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Interview vol.10濱口竜介さん(映画監督)「このタイミングでこの作品を撮ったのはすごく大事なこと」


第10回は、5月4日より最新作『悪は存在しない』が公開される、映画監督の濱口竜介さんです。
 
―――人間と動物との居住地の境界線が曖昧になり、いろいろなことがこのままでいいのかという問題意識を抱く中で本作を拝見し、これは今の時代に必要な作品だと強く思いました。
濱口:今まで大きすぎると思っていた問題が、かなり生活レベルにまで迫ってきている感じがしますよね。
 

■石橋英子さんが音楽を紡ぎ出す周辺で、手がかりを掴む


―――ロケ地からして、今までの濱口作品にはない新境地を感じさせましたが、自然の湧き水や自生する鹿など、作品の根底をなすものをどのように取り入れていったのか教えてください。
濱口:『ドライブ・マイ・カー』(21)の音楽をご担当いただいた石橋英子さんからライブパフォーマンス用映像の依頼をいただき、最初はどのように作品の手がかりを掴めばいいのかわからなかった。まずは石橋さんが日頃どのように音楽を作っておられるのかを見に行くことで、その音楽に合う映像が思いつくかもしれないと、長野県と山梨県の県境にある石橋さんの自宅やよく使われているスタジオを訪問しました。そこは自然に囲まれている場所で、窓を開けっ放しにした状態で思いきり演奏をしても全く問題ないのです。その光景を目の当たりにし、これが石橋さんの住んでおられる世界なのかと、納得しました。
 
―――自然の中に身を置き、外からの風を感じながら音楽制作をされているのですね。
濱口:石橋さんが音楽を紡ぎ出す周辺で何かを見つけるのは、手がかりがない今回のような場合に大きな拠り所になるのではないか。そう思って本格的に動き始めたのが、2022年12月でした。リサーチをする中で、石橋さんのご友人で長野県側にお住まいの方に出会い、いろいろな場所を教えていただきました。今回、自然の描写は全て長野県で撮影しています。
 
―――あえて厳しい冬の季節の撮影を選んだ理由は?
濱口:12月から1月にかけて取材をしているので、季節が変わるとその要素が使えなくなるという問題が大きかったですが、一方で撮影可能な気温になるようにギリギリまで待ったのが2月後半、という感じでした。結果的に石橋さんの音楽には冬の景色が合っていたと思っています。地元のみなさんは、もう少し季節が進み、春の草木が芽吹くような光景や、夏が近づいて緑が鬱蒼としている様子の方が綺麗だとおっしゃって、「冬は何か見どころはあるのか?」と尋ねられたりしました。それは冬には容易に活動できない生活から来る実感なんだと思うんですが、でも僕は枝ぶりが露出した簡素な感じが、研ぎ澄まされた石橋さんの音楽と合う気がしたし、そもそも葉の落ちた枝が、造形としてすごくいいと思っていたので、今回は長野県の冬、マイナス10度ぐらいになるような場所で、たくさん冬の枝たちを撮影しました。結果として、地元の方にも冬の景色もこんなにキレイなんだね、と言っていただけました。
 
―――湧き水も物語の大きな鍵を握りますが。
濱口:先ほどの石橋さんのご友人に案内していただきました。実際の湧き水が出ている場所を見せていただきましたが、そこは本当に住民の方が大事にされている場所だったので、映画で使ったのは、実際の湧き水ではなく、そこからパイプを通じて流れてきた先のものを湧き水として見せています。
 

■巧のモデルとなった鹿博士からの教えやいろいろな状況を脚本に反映


―――野生の鹿についてもかなり詳しくその生態を調べられたのかと思ったのですが。
濱口:鹿のことも全てそのご友人に教えていただきました。彼は鹿博士であり、大美賀均さんが演じた主人公巧のモデルでもあります。(鹿が飲む)水はここにあるとか、この時間帯に街に降りてくるとか。ほかにも、これはなんという木なのかとか、鳥の羽のことなど全て教えてくださった。鹿は日頃は必死で探さずともよく遭遇するのですが、いざ撮影しようとするとなかなか見つからなくて苦労しました。セリフでもありますが、野生の鹿は本当に臆病というか警戒心が強く、ピョンピョン跳ねるようにして逃げていく。一方、助監督の人が子鹿の骨を見つけてくれたので急遽脚本に織り込みました。リサーチといろいろな状況を組み合わせて、話の本流に入っていった感じですね。
 
