コロナじゃないから、風邪だから

数日前の、ある夜。我が子が咳をしていた。布団がかかってないのでかけてやった。

午前7時。
子を抱き上げると、体が熱かった。これは熱があるな…風邪ひかせてしまった…!

頭の中で警報が鳴る。以前と違って、単なる風邪では済まされない、イカれたご時世である。何より、コロナ脳の旦那にバレたらヤバい。家族に発熱した者が現れた場合、会社に報告義務が発生するという。どうせ旦那のことである、子を病院へ連れて行ってPCR検査しろだの、検査結果出るまで俺は出社できず待機だの、寝言を言うに決まってる。そして陽性なんかになった暁には、私も旦那も濃厚接触者扱いにされ、外出禁止にさせられるんだろう。挙句の果てには、小池百合子に無症状の感染者専用の檻にぶち込まれるかもしれない。


そんなことはごめんだ。馬鹿どもの馬鹿騒ぎになど付き合っていられない。絶対に従ってたまるものか。

それに、この日は子が楽しみにしていた発表会当日だった。保護者達は糞コロナのせいで観に行くことはできないが、お友達と衣装を着て、一生懸命練習したお歌やカスタネットの演奏を、ビデオカメラの前で披露する、ハレの日である。

熱を下げることに成功し、本人が行きたそうなら、行かせてやりたい。いや、本人の意思云々の問題ではない、行かさなければまずい。こんな日に休むなんてよほど重症だと、保育園側に勘繰られるのも厄介だからだ。何より、熱があって行けませんと電話なんかしたら、PCR受けろ受けろと大合唱されるに決まってる。

7時5分。
熱を測ったら37.9℃だった。うん、これは微熱では済まないな。どうしようか。旦那はまだトイレに行ったり、タバコを吸いに行ったりしている。このスキに解熱剤を飲ませよう。

コロナ騒動の嘘に氣づいて以来、大した風邪をひいてなくとも、私は子を小児科に連れて行くようになった。まず、小児科に行って、熱はないけど鼻水や咳が出る、と申告する。すると、普段から素っ気ない医師はすばやく風邪薬を処方してくれる。そしてここからが肝心だ。

「先生、今は大丈夫だけど、また、診療時間外に熱が出るかもしれません。解熱剤も処方していただけませんか」

これを言うと、必ず解熱剤を処方してもらえる。医師からは「そうだね、お守りがわりにね」と言ってもらえるだけだ。面倒は無い。

この解熱剤が欲しくて小児科に行くのだ。市販の解熱剤と違って保険適用されて無料だし、本人の体重に見合った分量で処方してもらえる。それをいざというとき、家庭でストックしておくのだ。

そのストックした解熱剤は、子が熱を出すたびにこっそり、旦那に隠れて飲ませてきた。ストック分が無くなると、子を保育園から早めに連れ帰り、小児科で補充する。こうやって凌いできた。

そしてこの日もそれをやる日だった。しかし、薬が効くまでに旦那にバレないように凌がなければならない。どうするか。

7時10分。
子は薬がまずいのと、眠いのとでぐずった。なので抱き上げて、リビングのソファに座った。抱っこしてなだめているうち、薬が効いてきて寝てしまった。私もそのまま、寝たふりをし始めた。

7時20分。
旦那がリビングのドアを開けた。我々母子の姿を見てか、「おっ」という声が聞こえる。子は静かに寝入ってる。私も引き続き寝たふりをする。少しすると居なくなったのを、薄目を開けて確認した。身支度しに行ったのだろう。

7時40分。
再び旦那がやってくる。なにやらコーヒーのいい香りがする。多分、この香りで私と子を起こすつもりなんだろう。私はそれでも、寝たふりを続けた。子は私にしがみついて、ぐっすり寝入っていた。

