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問われているのは「登山の信頼」なんじゃないですかね?

どうも、お立ち寄り有り難うございます。(※以下、超長いのでご注意…)写真はなんとなく以前の御岳取材の時のです(間に合わせ感すごいな汗)

正直、始めたばかりのnoteでこんな大それた案件に挑むのは気が引けるのですが…(汗)一応、クライミングとか山登りの漫画をついこないだまで連載していて、例の人のこともちょっと考えたことはあったので、何か書けるかなあと。わずかでも、どなたかのご参考になれば幸いです。

先日、冒険家の栗城さんがエベレストで亡くなられたニュースが飛び込んできましたが、前々からうっすらとその可能性を感じていた自分としては、山で亡くなったという事実そのものよりも、「え?今なの??」というタイミングのほうが衝撃としては大きかったですかね。

というのも、毎年恒例のようにチャレンジしてることは知ってたんですが、正直、まだそれほど高所じゃない「危なくないところ」にいるんだと思ってたので…(汗)第一、今回の彼の目標が「エベレスト南西壁」と聞いた時点で「あっ、はいはい。目標は常に高くなんですね(実現可能性はともかく)」という気分で風物詩のニュース的になかばスルーしていました。

そんな中、プロの登山ライターの森山さんの記事がトレンドに上がっていたのを見ておおっ、となりまして。(記事中に引用されている以前のご本人のブログと合わせて是非お読みください!今回の件がわかりやすいので)

https://twitter.com/kenichimoriyama/status/999118156638502913

それで、この記事を読んでいるうちに、自分でも備忘録的にちょっと思ったことを書き留めておいた方がいいかな…と一念発起する流れになりました。

遭難の事実(現時点ではまだ未解明のこともありますし)とは別に、エベレストの北壁とか西稜とか、まして南西壁を登ろうとすることの困難さが、どうにも一般の人には伝わり難いようで。色んな記事とかで野球とか身近な何かに例えようと四苦八苦してるのが見えたんですが。自分としては…

普通の人が、いきなり「オレ、ちょっと”月”に行ってくるわ!」とリュック背負って飛び出していく感じ…くらいの途方も無さで例えないとダメなんじゃないかなあ?と思いました。

一見、飛躍しすぎてるように見えるかもなんですが、よく考えると、まず現時点で地球に住んでる人類が「月」に行くために必要なことは何だろうか?と。これは何となくでもみんなイメージできると思うんですよね。

1、宇宙飛行士になる。2、そのためにNASAとか何処かの国家機関、民間でも相当な資金力のある大プロジェクトの一員に採用される。3、同じ目標を持った並み居るライバルの中で最高の成績を取る。4、実現可能性のある月面関連の有人宇宙計画のプロジェクトメンバーに搭乗員資格で入る。5、自分が参加した月着陸プロジェクトが万事問題なく成功する…で、ようやく悲願の月面に第一歩!ばんざーい!(さて、帰りも頑張らなきゃ)

めちゃくちゃ段階多いですね…(汗)でも、現実に「人類最難の登山ルート」とも言われるエベレスト南西壁をやりきれる人がいるとしたら、優にこれに近い膨大なステップは踏んできているはずだろうと思うんですよ。

山登りの中でも「歩けば頂上まで登れる」ルートと、ごつごつの岩壁しかなく「攀(よ)じ登らなければ上に進めない」ルートがあると言われます。エベレスト南西壁とかは圧倒的に「攀じる」ルートなので、絶対に必要になるのが、クライミングの技術です。自分の漫画でもさんざん扱ったテーマですが、最近は日本でもクライミング、ボルダリングと言えばちゃんとイメージ伝わるようになったので有り難いです♪(日本って実は強豪国なんですよ)

このクライミングには「グレード」という難易度を表すシステムがはっきりとあって、例えば5.13というグレードをフリークライミング(安全確保のロープとクライミング用のシューズ以外は道具を一切使わずに体一つで登る方法)で登り切れない人は、その上の5.14のルートを登るのは(あり得なくはないとしても)とても難しい、と言われます。ロジカルで明快なのです。

だから普通は、5.11、5.12…と段階を踏んで、色んなルートで何度も落ちたり練習しては徐々に強くなって行って、ようやく目標としていた5.13というルートを登り切って「ヤッター!!」と喜びを爆発させるのが、クライマーという人種なのです。(日本ではクライマーと登山者は区別されるようです)

ふと疑問に思ったのですが、今回の遭難に至る前の段階で、亡くなった冒険家の方の技量について「クライミング・グレード」に基づいて論理的に批判された記述とかって、どこかにあるのでしょうか? 見たことないような。(もちろん、クライミングの技量が必要十分にあった上で、さらにヒマラヤ8000m峰特有の低酸素や極寒などの困難な条件が重なるわけですが…汗)

海外では普通にあって、ごく最近に日本でも始めたらしいというのに「登山グレーディングシステム」があるのですが。これは各地の山をルートごとの難易度に従ってグレーディングして、それを参考に登山者が自身のグレードと見比べて「ここは危ないからやめとこうかな」「装備を見直そうか」とか客観的判断が出来るようにする計画のようですが。

