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糸洲安恒の改変

筆者は以前、「ナイハンチの変遷」という記事を書いたことがある。そこで、糸洲安恒の弟子のナイハンチの写真を比較して、松村宗棍にも師事した糸洲先生の初期弟子と、糸洲先生のみにナイハンチを習った後期弟子との間には、顕著な差異があると指摘した。

型の源流を探究する際、とくに首里手の場合、この糸洲先生による型の改変は避けて通れない問題である。

さて、近年、摩文仁賢和先生が戦前、雑誌に投稿した「日本武士道の一分派として確立せる空手道」(注1)という記事が復刻されたが、そこではこの問題がより詳しく述べられている。

そこで、摩文仁先生は以下のように述べている。

糸洲安恒先生は首里の松村先生、那覇泊の松茂良先生、城間先生、長濱先生等の大家諸先生について空手の形を専門に研究せられたのであるが、我々が教えを受けた形は全然松村先生の形でも無なければ松茂良先生の形でも無く全く新機軸によるものであった。

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そして、続けて以下のように記している。

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