7時55分。
旦那が私の腕を揺すった。そろそろ起きなよ、と言う。どうしよう。子の体は汗をかいてきたが、まだ熱い。子に触られたらまずいな。生理痛でしんどいとでも言う?だからソファで休んでるんだと嘘つく?いやいや、こないだ生理痛だと旦那に言ったばかりだし。少し考えてから、目を開けずに小さい声で囁いた。

「排卵痛がひどくてお腹が痛い。ちょっと今日は、玄関までお見送りできないよ」

旦那はそうなんだ、と言った。排卵痛が何とやらも分かってなさそうだから、これでいい。すると子がもぞもぞしだした。パパにいってらっしゃい言うの、と寝ぼけながら言った。万事休す。旦那が子の手を握った。熱がある手を。

ヤバい。氣づかれる。どうしよう。薄目を開けて、固唾を飲んで見守った。

すると旦那は立ち上がって、行ってきますと言うと、リビングのドアを閉めた。玄関で靴を履く音が聞こえる。パタンと玄関ドアを閉めて、出て行った。

8時。
やった。乗り切った。第一関門突破である。旦那は子の発熱に氣づかなかった。なにぶん、子どもというのは寝ている時はとても手が温かい。しかも私にぴったりくっついていたから、その手が温かいのは平常通りと思ったのだろう。

私は自分の体を少しずつずらし、ソファから立ち上がった。子は変わらずソファで寝ている。体温計を再び持ち出し、検温した。37.2℃まで下がった。よし。

ごめんね。38.5℃以上あるならともかく、本当なら解熱剤なんか使いたくなかった。熱が出るのは、体が菌をやっつけるための、必要な生理現象だもんね。だけどね、今は戦時下なんだよ。その熱が、家族の命運を左右するの。

8時5分。
普段なら朝食を終えてお着替えしている時間だが、もう少し寝かせることにした。保育園に行くにしろ、お休みさせるにしろ、判断するまでにまだ猶予はある。

子が保育園に行けないとしたら、どう言い訳する?保育園には、熱、とさえ言わなければいい。熱はないんですが咳がひどいんで休みます、と言うか。うん。それだな。それで本人の熱が下がってから、小児科へ行こう。新たな解熱剤をもらうために。

子が保育園に行けるとしたら、どうする?汗びっしょりの下着は全部、取り替えよう。髪は結んでいけば目立たないだろう。咳対策に、マスクをいくつかバッグに入れて行けばいい。発表会の撮影はきっと午前中だけだろうから、お昼食べてお昼寝済んだら、早めに迎えに行こう。

8時30分。
子を起こした。ぐずるかと思ったらわりと素直に起きた。汗びっしょりで、熱は37.0℃だ。
食欲はあるのか。なければ保育園はやめにしようと思ったが、子は私の膝の上で、むいたリンゴをしゃりしゃり食べ始めた。それと、茹でたうどんを相当量、食べた。水もよく飲んだ。さらに、いつも通り元気におしゃべりをし始めた。保育園で今日が(練習の)最後なの、保育園でおやつ食べちゃうの、と言ってにこにこ笑い出した。それとともに、子の体の熱がどんどん冷めていくのが、私の腹や太ももや膝を通じて感じられた。

我が子に対して申し訳ない氣持ちと、頼もしい氣持ちが入り混じって、泣きそうになった。こんな時代で、ごめんね。強引で、ごめんね。コロナ脳のバカな父親で、ごめんね。そんな父親を説得できない母親で、ごめんね。「前代未聞の恐ろしい」コロナじゃないから。単なる風邪だから。ごめんね。頭の中で繰り返し謝った。

9時10分。
子の身支度を済ませて、保育園に送り届けた。開園時間ぎりぎりである。保育士と同級生たちが笑顔で迎える。私は荷物とマスクを預けて、保育園を後にした。

15時過ぎ。
いつもより早く保育園に迎えに行った。子はさいわい、咳もせず元氣である。園の玄関先で、発表会でやった踊りと歌を披露してくれた。

その後、小児科に行った。次回用の解熱剤をもらうために。