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中村哲さんの死に思うこと。

この世界で最も敬愛するお一人であった、中村哲さんが銃撃され、亡くなられました。
銃撃を受けたという報道の際に、命に別条はないとのペシャワール会の記者会見があったため、ショックもひとしおでした。
時間がたつと、余計に実感が重なり、悲しみが募ってきます。

私は、西南学院大学時代に、大学で中村哲さんの講演をお聴きし、またその後茶話会でじっくりとお話をする機会を頂いたことがあります。中村さんは、西南学院中学校の出身でした。
その時の中村さんの講演のメッセージは「恵みと和解」でした。

医療支援を行う医師としてアフガニスタンに赴いた中村さんは、飢餓で人々が死んでいくのを目にし、その原因が干ばつにあることに気が付きます。9.11以降の空爆が続く中、食糧支援を続け、そして、その後は対立する部族との対話を繰り返しながら、灌漑を行い、砂漠と化していたアフガニスタンの大地が豊かな緑をたたえた農地へと生まれ変わる、奇跡とも思える取り組みをなさってきました。

しかも、その灌漑事業は、コンクリートで固めてしまうと壊れたときに現地の人達の力で直せないからと、江戸時代の筑後川の治水技術を研究し、それを活用したものだったそうです。
「私達の先祖はこんなにもすごい技術をもっていたのだなと思いました」と語っていらしたのが印象に残っています。
しかし、それを実現するためには、多くの人々が手を携えなければなりません。タリバンを含め、様々な部族が対立しあっている中で、対話を重ね、手を携えて灌漑事業が現実になったのだということをお聴きしました。

そして、対立する私達が和解すれば、この世界はこれほどまでも美しい景色を与え、命を育んでくれるように出来ているのです、と講演で語っていらした言葉を私も心に刻んでいます。
つまり、奇跡は我々の側に既に与えられ、託されていて、それを実現する責任が我々にはあるのだと思うのです。
そのことを教えてくれたのは、中村哲さんでした。本当に、偉大な方でした。

もうひとつ、とても大切なことを思い出しました。
彼との茶話会のときに、学生の一人がこういう質問をしたのです。
「中村さんはクリスチャンで、周りの人はムスリムですよね。そうした中で働くことは困難はないのですか?」という質問でした。
中村さんは、「全くありません。イスラム教の聖典の中には、新約・旧約の聖書も含まれており、キリスト教を否定することは、イスラム教を否定することにもつながるからです。むしろ、イスラム教徒に対して、コーランを侮辱したり、ひどいことをするのは、外国の兵士でした」と。
おそらく今回のことで、我々日本人の中には、「これほどまでにアフガニスタンの人々に貢献したのに、ひどいことをする」と思われた方も少なくないのではないでしょうか。
しかし、アフガニスタンの人々が悪いのではないし、イスラム教徒だからひどいことをするわけでは全く有りません。むしろ、中村さんの言葉からはその逆のことを沢山伺いました。

ですから、今回のことで私達はとても大きな悲しみを受けましたが、しかし、決して、大きな名詞の単位で、アフガニスタンやムスリムを恨んだり、蔑んだりすることだけはしないで頂きたいと切に願います。それは中村さんが望むことと全く正反対だと思うからです。

失われた悲しみの大きさは、与えられた喜びに等しいと私は常に思います。
それだけ多くのものを残してくださった、中村さんに、心から感謝しております。

中村哲さん、この世界での素晴らしいお働きをありがとうございました。
あなたの活動と言葉を通じて示されたメッセージを、あなたとは比べ物にならないほど私は小さい働きかもしれませんが、大切にして歩んでいきたいと思います。どうか安らかに、この世界の人々が和解へ向けて歩むことを見守っていてください。


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