コロナ脳家族を愛せよ

7ヶ月ぶりに帰省した。両親に会いたいと言われたので、会うことにしたのだ。

両親も姉夫婦も兄夫婦も、みんなが私達を温かく迎えてくれた。そして、誰もが私という存在に氣を使っているのが、見てとれた。コロナ脳旦那はともかく、私のことは完全に腫れ物扱いである。私という、コロナを嘘だと罵り、ワクチンを打つなと叫ぶ基地外を、絶対に怒らせないようにしよう、話題を持ち出さないようにしようとしているのが分かった。

彼らは今までと同じようでいて、同じではない。特に、兄はこれまで私にほとんど氣を使ってくれたことがなかった。なのに今回、私の都合に合わせて日程を組んでくれた。姉は、メールしながら、前よりも小まめに私にありがとうを言ってきた。会ったときにも、少し高い声を出して喋っているところから、姉が私の前で少し緊張しているのが伝わってきた。そしてそれに関して、私は氣づかないフリをしなければならないし、笑顔でいなければいけないことにも氣づいた。

家族達の心の声がはっきり聞こえる。

"いいか、よく聞けよ。口論になったら誰も元子には勝てない。氣の触れてしまった元子が怖いだろ?頭おかしくなっちゃったけど、前みたいに仲良くやりたいから、元子を怒らせちゃダメだよ、分かったか、みんな"

リビングではテレビがつけっぱなしになっている。そして、ろくでなしのアナウンサーは、飽きもせず延々とコロナの嘘をばら撒き続けている。さも恐ろしいことであるかのように、さもドラマチックに。何かのアスリートが、大会参加において、ワクチンを打たないことを正式に認められたという報道があった。それに対して、義兄がうんざりした顔をして「それで周りの選手が納得するのかよ」とぼやいていた。その発言から、ああ、義兄はワクチンを接種したんだなということを察した。そして、そんな義兄と平和に暮らしているらしい姉を見て、姉も接種したのだろうと、静かに悟った。彼らの子どもも、おそらく。

姉夫婦と兄夫婦が引き上げ、我が夫も東京の家へ帰って行った。私と子、両親だけが、両親の家でリビングに残っていた。両親は引き続きニュースに釘付けだ。南アフリカのオミクロン云々の糞ニュースを目の当たりにした私は、もう我慢しなくていいやと判断した。

「ばっかばかしい。何がオミクロンだよ。3回目の接種を急ぐだあ?はああああ!?重症化しないために打つ必要があるんだと?なら、そもそも重症化しない子どもには尚更打つ必要なんかないよね。つーか、なんで打った人がこんなに沢山いて、まだ感染者が増えてんのかね。効いてないじゃん。あとさ、前も言ったとおり、私は打たないから。外でマスクもしないからね、よろしく。」

両親は絶句している。そして母は、「怖くないのか」と言ってきた。なるほど、テレビに洗脳されていると、7ヶ月前の私の渾身の説得など、とうに記憶域から消去されてしまっているらしい。そして再び「怖い」という一種の刺激に脳が溺れ、集団ヒステリーに酔い、酔っている状態に安堵し、心底喜んでいる自分自身にも氣づかない。

私は思い切り、力の限り笑ってやった。怖いわけないでしょ、単なる風邪なのに、と言った。すると彼らは真顔になった。そして、急に話を逸らした。もう遅いから子どもを寝室に連れて行って寝ろという旨を、遠回しに言った。私は大人しく言われた通りにした。

哀れな両親、哀れな生き物だ。まともな人間の言葉が通じない。こんなに愛しているのに。こんなに大切に思っているのに。私が生まれたときからずっとずっと、明るくて賑やかで笑顔の絶えない、とても仲の良い家族だったのに。悲しいけれど、もう涙も出ない。7ヶ月かけて、今この事実を私が受け入れるだけの準備が整ったということか。旦那のみならず、両親もきょうだい家族も失うかもしれない、糞みたいな運命に。

家族は3回目を接種する氣だ。そしてそれを私も止められない。止められない自分を決して責めないし、冷静に受け止められるイメージがピシッと出来た。

そうか。ピシッと出来るようにするために、今回の帰省が必要だったんだな。急に、帰省の意味を知った。

家族の誰かが死ぬこと、および重篤化することは有り得るのに、大丈夫なような氣がした。そうなる理由に根拠はない。ただ、これだけ多くに絶望し、辛酸を舐め、鍛えられて成長した私が今、泰然自若としてここに居る。そんな私が放つ強烈なプラスオーラが、この愚かな家族のマイナスオーラなど、束になってかかってこようが負けるわけがない。強く強く、そう感じられる。私はこのnoteで多くの人に育てられた。尊いやり取りが数え切れない程あった。闇を、光が全て飲み込んでくれる。

コロナが何だ。ワクチンが何だ。誇り高い私が、愚かな羊の10匹や20匹、護れないわけがないだろう。

私はもともと自己愛が強かったが、ここにきてますます自己評価が高くなった。方法論はただ一つ。どんな愚行や愚問にも感情が乱されなければいい。腰を据えて、背筋を伸ばして、とびきりの笑顔でいればいいのだ。

どう考えても、コロナ脳家族の心配の種なんてウンコ以下のゴミ以下、糞糞糞の糞、風の前の塵に同じである。私のこれまでの苦悩に比べたら、巨人とアリくらいの差があるだろう。

愚かで愛すべきアリ達が、目の前にいる。そのアリ達が、救いの手を求めて今なお、毒ワクチンに群がる。言葉は永久に届かないから、長い期間、見届けるしかない。見届けることのできる己の胆力を、誇らずにいられるだろうか。否。私は自分が誇らしい。ビビりなくせに負けん氣が強くて、ヘナチョコなくせにプライドが高くて、泣き虫なくせに勇敢な自分が愛おしい。

そして、氣の触れた家族のことが、心から愛おしい。上っ面な会話で笑い、腹の中では理解し合えないことを苦しみ、だけど勇氣を持って愛し合おうともがいているこの現実を、鼻で笑ってやることにする。