コロナの嘘に氣づきたくない家族に優しくした6日間

どうして私の家族は、こんなに勇氣がないんだろう。

実家に滞在中、ずっと思っていた。

こんな疑惑に満ち満ちたコロナの矛盾に氣づいてるくせに、それを指摘する勇氣がないから、マスクを頑なに外さないし、なあなあで過ごしている。両親も。兄家族も。

腹が立つことが沢山あった。悲しい氣持ちになることが沢山あった。残念でたまらないから、特に母親とぶつかりかけたことが何度もあり、そのたびに私が一歩、二歩と譲歩した。譲歩するたびに、私が母親を愛してきた子どもの頃の、他愛もない幸せな記憶の欠けらが、まぶたの奥で浮かんでは消えた。

彼らの怯え方は尋常ではない。人間の目線に怯える愚かで滑稽な自分に氣づきたくない、指摘されたくない、指摘されると寡黙を通すか逆ギレをする。悲しい生き物だ。

えーと、確か、これはナカムラクリニックの記事だったかな?見える人には見えるらしい、天と人間それぞれとが繋がっている糸が。でも、ワクチン打った人には、その糸が切れてしまっているらしい。そういう人は、天とは繋がってないから、生きてるけれど生きてない。その魂は二度と再生できないから、生まれ変わることはもうできないらしい。だから、今生が最後の生、ということだ。

そう思うと、どんなに私の感情を逆撫でされても、そこにエネルギーを割くこと自体が無意味で、非生産的なのだと理解した。感情に任せて、愛する家族を怒鳴りつけたり、泣いて訴えることはできるけれども、相手はもうワクチンを4回も打ってるんだから、そんなことをする段階はとうに過ぎている。哀れで、可哀想な生き物なんだから、私の役目は彼らが生をまっとうするまで優しく見守ってやることしかないのだ。

我慢して、優しくした。
我慢して、話題転換したし、家族一人一人を褒め、熱心に感謝の氣持ちを伝えた。
明るい氣持ちでいられるよう、冗談も言った。
くだらない話で笑いあった。

我慢して、家族からの(異端者という)レッテル貼りを受け止めた。
我慢して、自分の意見を飲み込んだ。
我慢して、家族と向き合わないようにした。
我慢して、泣かないように心に蓋をした。

愛している家族と向き合えない寂しさを、私はあと何日、あと何ヶ月、あと何年飲み込んだらいいのかなあ。

いつの間にか私は家族と言葉が通じ合わない宇宙人に成り果てた。
我が子をダシにしないとコミュニケーションがまともに取れなくなってしまった。

本当に、全く悪氣もなく、今すぐ家族みんなが死んでくれたらいいのになって、心から思ったんだ。
そしたらその魂たちを、私が鎮魂してあげられるのにな、美しい青い花をお墓に生けて、大切に弔ってあげられるのになって、馬鹿みたいに素直に、思えたんだ。