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戦争が4年続くのなら

よしりん(吉野敏明先生)が、何かの動画で「戦争は4年続く」と言っていた。このコロナ茶番も4年…2023年の12月くらいまで続くのかと思うと、うんざりする。けど、うんざりしながらこれまで持ち堪えてきた。ということはあと2年強、持ち堪えられると思う。

その間にどれほど多くの人が死ぬだろう。私の家族も、何人死ぬだろう。そのとき私は泣くのだろうか。泣けるのだろうか。

あと2年強でDSは何を仕掛けてくるのだろう。どれくらい体力が残っているのだろう。

覚醒者にできることは何か。2023年12月を仮のゴールと設定した場合、それまでに日々、落とし込んでいけることは何か。

私は、今こそ過去の文学や芸術に触れることが必要だと思う。その理由として、この毒ワクチン戦争が、先の戦争のように利己主義(DS)VS利他主義(反DS)と同じ構図だとしたら、思想の対立なのだから、現代の思想を見直す必要があると思うからだ。明治維新期や第二次世界大戦後に、世の中に浸潤している思想を取り払ったように、私達も今の思想を改める勇氣と度胸、その意味を知るときなのではないか。

以前、Twitterでも発信したが、ここでも以下の書籍を一部、紹介したい。「『大東亜共栄圏』の思想」栄沢幸二著


“「大東亜戦争」は、「文那事変」(※支那事変)に「因由」する。すなわち「帝国主義的侵略の無限拡充の野望」をもつ米英が、日支(日中)間の紛争を「好機」として、日本を打倒、屈従させようとしたところに開戦の原因がある。
米英の「民主主義の擁護」という戦争目的は、究極的には国境を撤廃しようとする「国際的陰謀団」ともいうべき「ユダヤ財閥」の露骨な意図の表明に他ならない。ユダヤは、人類の歴史と伝統とを無視して、民主主義や共産主義を導入しようとしているのである。
イタリアのバドリオ政権の出現(昭和一八年七月二四日)にみられる混乱の最大原因は、国内に「自由主義的勢力の残存」を許した事にある。このことが「国際陰謀団」(ユダヤ)との呼応を容易にし、「厭戦思想」の助長や戦意の喪失を招くことになったのである。
その真因は、まさに思想戦における敗北にあった戦争が織烈化、長期化すればするほど、敵の思想謀略は、深刻背列になってゆくはずである。
わが国は過去七〇年間にわたって西欧の文物を摂取、消化することによって強大になった。
けれどもその反面では、彼らの「思想的侵略」によって国体の尊厳に対する民族的信念の稀薄化や「尊外内卑の自屈的」な態度が生まれた。
またわが国の唯物的功利観に基づく教学方針の結果、思想的には米英への屈従をよぎなくされ、「植民地的文化形態」が浸透、漏漫するようになったのである。
これでは、イタリアの徹を踏む可能性さえある。恐るべきは敵の「思想謀略」と「敵性思想の内包」である。われわれは、天皇の大御心に歌い奉るために、「忠誠一途を念」としなければならない。
真に国民打って一丸となるには、まず「思想信念の確立」を期さねばならぬ。
それがためには「旧慣陋習 (きゅうかんろうしゅう)」を棄てるとともに、「敵性思想」の残りかすを、あまねく洗い落とさなければならない。
このように、彼らも米英のアジア侵略の帝国主義的野望や国内における「敵性思想」の排除という支配層にみられた共通の見解を表明していたのである。
それと同時に、米英の背後でこれを操るユダヤ財閥の陰謀に言及していた点に注目する必要がある。
当時の日本にも世界支配をねらうユダヤ民族の国際的陰謀団フリーメーソンの策謀という、反ユダヤ主義の神話が流入していたからである。”


私達の偉大な先祖は、DS(国際的陰謀団)が思想面の敵だと見抜いていた。そのDSが裏で糸を引き、米英が戦争を仕掛けてきたのも知っていた。それと対抗するために東アジア諸国を叱咤激励し、戦った。そして敗戦した。嘘で塗り固められた教育や価値観を押し付けられ、洗脳されてきた。

「お国のため」「贅沢はできないはずだ」「欲しがりません勝つまでは」「月月火水木金金」などの戦中の標語を、まるで危険で野蛮な思想、忌むべき軍国主義の発想であるかのように学校教育されてきたが、それは違う。大切な思想を護るために命懸けだったのだ。危険どころか、非常に屈強で、慈愛に満ちた言霊だったのだと想像する。

利他の精神、滅私奉公の精神は美しい。美しいだけでなく、恒久的な平和が実現する思想だと思う。

この数十年、やたらやたら耳にする「誰かのためじゃなく、自分のために」「自分を大事に」「自分らしく」という言葉にはポジティブで明るく、力強いイメージが植え付けられている。聞こえがいいようで利己主義に転じやすく、対立軸が生まれやすいという危うさもある。

相手を立て、相手を思いやり、尊ぶことが結局は、自分と社会を幸福で豊かにするのだ。決して自分を見失い、犠牲にしてボロボロになるというわけではないのだ。このような高潔な思想は、強欲にカネを貯め込み、利己主義の極みである支配者、DSには死んでも理解できない思想なんだろう。

DSが蔓延する前の日本、江戸時代の文化を掘り下げたら、利他主義に関わる尊い何かが、見つかるかもしれない。私達日本民族が、どれだけ努力家で、偉大なのかも氣づけるかもしれない。そう考えると、ワクワクしてきた。この戦争が終わるまでに、できることは有る。

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