―――なるほど。巧役にはモデルがいるということですが、言葉も単語を並べたような独特な喋り方で、これは大美賀さんご自身の癖を生かしたのか、役作りなのかどちらだろうと思いながら観ていました。
濱口:大美賀さんはご自身も中編『義父養父』(23)を監督されている方です。普段はもう少し柔和な感じで、あんな断定口調ではないです(笑)。本来のキャラクターとは違うんですが、今回は見ていて本当に素晴らしかったですね。薪割りもさきほどお話したリサーチの時に初めてやったぐらいですが、撮影の時には仕上がっていました。
 

■薪割り名人になった大美賀均と子役の西川玲キャスティング秘話


―――見事な薪割りぶりでした。
濱口:先ほどの鹿博士に薪割り指導もしていただきました。我々が数日東京で撮影をしている間、大美賀さんには長野に残って練習していただき、戻ってくると、本当に上手になっていて驚きました。途中、東京の芸能プロダクションからやってきた高橋が薪割りに挑戦するシーンがあり、巧は身振りや体の動きの部分も含め、彼よりも薪割りが断然上手でなくてはいけないわけです。そこは見事な薪割り名人ぶりを見せてもらって、感謝しています。
 
―――濱口作品で小さい子どもが登場するのは珍しいとも思ったのですが、巧と娘の花は、人間というよりはむしろ動物に親しみを感じているキャラクターなのではないですか?
濱口:おっしゃる通りです。巧は人間のコミュニティの中でもやってはいけるけど、より動物的というか自然に溶け込んでいる人で、花は成長したときに人間ともうまくやっていけるタイプだという気がしています。父が自然に共鳴し、娘はそんな父に共鳴しているというのが、わたしが思い描いている設定ですね。
 
―――メインビジュアルにもなり、その存在感が光った花役の西川玲さんは、オーディションでの起用ですか?
濱口:事務所に所属していない一般のお子さんも含めてオーディションを行いました。助監督を通じて子役が所属する事務所に声をかけてもらい、西川さんは事務所の所属だけど演技経験は殆どなかった。オーディション内容としては大美賀さんとお話をしてもらい、その相性を見たのですが、実際にはもっと大美賀さんと仲良い感じでしゃべれたお子さんもいました。西川さんは聡明な人で、ただ仲良しというだけではない距離感で物を考えている感じが、同年代の他の子たちよりも強かった。そこが決め手になりました。
 
―――花の登場につながる冒頭のシーンは、さきほど濱口さんが好きだとおっしゃっていた枯れた枝を見上げるような形で移動しながら、石橋英子さんの深みのある音楽がその光景を下支えしている。とても贅沢な時間でした。
濱口:ありがとうございます。わたしもあのシーンだけで、ご飯を何杯も食べられるぐらい好きです(笑)。実際はもっと長く撮影しており、それを全部採用すると7分ぐらいになるので、みなさんにご覧いただくにはちょっと厳しいだろうと思い、泣く泣く削りました。
 

