警官にぶん殴られても〜亡き祖父への手紙〜

おじいちゃん、元氣ですか。おじいちゃんが天国へ召されてから、もう20年も経ちますね。

おじいちゃん、私は今こそ、あなたに逢いたいです。きっとおじいちゃんなら、理解してくれると思うからです。家族も世間もコロナの嘘に騙され、目覚めません。私は無力です。無能です。あんなに心を砕いたのに、届かないことがあるのかと、苦悩しています。

大正生まれのおじいちゃん。あなたの父、ひいおじいちゃんが早くに亡くなって、まだ9歳だというのに長男だからという理由で、家族の大黒柱になったんだよね。5人兄弟の長男として、母であるひいおばあちゃんを助け、幼い弟妹たちを護ってきたんだよね。
未亡人のひいおばあちゃんに、夜這いしようと訪れる不届き者を追っ払うのも、骨が折れたことでしょうし、傷つき、憤ったことでしょう。

おじいちゃん。私はひいおばあちゃんの昔のことは知らないけれど、近所のボス的存在だったというのは聞いたよ。背が高くて自称「俺」だったし、男勝りで、とても愛情深い人だったというのも知ってる。

ひいおばあちゃんが近所の人達をたくさん助けたと、後から聞いたよ。お乳が出なくて困ってる経産婦が、赤ん坊抱えて訪ねてきたら、代わりに授乳してやったんだってね。自分の子が寝ている時間帯なら、授乳してやるからと言って。その赤ん坊だった人、ひいおばあちゃんのお葬式に来たんだってね。そのとき50代くらいのおじさんだったのかな、その人は。香典持って、涙を流して頭を下げて、帰って行ったんだって。まだ粉ミルクがまともに出回っていない時代、ひいおばあちゃんがそのおじさんの命を繋いであげたんだね。

あと、こんな話も聞いたよ。近所の子どもが、お腹が空いて空いて、でも何も食べ物がなかったとき、薬棚の薬を食べちゃったって。タイガーバームか何かだと聞いた。ひいおばあちゃんがそれを聞きつけて、家に呼んで、ご飯を食べさせてやったと。ああ、ひいおばあちゃん、情け深く、面倒見のいい姉御肌でいてくれてありがとう。おじいちゃんは、そんなひいおばあちゃんを横で見ていたから、弱きを助ける精神が自然と育まれていたんだと思う。

おじいちゃん。戦後に、まだお米が配給制だったとき、闇米を売って生計の足しにしていたんだってね。警官に問い詰められ、殴られ、鼻血を出しても、シラを切り続けたんだってね。

近隣では栄養失調の住民が大半を占めるなか、でっぷり太った警官なんかに、真実を話す氣はないと腹を括ったあなたを、私は尊敬せずにいられない。公務員だけが優遇される世の中なんておかしい。飢えてる人に手を差し伸べようとしない世の中なんておかしい。私はね、あなたのことが誇らしくて誇らしくて、涙が出てくるの。この涙は、嬉し涙なのです。あなたの孫でよかった。あなたの血を受け継いでて、本当によかった。そうやって家族を護ってくれてありがとう。おかしいことをおかしいと態度に表せる勇氣を持っていてくれて、本当にありがとう。

おじいちゃんとの、二人だけの時間が懐かしく思い出される。いつも2階の和室で、日本画を描くのが趣味だったよね。世界中を旅行して、写真を撮っては、帰国すると家で模写していたね。私はね、パルテノン神殿の絵が好きだったよ。ラメセス2世や長江や、タージマハルもいいね。絵が上手なだけでなく、手先が器用で、五右衛門風呂のジョロ板も、室内の物干し台も、お盆の時期に飾る盆棚も、みんなおじいちゃんがつくってくれたんだよね。本当は宮大工になるのが夢だったし、その才能は十分あったのに、自分は長男だから、ひいおばあちゃんや弟妹を支えなくちゃいけないから、諦めたんだよね。

おじいちゃん。おじいちゃん。今すぐあなたに会いたい。会って強く抱きしめてもらいたい。お前は今のまんまでいいんだよ、そのまま頑張れ、胸張って生きろと励まされたい。

私の祖父でいてくれてありがとう。私に、ギリギリのラインで生きる苦しさや、生きる喜びを教えてくれてありがとう。あなたが居なかったら、私はこの狂乱に満ちた世の中で、二本の脚で立っていることは、とてもできなかった。あなたが居なかったら、こんなに心が折られ続けても、再生できなかった。いつもね、ここのnoteの同志に支えられ、慕ってもらえているのは、私の胸にあなたが生きているからです。

おじいちゃん。あなたの生き様は美しかったよ。あなたのことを愛していました。今ももちろん、心から。ええ、心から愛しています。「俺の人生、後悔はねえ」って最期に言って息を引き取ったおじいちゃん。私もいつか、警官にぶん殴られ、鼻血出すようなことがあっても、抵抗するよ。そしていつか、私も「後悔はねえ」って言いながら、死んでみせるよ。