ゲーム病

ずっと遠ざけていたのに、再びゲームをするようになってしまった。

仕事の合間にスマホを開き、無料のシミュレーションゲームをやりだす。何かを育てていく様子を見るのは楽しい。新しいアイテムが登場すると、癒される。

もともとゲーマー氣質な私は、やり出すと昼も夜も関係なく没頭してしまう。次々とステージをクリアしていくのが楽しくて仕方ないし、無心で取り組める対象があることは一つの癒しだと思う。

何より、誰にも氣を遣わなくていいのがいい。ゲームは、自分本位で構わないのがいいところだ。仕事の時と違い、金銭の交渉ごとに氣をもんだり、言葉が通じなくてイライラすることもない。だいたい、仕事のストレスの原因とは、大半は「人」に依る。宇多田ヒカルが何処かで言っていたが、「人と話したくないからゲームをする」のだと、私も思う。

人が嫌いになったわけじゃない。人でお腹いっぱいになってしまうことがあるのだ。もしくは、人を傷つけたくないからゲームに逃れる、とも言える。

なのに最近のゲームってなんなんだろう。スマホのアプリ一覧に沢山でてくるソーシャルゲーム、いわゆる「ソシャゲ」というやつは。オンラインでつながり、誰かと協力しなければステージクリアできないようにできている。必然的に「ありがとう」とか「助かります」とか言わなきゃいけない空氣が出来上がる。コミュニケーションが必要になる。

さらに厄介なのが、ゲーム内で自分の育成してきた成果物を他者に見てもらい、賞賛してもらいたいという承認欲求を満たすべく、課金させられそうになる点だ。これもおかしな話だ。人と話したくなくてゲームを始めたのに、人にチヤホヤされたくてゲームを進行する羽目になっている。

ゲームにコミュニケーションなんか要らない。ゲームはオンラインでなくていい。スタンドアロンな状態がいいんだ。マスターベーションと変わらない。人知れず欲求を満たす、ただそれだけでいい。

昔みたいに、あらかじめハードとソフトを購入して、それを独りで黙々とやるのがいい。誰かに干渉されたり、干渉しなければいけないものなんて、根本がおかしい。本質が間違っている。無料で登録させて、あとから課金する流れに誘導させられるゲームだらけで、おもしろくない。

おもしろくないとかいいながら、手が空くと私はゲームをやりだす。ゲーム病が再発してしまったのだから仕方ない。家事が終わって子どもを寝かしつけつつ、布団の中でゲームをやる。

客観的に見ても、自分は実に間抜けな生き物だと思う。仕事をしていても、「これのキリがついたらゲームやろう」「次のステージは明日中にクリアしよう」とか考えている。そのせいで他のことが疎かになる。今日も、保育園に持たせる荷物を入れ忘れてしまい、子どもが外遊びできなくなってしまった。氣に入っていたストレッチ素材の服を乾燥機に入れてしまい、縮ませてしまった。
そのうち料理をしながら、砂糖と塩を間違えるかもしれない。シャンプーボトルにカビキラーを詰め替えてしまうかもしれない。

ひとまず、今やっているゲームのなかでは極力、無愛想な人でいるように徹している。しかしながら、ゲームの中では愛想のいい外国人が英語で話しかけてきたりする。私も元々は愛想がいいので翻訳アプリを使い、うっかり愛想よく返事してしまったりする。すると別の外国人にまで話しかけられたりする。ユーはそのアイテム持ってるのか、持っていたらミーのと交換してくれだの、ユーが困ってるならミーが助けてやるだの、いろんな干渉を受けてしまう。ほうっとけばいいのに、それに丁寧に、律儀に答えてしまう。

いかんいかん。こんなところにエネルギーを割いてしまってはいけない。私という社会的資産が無駄になるではないか。

社会的資産のために、ゲーム自体をやめなくては。はて、それができるかな?私のゲーム病はかなり進行していて、もはや手遅れである。

ソーシャルゲームにならなければいいんだから、大昔に流行ったゲームボーイでも買おうか。オンライン通信とか、絶対にできないやつ。