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楽しいことは楽しいんだと思い出せ

糞コロナ騒動のせいで、実家の家族の雰囲気がなんとなく暗い。マイナスオーラぶりに失笑した。以前はとても明るい家族だったのに、コロナに怯えているのがはっきり分かる。

普通に楽しめたことも、その楽しみ方を忘れてしまっている。うちの旦那にも同じことが言えるが、コロナ脳というのは自分から自分の生活を不幸にしてしまう生き物なんだなと、つくづく呆れた。

楽しいことを楽しいと思い出してもらうために、パズルをやることにした。随分前に姉が、両親に遊んでもらうために買ってきたものである。両親は「目が疲れる」といってやろうともしない。コロナ以前はわりと積極的にパズルで遊んでおり、リビングの壁にも花のパズルが飾っていたほどだったのに。

たかがパズル、されどパズルである。このパズルに描かれている建造物はフランスのモン・サン・ミシェルである。500ピースあり、リビングのコタツの上で遊ぶにはちょうどいいサイズ感だ。

完成図

まずは私が青系の空エリアのピースと、建物エリアのピースに選別した。私が選別を一生懸命やってる間、姉は一片がまっすぐのピースで外枠を作り、外堀を埋めた。選別ばっかりで楽しくない、私もパズルはめたいと適当ないちゃもんをつけると、姉が、あんたもやればいいじゃんと言って笑う。

私は、選別をきっちりやっとかないと、対象箇所にどのピースが候補として絞られるのか分からなくなるから嫌だ、とムキになって言い返す。すると姉は、選別なんかやらなきゃいいじゃん、何となくはめていけばいいじゃんと言って笑う。そこで私は、選別しないと脳が混乱する、私は要領が悪いんだから仕方ないだろと、逆ギレしながら笑う。

そんなやりとりをしながら、我が子が外遊びに行きたいというので、パズルを中断した。

翌朝、両親は仕事に出かけた。姉の訪問はない。私はモン・サン・ミシェルの、我が子はすみっコぐらしのパズルに熱中する。外は寒くて風が強い。絶好のパズル日和だ。

私は前日に空エリアと建物エリアに選別済みだったピースを、さらに細かく選別した。空エリアは上空の青紫エリア、中空の青エリア、地面に近い水色エリアに、建物エリアは明るいエリア、暗いエリア、水面エリア、草エリアに分けた。

こんな選別作業の何が面白いんだと姉は笑っていたし、自分でもそう思っていたのに、やればやるほど面白いと思うようになった。こうすると混乱や迷いが少ないし、何より観察眼が研ぎ澄まされる。似ているようで似ていない色味、輪郭がくっきりしたりいるものとぼやけているものの差など、それぞれのピースの個性が明瞭になり、とても楽しい。

側から見たら根暗極まりない、地味な作業である。それを、心ゆくまで楽しんだ。もともとゲームに熱中するタイプの私は、言葉を発することなく黙々と単純な作業に没頭するのが、この上なく好きである。我が子もすみっコぐらしのパズルに飽きたのか、モン・サン・ミシェルのパズルピースを適当に繋げて遊んでいる。普段なら「ママ、見て見て!」とか「ほらね、すごいでしょ」などと言って私からの賞賛を乞うが、それがない。きっと本人も、パズルの魅力に取り憑かれているに違いない。

ここまでやって、姉にメールを送った。ほら、昨日は外枠しかできてなかったのに、建物エリアがだいぶ出来たぞ、と。完全に我が子が私に「見て見て」と言うのと同じ構図である。すると姉は「やること済んだらそっちへ向かう」と言うではないか。ここまで妹に進められてしまうと自分もやりたくなるのだろう。

母は、「ふうん」という感じで横目で見るばかりで、乗ってこなかった。父もほとんど関心がないようだった。まだまだ私のパズル熱は伝わらないようである。

姉が来るまでに、子と外遊びをしながら過ごしていた。そのうち甥が帰宅して、一緒にパズをやり出した。純粋な少年らしく、かなり集中している。オミクロン株よろしく、彼には私のパズル熱がしっかり伝染したらしい。

建物エリアが完成

姉が実家に到着して、さらに母が同時間帯に帰宅して、二人はパズルの出来具合を見て爆笑していた。こんなに真剣になって取り組んでいる私達のことがおかしかったらしい。そして、建物エリアが出来上がってしまったことを惜しんだ。姉は、そのエリアが1番面白いから、もう一回崩して私にやらせろと言い出した。私は、そんなの絶対にダメだと反対した。そして、私が自宅に帰ったら続きの空エリアをはめて完成させろと姉に言った。

自宅に帰る日の朝、写真は撮り忘れたが、パズルはさらに埋まっていた。聞くところによると、深夜2時半まで両親がパズルをやっていたらしい。

なんだ。両親はつれない態度だったくせに、しっかりパズル熱に感染しているじゃないか。コロナに感染するより、よほど楽しそうである。そうそう。熱い思いは伝染するんだよ。それがたとえパズルだろうと何だろうと、誰かが一生懸命楽しんでいると、やってみたくなるものなんだよ。

パズルの完成図は見ることなく、私は帰宅してしまったが、それでいい。きっと両親は、パズルを1ピース1ピースはめていく楽しさを、心ゆくまで堪能しているに違いない。