私がAV女優になったきっかけ~HSPとの戦いの始まり~

期間が空いてしまい申し訳ありません。1つ目の記事を書いたあとに当時のことを思い出してしまい、躁鬱と診断されました。

やっと落ち着いたので2つ目の記事を書きます。

『私がAV女優になったきっかけ』

専門学校を卒業した私は就職のため地方から上京しました。

上京して数日、引っ越しも落ち着いて憧れだった渋谷に買い物に行くことに。田舎町で育ったので東京の高いビルやおしゃれな人たちはとてもキラキラして見えました。

あの日あの時間にあの道を通らなければこんなことにはならなかったと思うと今でも心が締め付けられます。

109を目指して歩き、手前の交差点で男の人に「仕事を探していないか?」と声をかけられました。東京に慣れている人なら当然のように無視するのでしょうが、初めて東京に来て数日しか経っていない田舎者は無視するなんて概念すら頭の中になかったです。(あとから知りましたが、あのエリアにはAVのスカウトマンが多いようです。この男を以後Hと記します)

「◯◯の仕事をするために上京してきました」と伝えると、本職やりながら稼げる仕事もあるよと言われ、「大丈夫。大丈夫。」と何度も言われ断ることもできずに渋谷から数駅のマンションの一室に連れて行かれ、派手なおじさんと優しそうなおばさん(プロダクションの社長・以後Kとマネージャー・以後N)が出てきました。

不安そうな私の表情を見て、具体的な仕事内容は言ってきませんでしたが「大人の仕事」とだけ言われました。声をかけられたときと同様に断るという概念が頭の中になかったので、きっとなんとも言えない答えをしてしまっていたのでしょう。

優しそうなおばさんだけが部屋に残り、カメラで下着姿の写真を撮られました。

そして数日後に電話がかかってきて、一方的に撮影日を告げられました。

150cm以下のいわゆるロリ系AVとして単体デビューが決まった瞬間でした。
今はAV人権倫理機構が立ち上がり、AV女優を守る体制が整ってますが当日はまだザル管理で、契約書もよく読まされないままサインをさせられ本職が休みの土日に撮影が組まれました。

賢い子や気の強い子はきっといつでも断れるのでしょう。しかし幼少期にいじめに合っていたり、地方から出てきたばかりの子は押しや流れに負けてよくわからないまま裸やセックスの姿を撮影されてしまうんだなと思いましたが、少しでも辞めたいと言えばマネージャーが態度を変えて圧力的な言葉をかけてきます。(いずれまた記事に書きますが、ピルを飲むことを押され中出し作品にも出演させられました。)

こんな感じでよくわからないまま初めての撮影では1日で2回の本番と1回のフェラ抜きをしました。トントン拍子で撮影が進むので嫌だと思う暇も拒否をするタイミングもありませんでした。

撮影後に手渡しで30万ほどのギャラを渡されました。撮影後こんな仕事だとは思っていなかった、友人にバレてしまうのが不安だとマネージャーに伝えましたが、こういうのはおじさんしか見ないから大丈夫、と言われました。

しかし発売日には地元の同級生全員に広まり色々な友人からジャケットの写真が送られてきました。30万のギャラを手にしたと同時にほとんどの友人を失いました。デビュー作が発売されたときには既に3本の撮影が済んでいました。事務所側も女優が販売差し止めを求めてもそれが複数本分の違約金となれば折れると考えているため、デビュー作の発売日前に複数本撮り終えるのは通例のようです。

語彙力がなくごめんなさい。これが私がAV女優になったきっかけです。

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