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言い訳コレクターやめて当たって砕けて...ほんとに砕けました。(爆)


この上記の絵は先の記事で描いているような
パソコンでグラフィックを、と言う前に描いていたものです。

雑誌のグラビア写真のモデルをそれこそモデルとして
イマジネーションで描きました。

自身の才能は置いといて、
絵ではモディリアーニやエゴンシーレが好きでした。
金子國吉も好きでした。

だから裸体や女性を描いていました。
もう、その時の絵は処分してないですけれどね。

当時、デュオと言う絵具があって
それはアクリルと油絵具を合わせたよな絵具で
描きやすく、そして絵具の伸びも良いので使っていました。

でも、油絵具と同様の独特な臭いがするので
妻には臭い臭いと言われ続けて(苦笑)
気持が萎えてきた所に、

その妻がこれからはパソコンで事務は必須と言って
ウインドウズパソコン一式を購入、学校にも通い始めました。
当時はまだ、今ほど当たり前すぎるところまでいってなかった時代でしたね。

でね。我が家にパソコン、
私にもある男の子のオモチャ遊び心は出てきて、
妻が触らない時に触る様になり、
いつしか沼っていきまして、
気が付いたらフォトショップを分割支払いで買い、
タブレットだ、なんだとソフトやら周辺機器が増えていきました。
本もたくさん買ったものです。

そんなこんなと夢中になり、当時を思えば
随分楽しい時期を過ごせたと思います。
今はそんな元気も気持ちもないですが、
当時は休みの度に電気街に1人で通ってました。

学生時代から比較的地味にやってきた私は
その時に青春?のような日々を過ごしていたのです。

リストラを機に?
ドウキホーテの如く
叶わぬ夢に挑み、当たって砕けましたけどね。

でも、当時は40過ぎても結構本気で
寝る間も惜しんでパソコンを触っていましたね。

深夜遅くにソフトで絵を描きながら
何を始めるのにも、遅い、と言うことはなくて、
始めると言うことだけが、
唯一の正解なんだと思っていました。

確かに40過ぎて、パソコンで絵を描いて
それで仕事したいってのは
無謀?幼稚?現実的ではない?
って見ることもできますね。

ただ、当時はそんな事を考えることなく、
ただ、やってみたかった。
それしかなかったのです。

何故なら、それまでの自分が
何を始める時も色々な理由を集めて
それこそ言い訳コレクターになって
いろんな事を諦めてきたからです。

諦めない、って事をすることが
これが最初で最後のチャンスだと思って、
色々、考えるよりやってみた、
つまり、学校まで通ってみたのです。

結果は何度も書いているように
玉砕ですけど(自爆)

この先、
自分は何をしたか
って思う時

きっと、その事が老いての人生で
生きる糧になると思ったのです。

何もない人生より
何かある人生の方が面白い

ですよ。


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