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ティー、ティーグヮー、ティージクン

山田辰雄は本部朝基の直弟子である。戦後、日本拳法空手道を開いた。山田氏の「武道としての空手」(昭和30年)という寄稿文に以下の一文がある(注)。

空手の名称とこの武道に就いて
私共は沖縄の名称では、テージクン(手で突く)、テーグワー(手小、即ち小(グワー)とは愛称であり、御手(おて)とか御技(おて)即ちあの手この手とか、得意手とか云う如く技術の意味であって雲上(ウンジュー)<目上の人の呼方>の手小(テーグワー)を習わしめ賜れとか云っている如くである)とか習ったけれども、現今は空手と云っている様であるが、以前は富名腰(今は船越と云っていられるが)先生も古い著書では唐手(からて)と称していられる。

山田辰雄「武道としての空手」

手(ティー)が空手の古称であることはよく知られているが、上記によると、昔はそれ以外にも手小(テーグワー)やテージクンと言ったようである。以下では、より方言の発音に近い「ティージクン」の表記を用いる。

ティージクンは、一般には拳(こぶし)を意味する沖縄方言である。しかし、山田氏は「手で突く」の意味だと書いている。実は、沖縄学の碩学・真境名安興もティージクンの語源は「手突くん」、つまり日本語で「手で突く」の意味であると書いている。

この説が正しければ、ティージクンはもともと「手で突く」という意味であった。それが時代を経るにしたがって、拳の意味に変わったということになる。

さて、肥後(熊本)の某藩士が書いた『薩遊紀行』(1801年)という紀行文がある。それによると、薩摩で聞いた話として、琉球人は剣術やヤワラの稽古はするが「手ヌルキモノナリ」という。つまり琉球人の剣術や柔術はあまり上手ではない。しかし、突手には優れていて、それは「手ツクミノ術」と呼ばれていると書いている。

この紀行文は近年翻刻されたものであるが、「手ツクミ」の「ミ」はどういう意味であろうか。「ン」の翻刻ミスの可能性も考えられるが、いずれにしろ、手ツクミが手ツクン(突くん)へと音韻変化し、さらにティージクンへ変化した可能性が考えられる。

『薩遊紀行』にはさらに「上手ニナレハ指ヲ伸シテ突ヨシ」、即ち上手になれば、指を伸ばして突くそうである、と書かれている。してみれば、この当時(1801年)、すでに指で突く貫手(ぬきて)の技法もあったわけである。

本部朝基は「ナイハンチは昔は平手(開手)であった」と述べているが、型でも古流型と思われるものほど開手を多用し、時代が下るにしたがって握拳に改められたふしがある。上原先生も本部御殿手は本来は貫手が主体である、と語っていた。おそらく空手が学校体育に導入された明治30年代を中心として、開手から握拳への大きな変化があったのであろう。

いずれにしろ、空手を意味する沖縄方言のティージクンは19世紀初頭にはすでに同様の意味で使われていた可能性があるということである。

2016年1月4日、アメブロで元記事執筆。
2023年4月11日、加筆修正、noteに移行。

注 山田辰雄「武道としての空手ー基礎練習法の一部ー」、大家礼吉『空手の習い方(実用百科選書)』金園社、1955年、276頁。

参考文献:
小沼保編著『本部朝基と山田辰雄』壮神社、平成6年。

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