■『ハッピーアワー』キャストらと再タッグ


―――元町映画館では毎年末『ハッピーアワー』を上映しているので、『ハッピーアワー』ファンにとって同作に出演していた渋谷采郁さんや菊池葉月さんとの再タッグは嬉しいのではないでしょうか。久しぶりに自作に出演したお二人の変化や、役に託した想いを教えてください。
濱口:そうですね。三浦博之さんも『ハッピーアワー』以来ですが、野原位監督の作品や他にも出演されているので、どんどんクレジットが増えていらっしゃるようです。高橋さんの部下役で、共に長野の住民説明会にやってきた黛さんを演じた渋谷さんは、ずっと東京で俳優活動をされていたので、まず演技が上手くなったなあと感じましたね。わたしは別に、演技の上手いことが必ずしも良いと思っている人間ではないのですが、無理なく、彼女自身が損なわれることもなく、ちゃんと相手役とコミュニケーションしながら演技ができる堂々とした俳優になられていて、感動しました。菊池さんは都市部から巧の住む町に移住し、夫婦で蕎麦屋を営む役で、出番はピンポイントだったので大変だったと思います。説明会のシーンで、短い時間で流れを変える部分を住民役や、観客にも納得させなければいけないときに、それができる人だと思って、今回演じてもらいました。
 
―――わたしも説明会のシーンで一番心に残っているのが菊池さん演じる蕎麦屋の女性の意見です。長くこの地で暮らしてきた人の言い分はもちろんですが、説明会を開いた側である東京からきたグランピング施設担当者に対し、同じ東京から来た者でも地元の人が大事にしてきたものに敬意を払っていますよね。すごく説得力がありました。
濱口:そうですね。配慮はあるけれど主張もするという感じが、菊池さんの人柄に合っている気がしました。
 

■リサーチをして映画に取り入れた、住民側のリアルな声


―――前半の山場である説明会では、喧嘩別れするのではなく、ギリギリのところで対話の道が残されたところに希望を感じました。
濱口:実際に取材をしたときも、対話の道を断ち切るのではなく、「町のためになるならば」交渉を続けるという姿勢を持たれていました。別にグランピング自体に反対している訳ではなく、この計画がずさん過ぎることを指摘しているだけで、劇中でもある「まともな計画なら協力できますよ」というのが元々取材をした方々のスタンスでした。すごくわかりやすい都会VS田舎の対立ではなく、もう少し融和や対話をしながらやっているのが住民側のリアルな声でしたし、実際にリサーチしたことを映画に取り入れることができて、一面的な描写にならず良かったと思っています。
 
―――芸能プロダクションがコロナ禍で得た助成金の使い道の一つとして、グランピング施設の運営に着手したのも、助成金のあり方自体に疑問を投げかけていると感じました。
濱口:助成金があるのは基本的にはいいことです。助成金の問題というより、効率主義に問題があるのだと思っています。助成金を出すか出さないかを判断する際に、全部を精査する時間はないので、ある数値を満たすことが判断基準になっていく。これも仕方がないことですが、助成金をもらいたい側は、その数値を満たすことが最優先となりがちです。劇中の例だけではなく、結局は助成金の取得のためのゲームのように、必要な数値を埋めるだけのケースが様々な業界で起きているように感じます。それは助成金の裏の面でもあって、絶対にそういうことは起きる、というのは一つの現実です。その現実を一歩引いて眺めてみるとこう見えるということをこの作品で描いています。
 

■しっかり人物を作ることができれば、映画がどこで終わってもいいはず


―――他にも自主映画だからできたのではと思うのが、物語を閉じないラストです。本当にハッとさせられました。
濱口:そうだと思います。ある程度イキイキとした人物たちを作れば、途中で映画が終わってもその人物たちの印象や、「この人たちの人生はどうなるんだろう?」という余韻が観た人の中に残ると思っています。つまり、しっかり人物を作ることができれば、どこで終わってもいいはずなので、今回はここで終わるのが、あらゆる面でいいのではないか。意外とこのように終わることで、今まで以上に観客の中に深く残ることがあるのではないか。今回はその可能性に賭けてみました。あまりにもリスクが大きいと取れないチャレンジではありますが、その冒険ができる制作体制だったと思います。
 
―――『ドライブ・マイ・カー』に続き音楽を担当されていますが本当に冴え渡っており、ぜひ劇場の音響でご覧いただきたいですね。
濱口:編集した映像をご覧いただいて、最初の木のシーンをはじめ、何度か出てくるメインテーマを作っていただいたのですが、石橋さんから音楽が届いたとき、映画としてのステージを上げてもらえたという実感がありました。石橋さんの音楽があるとないとでは、全く違います。
 

