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わんこ番長

旦那がすでに1回目を接種済みと聞いて、ホッとした面はある。

もうこれで、この人はいつ打ってしまうのだろうかと不安に怯えることはない。この人には何を言っても通じないのだから、私が今後、あれこれ調べる必要はない。説得資料をつくる必要もない。興奮して喘息の発作が出たり、耳痛が始まったり、食道が締め付けられて苦しむこともない。旦那は今月末に死ぬかもしれない選択をしたのだから。

家族三人で公園に出かけ、交代で子と滑り台をする。三人で手をつないで走り回る。夜は食事に出かけ、料理を取り分けながら、あれが美味しい、これが不味いと言いながら笑う。私は自分でも信じられないほど旦那に明るく優しく接していた。こんなに女優みたいなことが、プライドの高い私にも出来るんだと驚いた。

それでも、夜になると辛かった。涙があふれてとまらない。すると、フォロワーのわんこ番長が、明日会おうよと申し出てくれた。私がふざけて「番長」という腕っぷしの強そうな肩書きを与えたのだが、本人はとても華奢で小柄で、目鼻立ちの整った美人である。

私は甘えることにした。ここで遠慮しても意味はないので、すぐにOKした。

私が指定したココスに到着すると、わんこ番長はすでに駐車場で待機していた。高速を使って駆けつけたという。私は、鼻の奥がツウンとした。

私たちは店内に入り、オーダーを済ませると、早速話し始めた。旦那が打ってしまったことが悲しいこと。信頼されていなくて寂しいということ。そんな旦那には幻滅したのに、それでもまだ愛していること。入浴時、子の前で「パパなんか死ねばいいのに」と口走ってしまったら、子の口からも「うん、パパ、死ねばいいのにね」という言葉が飛び出してしまったこと。私はnoteで散々色んなことを、会ったこともない人に発信してきたわりに、自分の身内は誰一人説得できなかったこと。激しい無力感に苛まれて、いっそ私のほうこそ死ねばいいと思ってしまっていること。

私が旦那を説得できなかったのは、私が日頃から旦那に敬意を持っていなかったことが原因だと思う。どうしても尊敬ができなかった。人様の旦那と比べても仕方ないけれど、収入や仕事への姿勢、将来の計画性、夫として、父親として、私は勝手に点数をつけて、ほとんど落第だと判定した。ただ、優しさとユーモアはあったから愛せた。

私は自惚れ屋だから、結婚してやったことを有り難く思えと、ずっと思ってきた。それを旦那も氣づいている。知っている。これ以上妻にバカにされることに耐えられない。だから、何を言われても妻の言うことを退けるつもりだし、受け入れるつもりはない。これは旦那から私への復讐なんだとすら思えた。

そして、旦那を愛しているなら、これまでを反省し、その意識を変えられるはずなのに、変えられそうにないと氣づいた。私は口達者だし高飛車だけど、それでも自分がこれまで耐えてきた生活の一コマ一コマを思えば、旦那への恨み節はとまらない。旦那よりも自分自身の方を大切にしていて、自己愛が強いからだ。だから、旦那が死んで、この生活にピリオドを打てるなら…この負のオーラから解放されるなら…それはそれで幸せなことじゃないか。

わんこ番長は私の思考と行いを、ひとつも責めなかった。ただ話を聞いて、一緒に泣いてくれた。分かるよって言ってくれた。変な話だ。ほんの数ヶ月前まで、一度も会ったことのなかった他人同士が、どうしてこんなところで涙を流し合っているのだろう。

帰り際に、駐車場で私はわんこ番長を抱きしめた。わんこ番長も、それにしっかり応えてくれた。一度とまったはずの涙が、ますますあふれてきた。10月の青い空の下で、女二人がココスの駐車場で抱き合って泣いている。奇妙な絵面だ。私は、つくよみさんのようには出来ない、元子さんには何もしてやれないと言った。これもおかしな話だ。一番そばに居てくれたのは、ほかでもない、わんこ番長なのに。

生まれ変わったら、わんこ番長の奥さんにしてください。男前な番長、並の男は到底かなわない。男より男らしくて、かっこいい。大好きです。