将棋や囲碁にも「棋力」とか、野球にも「打率」とかあって、みんなこんなにグレーディングするのが大好きなのに、こと登山になると、何でか色んな事が非常に曖昧に、どっかふんわりとした「行けそう」みたいなムードとかで進んじゃうのって、あれ何なんでしょうね??(真顔)

そういう調子だから、たまにドカンと「トムラウシ遭難事故」みたいな悪夢が起きるんじゃないかと…(※リンク先、壮絶過ぎるので閲覧注意)

ここでクライミングのグレードの話を出したのは、当然のことですがエベレスト南西壁は「岩」と「氷壁」のミックスと呼ばれる高難易度なルートであること。そして、現状すでに「岩(クライミング)」にも、「氷壁(アイスクライミング)」にも国際的な明確なグレードシステムがあり、その難しさは「ある程度は数値的に表せる」からでもあります。亡くなった冒険家の方の総合的なグレードは、客観的にそこに到達していたのでしょうか?自分の考えでは、やっぱり実情はかなり「難しかった」んじゃないかと…(鬱)

前述の記事を書かれた森山さんのようなプロの方々が「このまま南西壁ルートに突っ込んだら99.999%の確率で死ぬ」と言っていたのは、そういう知識の裏付けがあってのことだったと思いますが、登山と関係の浅い一般の方が読む記事にそういう細かい技術的なことを書いても仕方ないだろう、というお考えもあって、どこか抽象的な話になってしまうのではないかなと。

これ、技術的な数値とかの話にしてしまうと内部の関係者しかピンとこなくなってしまうのですが、さっきの「普通の人が月に行くには?」の例え話に置き換えると、とたんにわかりやすくなってしまうのですよ!つまり、莫大な資金が投じられる月着陸プロジェクトには選び抜かれた最高のパイロットしか送り込めないけど、そこで「あなたは並み居る同じ目標を持ったライバル達の中で、ぶっちぎり最高の成績を取れたんですか?本当に?」と。

同じ目標を持った並み居るライバル達—登山の世界で言うなら、誰もが「人類最強の登山家」を目指すレースの中で、世界的に超有名なあのクライマーも登山家も、皆が「今あのルートに突っ込むのは難しい。死んじまうから」と言っているとして、じゃあそれを強行しようとしてる「あなたって、その凄い人たちよりも強いんですね!わあ!」…っていう話ですよね…(真顔)

私は正直に言って、ずいぶん以前からあの冒険家の方のことは「危ないなあ…(冒険の共有というだけなら)他のもっと低い山にすればいいのに…」と思っていたので、どちらかというと批判的なスタンスで書いてはいますが。それでも、今回残念ながら非常に若くして亡くなってしまったことについては、彼一人の責任とは到底言えないんじゃないか?と考えています。

個人のグレードとかで言えば客観的判断として「ありえない」と言い切れたはずの彼のような挑戦を、何故かアクロバティックに可能にしてしまう(裏)技が登山の世界には存在していて…それは以前から何度も議論の対象になっているのですが、ヒマラヤにおける「シェルパ」システムと言えるのかもです。つまり、生まれつき極端に高地に強いシェルパ族の中でも、ヒマラヤでの登山(支援)経験の長い熟練のガイドを雇って登ることです。

ヒマラヤの「シェルパ」システムそのものは登山者にとっても、シェルパ族の人達の経済にとっても必要なものだし、悪いことは何もないと思うんですが。どっかで「未熟な登山者の無謀なプランであっても、手練れのガイドを高額を払って雇うことで、ある程度は”下駄を履かせる”ことができてしまうんじゃないか?」みたいなモヤモヤは否定できないんですよね…。(その高額を払えてしまうというのは、スポンサーとかの別の問題になりますが)

同じ熟練の山岳ガイドを雇う話にしても、ヨーロッパアルプスのあるスイスとかフランスあたりでは、ガイドは国家資格でその権限も非常に強いものがあり、金払ってる客に向かって「あなたの実力はこのルートを登るには不足しているから、今回登るのは許可できない」とか普通に言うらしいので。(※訂正:詳しい方からご指摘が入ったのですが、ここは「許可しない」のではなく「自分は引き受けない」と言う方が正しいそうです。たとえガイドでも警察でもない個人に他者の行動を制限する権限はない、という欧州人的な考え方から。ちょっと自分のほうの知識もあやふやで、すみません…汗)

この、ヨーロッパアルプスの山岳ガイドが「あなたにはこの山を登る実力が足りない」と言う時に、それをお客の側が聞いて、登山を中止しなければならないということは、その発言にそれだけの「権威や強制力」があるということですよね。つまり、お客の側が「プロに正しいことを言われているんだろうから受け入れよう」と納得させられると。

ひるがえって日本の山岳ガイドさんの発言に、そんな権威や強制力があるかといえば全く考えられないですよね。あったらそもそもトムラウシみたいな悲劇的な事故は起きてないんじゃないか?と思うし。そういう制度になってない、と言えばそれまでなんですが。これ、自分はけっこう問題あるんじゃないか?と実はもうずっと前から思ってまして。