■音楽と拮抗するため、普段よりも研ぎ澄ましたものに


―――まさに、もうひとりの演出家です。
濱口:石橋さんの音楽自体が画の持っているポテンシャルをさらに翻訳して観客に届けてくれている印象があります。普段映画を作るときにあまり音楽を使いません。毎回、とてもいい音楽を様々な方に作っていただいているのですが、これまではある程度使いどころを絞って使っていました。今回は音楽自体が本当に素晴らしいこともあって、ふんだんに使い、こういう全編に渡って音楽を使った映画もいいなと思いましたね。
 
―――映像も研ぎ澄まされていて、自然描写も多く、長野編ではセリフも極力控えていることも、音楽をふんだんに使うこととの相性が良かったのかもしれません。
濱口:石橋さんの音楽に合わせるということが企画の発端だったので、普段よりも研ぎ澄ましたものでないと拮抗できないという感じがありました。デモ音源をいただいたとき、これと合わせるのなら…と考えました。
 
―――今回は、作品を観る前から『悪は存在しない』というタイトルが強く心に刻まれたのですが、このタイトルに込めた狙いは?
濱口:『悪は存在しない』と付けることで、みなさんは「いやいや、そんなことはないだろう」と思い、そして映画を観ると「おやっ?」と感じるのではないでしょうか。ものすごく大きく言えば、人間世界との間にちょっとした緊張を走らせようとしたタイトルです。
 

■このタイミングでこの作品を撮ったことは、きっとすごく大事なことだったに違いない


―――壮大な企みですね。『悪は存在しない』で一気に違うステージに行かれた印象を受けましたが、濱口さんご自身の手応えや、少人数で厳しい自然の中での撮影を経ての発見があれば、教えてください。
濱口:石橋さんの提案やガイドがあり、今まで撮ったことのないようなものを撮ることができたという気持ちが撮影直後から色濃くありました。それがうまくいくかどうかは分からなかったし、観客の反応も分からなかったけれど、(ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞するなど)大きな反響をいただいて嬉しくかつ、驚いています。このタイミングでこの作品を撮ったことは、きっとすごく大事なことだったに違いないとは思っていますし、自分の体が納得している感じです。その意味合いは数年後、もしくは十数年後に分かるかもしれない。本当に良かったと思っています。
 
―――自然の中は本当にままならないことが多いですし、雪の中の撮影は本当に寒かったでしょう。

濱口:思うままにならないところもあるし、その分巡り合わせというか、恩寵のようにいい光がきたときもあります。いくらいい照明を持ってきても、今回のような場所を全部照らすことはできない。太陽がすっと差し込んでくる時間帯でないと撮れないものがたくさんあったのですが、予備日を取っていたこともあり、ちゃんと太陽が照るまで待つことができました。無理矢理に何かを使って作ってしまうのではなく、思うままにならないものと時間をかけて付き合うのは大事なことではないか。待てる体制を作ることも大事だと思います。
 
―――今、自分たちが向き合うべきことは何なのかと考える中、この作品に出会えたことで、一つのヒントを与えていただいたような感じがします。
濱口:元町映画館はもちろん、お世話になっている関西ミニシアターの各館にお客さまが入ってほしいと思っています。ぜひ、劇場でご覧ください!
(2024年2月8日収録)

<濱口竜介さんプロフィール>


2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も317分の長編映画『ハッピーアワー』(15)が多くの国際映画祭で主要賞を受賞、『偶然と想像』(21)でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グラランプリ)、『ドライブ・マイ・カー』(21)で第74回カンヌ国際映画祭脚本賞など4冠、第94回アカデミー賞国際長編映画賞、『悪は存在しない』(23)でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(最優秀監督賞)受賞と三大映画祭制覇を達成。地域やジャンルをまたいだ精力的な活動を続けている。
Text江口由美

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