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「ニコラ・テスラ 秘密の告白」を読んでみた

これはテスラの自伝である。読んでみたら面白かった。しかし、内容の99%は理解できなかった。私は全くの文系で、テスラのような理系ではないから、そもそも交流電流と直流電流の違いが分からない。なぜエジソンをバカにするのかも分からない。

ただ、現在のように電線ではなく、無線で電力を飛ばす技術や、世界のどこでもエネルギーをほぼ無料で使える「世界システム」の構想、フリーエネルギーがとんでもなく凄いことなのは分かる。だから、石油業界やマスコミ業界を牛耳るDSから敵視され、排斥されてきたのも分かる。

ただ、読みながら途中で気づいた。この本の読み方は、一言一句を追って読むものではなく、分からない部分は分からないまま放置して、全体を俯瞰しながら読む、ということだ。これならストレスがたまらない。

それに、分からないものを分からないと言って一蹴するのは、「コロナが茶番なわけないだろう。ワクチンこそ人類の希望」と盲信して耳を貸さないコロナ脳と大差ないではないか。

だから、それなりに頑張って読む。どれだけ頑張って読んだかと言うと、読みながら5分で空腹になることだ。通常の書籍なら空腹にはならない。つまり、頭を使って必死で理解しようとすればするほど、私の脳は糖質を欲し、加速度的に空腹になるのだ。

テスラが「凄い」理由がなぜなのかは、幾つか理由が挙げられる。テスラは自分を謙遜することなく、非凡な存在であると認めている。天才発明家なだけでなく、努力もできる。どれくらい努力ができるかと言うと、学生のときに両親を驚かすため、午前3時から午後11時まで勉強し倒した点(勉強のし過ぎて死んでしまうと教師が心配して、両親に手紙を送っていた)は、良い例だろう。

また、到底、他人には理解できないような身体能力を有していたり(三軒隣の家の時計の秒針の音を捉えるほど異常に聴力が優れていたり、60歳を過ぎても視力測定で一番小さな指標まで楽に見えたことなど)、何気ない出来事や命の危険が差し迫った状況のなかで、後の発明につなげている点(川で溺れかけながら、水力学の原理が閃いて溺死を免れたことなど)も、ただただ驚嘆するしかない。

この本の良いところは、内容が難しくても飽きないところだ。このテスラという人は、人生に一秒たりとも退屈をしたことがないからだ。

自分が天才であることを自覚し、それに時代が追いついてこないことも自覚し、一瞬一瞬をほくそ笑みながら生きている。もちろん病気で苦しんだり、仕事上のジレンマで思い悩んだ時期はあったにせよ、彼の人生は充実していた。充実という言葉だけでは表現が足りないほどに。

常に思考し、思考することが楽しすぎて、しかし、楽しすぎるあまりに超高速スピードで生涯を閉じたようにも見受けられる。常に掘るべき土が目の前にあって、それをコツコツと掘っていくモグラのようである。しかも、このモグラは硬い岩盤に突き当たってもめげることはない。なぜ硬いと掘りにくいのか、どうしたら前進できるのかを、最初からクリアする前提で思考し、対処している。

圧倒的な熱量というべきか。生命エネルギー、プラスの波動に満ち溢れている。読みながら、19世紀のクロアチア人のテスラから、21世紀の日本に住む私自身に延々と微弱な電気ショックを与えられていた。私自身の中にある、つまらないマイナスな感情が脳内から取り上げられ、よく洗われ、日干しされて、完全に滅菌された挙句、光り輝くプラスな感情として、再び脳内に据え付けられた感覚だ。マイナス100点だったのが0点になり、プラス100点になったことから、200点分のはたらきということだ。

ところどころに、ユーモアのセンスも垣間見えて、そこもまたテスラの人間的な魅力のひとつである。稼いだ金はすぐに使い果たしてしまい、「月末の29日間がたいそう苦しい」などと言ったりする。

そしてラストがいい。本当にいい。

「科学者の仕事は将来に向けて木を植えるようなものだ。そしてその義務はこれから生まれてくる人たちのために基礎を据えつけること、そして方法を示すことだ。科学者は日々暮らし、研究し、詩人とともに希望を抱くのだ。その詩人の詩(うた)に耳を傾けよう」

“私の日々の手仕事を
天よ、いつか完成させてほしい!
日々の努力に倦むことなく!
それはけっして無謀な夢ではない。
今は細い茎にしかすぎないが、
いつか樹になり、木陰を恵んでくれる。”

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