ビジネスにおいて戦争で培われたメソッドを活用することの違和感

戦争をメタファーとしてビジネスや、経営・組織論が語られることは多い。

戦争は、生死を賭けているプロジェクトなので、そこで確立されたものはメソッドとして強度が高い、ということはとてもよくわかる。

ビジネスで使われる、戦略、作戦、戦術、兵站みたいな言葉もそうだし、私が好きなスクラムのジェフサザーランド先輩の書籍でも戦争の話が出てくるし、野中郁次郎先輩の失敗の本質とかとか枚挙に暇がない。

では、なぜこんなに違和感があるのだろうか。

そもそもティール組織でいう色でいうと、一般的なオレンジでもなく、その前のステップのアンバーな組織が軍隊を表していることから、多様な色が混ざる現在の組織に軍隊の手法を当てはめることに違和感はある。

だがこれだけではない。

大きな違和感は、戦争とビジネスの手段が圧倒的に違うことだとおもう。

戦争は、明確な相手を武力でねじ伏せることが手段となっている。
一方、ビジネスでは相手をやりこめることだけが手段ではない。

競合ひしめくマーケットを取り合うようなビジネスでは、もちろんそういう気分だろうことはなんとなくわかる。

でも私はビジネスにおいて、仕事をするスタンスとして、相手を倒すようなことはしたくなく、みんなで共同して社会をより良くすることに興味があるし、そこに時間を使いたいとおもっている。
私はそれが得意ではないからそこから逃げているだけかもしれないが、ゼロサムゲームのような世界を生き抜きたいのではなく、みんなで社会全体の価値を上げるような仕事をしたいと考えている。

もちろん不要なビジネスは消えてしまえばよいと思うが、それは倒されて消えるべきではないとおもう。使う人が居なくなったり、役目が終わったら、自然と消滅すればよいのではないかとおもう。

コパイロツトはそういう想いがあって、みんなの隙間を埋めるような、誰もがやらないところを担うようなポジションに徐々に移行してきたような気がしてきた。

改めて、みんなで価値を高め合うことができる触媒のような存在でありたい、と強く感じた。

でも最近OODAOODA言ってる私もいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?