職業として登山のガイドをやってる人の意見すら、あまり重要視されないということは、いかに登山とかアウトドアの知識、経験みたいのが今の日本の社会では軽んじられてるか、ってことだと思うんですよ。もう凄い基礎的なレベルから、例えば「大水が流れて来る可能性のある場所には危ないからテントを張ってはいけない。もし水が来たら何をおいても大急ぎで少しでも高い所に逃げるべき」とかいうアウトドアの常識が浸透してないレベルで…。

自分がクライミングの漫画を描いた動機の一つが、311の震災の時に、すぐ近くの裏山に登れなかったために大勢の小学生や教師の方々が亡くなったというニュースを見て、もし日本中のみんなが登山やアウトドアの知識をきちんと持っていれば、次に同じような災害が起きた時に救える命が増えるのではないか?と考えたことがあったから、というのは何度か書いていますが。

その後に、強豪と言われていた高校の山岳部の生徒たちが安全指導上は考えられない状況で大勢亡くなったニュースに触れて、自分の中でその信念が揺らいだことがあったんですね。「結局、どんなに知識や技術、経験を積んだとしても、それを運用する”人間の側”に問題があったら、悲劇は減らないのではないだろうか?」…と。今はそっちの確信のほうが強いです。

今回の遭難を受けた記事で、筆者であるプロの登山ライターの方が「登山業界として彼を止めてやれなかったのか?」みたいな問題提起をされてたように思いますが。自分としては、そういうの「無い」んじゃないかと。「登山業界」なるものは存在してなくて、ただ個別の登山者や企業、みんなバラバラの思惑、それぞれのビジネス、があるだけなんじゃないかな…という。

だから、何で登山関係者は誰も本気で止められなかったのか?と言えば、やっぱり「彼のやってることは自分には関係ないから…」という感じに、いつからか、なってしまっていたんじゃないかなと。でも、本当にそうだったんでしょうかね??(誰か止める必要は本当になかったのか?という意味で)

こないだある弁護士さんのツイートが流れてきて、なるほどなあと考えさせられたことがあったのですが。「(ある事案について)ここで問われているのは、弁護士の自治そのものなのだ」と。民衆の側に立つため、国家からも独立した立場で動ける弁護士には、だからこそ高い倫理観で己を律する必要があり、それで初めて自治というものが成り立っているんだと(意訳…汗)そういえば裁判の世界では、よく「司法の信頼」という言い方をしますね。利害の対立する者同士の間を裁定する司法の決定を、なぜ人々が尊重するかといえば、建前の上だけでもそれが「公正である」という信頼があるから、だと思います。法律に照らして、これが正しいんだろう…という。

法律に関わる仕事をする人々の責任が重いのは、それが関わった人の人生を変えてしまいうる強力な権限を伴うものだからだと思うんですが。それで行くと、登山だって時に、一歩間違えば大勢の人が遭難で亡くなったりするので、十分に責任が重いものですよね。そこにプロとして長年関わっている人の意見や経験は、もっと世の中で尊重されてしかるべきだと私などは思うのですが。まだまだこの国では人材面でも、システム的にも発展途上かなと。

現状、この国に「登山業界」みたいなものがあるとしても、それは「登山経験の長い教員の進言通りに(走って2分くらいの小学校の裏山に)登っていれば、確実に津波から命が助かっていたはずの子どもたちを登らせること」も出来ず、反対に「(クライミングが必要な登山ルートに、実力面から見ても)登るべきではなかった若い冒険家に、年々エスカレートして行く計画を思いとどまらせること」も出来ないくらいの軽い存在感なんじゃないかなあ~…と思いました。まあそれだけ個人主義が徹底してるといえば、それはそれでいいところなのかもですが。。(なんかヤケ)

だとすれば、どんなに登山やアウトドアの経験豊かな人の、思慮深い意見であっても耳を傾けてもらえない現状って、かなり危険なものなんじゃないかと思います。つまり、何が正しいのか?一般の人には皆目わからないから。芸能人でも何でもエベレストに登ると言えば素直に「すっごーい!」となる一方で、もっと遥かに困難で偉大な挑戦を見事成し遂げたプロの登山家のことは、わからないからスルー…という。その程度なら「うんまあ、テレビには出ないからね~」で仕方ないんですが。

もし万が一、自分が遭難や自然災害の当事者になった時に、誰の言うことが本当に合理的で危機管理的に正しくて、ようするに、誰について行けば死なずに済むのか?って、そんなことでわかるんでしょうか??(もちろん自分で判断できるのが理想なのですが、現状あまりに道が遠いので…汗)そういう意味で、山登りしない人にもまったく他人事じゃないと思うんですよ。

この一件、本当に問われているのは、じつは「登山の信頼」なんじゃないでしょうか? というタイトルは、遠回りでしたがそういう意味でした。…それだけの話が、慣れないので途轍もなく長くなってしまい恐縮です~(汗)

とまあ初の長文でしたが、最後までお読み頂き有り難うございました(伏)






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