」、と言いたいところですが、私の場合はそうではありません。

様々な情報に触れ、ある閾値まで達すると突然きます。サウナでいう『整う』感覚に近いかもしれません。

キャプション情報、作家の人生の年表、心の内を吐露した手記やメッセージなど、作品と背景にある複合的で多層的な情報と自分の経験・記憶が混ぜこぜになり、それが煮詰まると、最後は作品によって解放されます。放電、浄化、こんな言葉でも言い換えることができるかもしれません。

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アーティストの恐怖・苦悩

とにかくセックスが、男根が恐怖だった。押入れの中に入って震えるくらい恐怖だった。それだからこそその形をいっぱい作り出すわけ。その恐怖のただ中にいて、自分の心の傷を治していく。恐怖感が親近感に変わっていくのだ。ー草間 彌生

水玉模様で有名な草間彌生は自身を襲う恐怖観念を自ら無限に創出することによって恐怖を乗り越えるそうです。小さい頃に感じたセックスや男性への恐怖、そして統合失調症による水玉の幻覚。恐怖が支配する内なる世界に草間は飲み込まれそうになったとき、自らの恐怖を外に世界に表現することが彼女にとっての生きる術だったのです。

子どもの頃から、自殺への憧れがすごくありました。家庭環境に悩んで、幻聴や幻視にとらわれてものすごく恐ろしくて、毎日、自殺したいと願うほど追いつめられて。自殺を思いとどまらせてくれたのは、絵を描いたり、作品をつくったりすることだった。それは私の生涯を通して、ずっと同じです。芸術への愛を見出して、私は今日まで生きてこられたんです。ー草間 彌生

情報は知覚世界に影響を及ぼします。この情報を知る前と知った後では、草間の作品に対する印象は変わるかもしれません。草間弥生が作るかぼちゃは実に力強い。福岡市美術館では実際の作品に近づいて見ることができますので、ぜひお時間があればご覧ください。

表現するために生きるのか、生きるために表現をするのか、、、

アメリカに来たはいいけど、英語は話せないし、それまで作ってきた作品も日本の美術界へのあてこすりでしかなかったことに気づいてしまいました。「自分には、そんなものしかないのか?」恵まれた環境、つまりアートの中心にいながらメトロポリタン美術館にもMOMAにも行く気になりません。本屋で日本のアニメ誌を見る。日本の漫画を読んで、泣く。部屋でアニメの模写をする。せっぱつまっていました。ー村上 隆

村上はもともと漫画家を目指していたのですが、才能がないことを痛感し挫折、それから美術の世界に飛び込びこみました。日本画にて才能を認められアメリカへ留学。意気揚々と乗り込んだものの、何の結果を出せない。自宅に引きこもりひたすら漫画の世界に逃げる毎日。

結果を出さないといけないけど、出せない。漫画・アニメという亡霊がいつまでも村上を追いかけてくる。そして村上は漫画・アニメという亡霊と自身の専攻である日本画の融合を試みます。

地獄の中で村上は自身の境遇と日本の敗戦という文化的背景を包含し、西洋のハイアートの文脈にぶつけました。村上が提唱した「スーパーフラット」という日本特有の芸術概念は見事、世界のアートシーンに認められたのです。そしてそれは村上が経験した苦しみが生み出した唯一無二の表現でした。

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ムンクからのメッセージ

今でも覚えています。ムンクの「叫び」ではなく、「星月夜」という作品を見たときの感覚を。あのとき、私は作品に救われたんだと思います。

ムンクは小さい頃に母と姉を病気で亡くしています。厳格な父に育てられ、ムンク自身も病弱で死にかけるという厳しい少年生活を送りました。そのため、ムンクにとって「死」が生涯に渡ってつきまといます。

私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。(中略)私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。ーエドヴァルド・ムンク

死の恐怖や不安や人間関係の葛藤に苛まれた自身の心情を表現した作品、それが「叫び」でした。ムンクは40代半ばに精神病院に入院します。

私がみた「星月夜」という作品はムンクが晩年に描いた絵です。ある夜の風景を描いたものだと思います。遠くに街明かりがほのかに見えています。全体的には青い色調で描かれていてさみしい感じがしますが、空の星明かりと街の明かりからはどこか希望と優しさが伝わってきます。

ムンクの人生が詰まった絵。少し寂しく、でもあっさりとした優しい色調は、バランスがよくて作品を眼の前にしてとても心地よかったのを覚えています。

生きていればいろいろある、それでいい、それがいい。そう言われた気がしました。

どんな作品が刺さるかは、やっぱり実際に見てみないとわかりません。見るタイミングによっても違いが出ますし、記憶や経験によっても、捉え方は千差万別。美術館にはいろんな体験が詰まっています。

私の芸術は自己告白である。 ーエドヴァルド・ムンク

作家が自己開示をするからこそ、見る人の閉じていた何かを開けるのかもしれません。そしてまた作品が生きる活力を与えてくれることもあります。最近は、どこの美術館も閉館していてなかなか直接見ることはできませんが、こうゆう状況だからこそアートによる心の救済が必要なんじゃないかと思っています。

アートは生きるためには直接必要があるわけではありません。にも関わらず5万年も前から(恐らく当時は生きるのに必死だったはず)、人は絵を描いています。それはきっとある種の祈りだったのかもしれません。

私のこどもの頃は戦争があったけど、今も世界でテロや戦争、人間に対するたくさんの憎しみや傷跡が絶えません。私は、芸術の力、愛の力をもって、世界中に平和と愛の素晴らしさを届けたい。だから愛を込めて、一生懸命描くの。もっともっと描き続けます ー草間 彌生

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