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元井さんの35歳彼女いない歴=年齢からの非モテ脱却戦略 第1回『35歳彼女いない歴=年齢から結婚した男』

この記事はWEBメディア洒落男子で連載していた記事を記事ページ消失にともなって改稿してnoteに掲載しました。

残りの連載回も改稿してnoteにアップします。



〇初めまして、元井さんと申します

洒落男子ユーザーのみなさま。はじめまして。「元井さん」と申します。

正式名称は元(中年彼女いない歴=年齢のアラ)イさん(twitter:@BeVi56174065)、だった人です。

名前の通り、アラサーからアラフォーになる35歳になるまで彼女ができなかったアライ(グマ)さん、だった人です。今は人間です。

普段はTwitterで非モテの克服の仕方や、コミュニケーション、人間関係の作り方についてツイートをしたり、自分のnote(https://note.com/motoarai)にTwitterのまとめとして記事をアップしたり、非モテ男性のコミュニケーションの練習場や自助会のようなものとして「非モテオフ会」を主催しております。昔の自分のような非モテ男性を一人でも減らせたら、過去の自分の苦しみや辛さに報いられるんじゃないかと思い、こういった活動をしています。

ご縁があってこちら「洒落男子」に連載させていただくことになりました。

〇「モテる技術」に非ず

自分がこの連載でお話しようと思うのは、決してモテモテになってたくさんの女性と付き合えるようになったり、セフレが作れるようになるといったようなノウハウ、知識、テクニックではないです。

自分自身がそういったモテモテで、たくさんの女性と付き合ってきたセフレもいるような男“ではない”からなです。自分ができない事は人に教えることはできないです。

ただ、彼女いない歴=年齢のまま35歳、つまりいわゆる35歳限界説(※1)のそのラインぎりぎりまで非モテだった自分が

社会人になってから三十路近くまで新しくできたリア友0人、女性との出会いも無し、もう仕事とオタク趣味しかないという陰キャオタクな男(そのうえADHDで仕事の大失敗とストレスから双極性障害になった)自分が自力であがいてなんとか手にすることができた、たくさんの生の情報、経験、知識、技術。

どれもこれも「もう少し早く知っていれば5年、いや10年、15年早く彼女が作れて、あんなに辛く苦しい思いをした時間は経験しなくてよかったのに…」おいうもので

けれど運が悪ければ「もしかしたら一生気づけなかったかもしれない」と思えるものばかりでした。

つまり、この情報をここで発信できれば、自分のテキストを読んでくれたみなさんの非モテ期間を5年、10年、15年は短縮できるかもしれない。

そういった「モテる男」になる方法ではないけれど、好きな女の子と仲良くなって彼氏彼女になる、そういう心構えやコツ、工夫の仕方などをこの連載で書いていければと思っています。

(※1 35歳限界説:2010年の国勢調査の結果、35歳を過ぎてから結婚できた男性は3%。そこから婚活界隈ではまことしやかに35歳が結婚を望める限界ラインだと語られています)

実績として、自分の非モテオフ会参加者やメソッドを参照してくれたから何名も“初めて”の彼女(もしくは彼氏)を作る事が出来た男女がいます。まったくの思い込みやでたらめを発信しているわけではないと思っています。コロナウイルスの大流行がなければ!これさえなければ非モテオフ会ももっと頻繁に開いて、恋活婚活応援イベントなどもっと積極的に主催して実績人数をふやせていたのに…という気持ちが強いです。

しかしここは切り替えてコロナウイルスが収束するまでは、その「緊急事態」でもできるやり方というのを発信できればと思っています。(実際、非モテオフ会からの初彼女を作った方たちはコロナ流行下で初彼女ができました)

恋愛工学や、モテる男が教える「女を落とすやり方」「女とSEXできる方法」などは教えることができませんが

「普通に恋愛ができて(しまって)いる人たち」が当たり前にやっていて、けれど”当たり前すぎて”言語化できないものを、丁寧にお届けできるかと思います。これだけは自信をもっていえますが「他でこういうことを言っている人は非常に少ない」です。

興味のある方は、ちょっとだけお付き合いいただければと思います。

まず初回は、自分の自己紹介、どういった非モテの男だったのかをお話ししていきます。

非モテで悩んでいるみなさんと、そんなに大差ない人間だったということがわかるかと思います。

そして「こういう行動をしたら、アラフォーになっても悲惨な事になってしまうぞ」という教訓をお伝えできればと思います。

〇中学生時代~何も考えていなかった、雰囲気で生きていた~

自分の中学、高校、大学時代は当然「非モテ」で、友人も少なく(しかも今では小中高の知人とは完全に切れている)全く恋愛に縁の無い「灰色の青春」を味わってきました。

恋愛面は中学、高校、大学と一回ずつ女の子に告白しては完全に振られるという結果に終わっています。

非常につらかった。中学、高校と進学していくにつれて周りで彼女を作った同級生たちが増えていって、彼女がいたことがない、さらには童貞であるということがどんどん言えなくなっていって…後ろめたさを抱えながら、ひとりで生きているという感覚は年々増していきました。

中学時代は小学校からの持ち上がりで同級生の三分の一くらいは知り合い、顔は知っているくらいの関係だったので自分が「コミュ障だ」という自覚はせずに済みました。なんとなく雰囲気でコミュニケーションや人付き合いをやっていました。

恋愛面では、三年生の受験前に同じ委員会に入っていたクラスメイトに人生で初めて告白して、フラれました。とても愛嬌のあるクラスの人気者の女の子でした。

今まで生きてきて一番仲良くしてくれた女の子でした。話していて本当に楽しくて、こんなに楽しそうに自分と話してくれるのなら、きっと自分のことも少しは好きに違いない!!と信じて勇気を振り絞ったのですが、ダメダメでした。返事を聞かされた日の放課後、だれもいなくなった教室のベランダで、一人で泣いてました。

教訓その1:めちゃくちゃ仲が良いと思った相手に告白してもふられることはある。あと受験直前に告白してはいけない。

〇高校時代~コミュ障発覚、暗黒時代に~

高校に進学すると、自分が「コミュ障」であると自覚しました。

同じ中学から進学した知っている人が二十名もおらず、友人は片手で数えるほどで、だいたいが大して仲良くもない人たちばかり。そしてほかの中学から進学したまったく知らない人たちを前にして、どうやってコミュニケーションをとって、どうやって仲良くなればいいのかわからず教室内で孤立…学校内で独りぼっちになってしまいました。

自分の高校時代、1990年代後半は「コミュ障」という言葉がまだなかったように思います。もちろん「陰キャ」もない。これはインターネットスラングで、当時はそもそも「インターネット」が全然普及してなかった。ISBN通信がやっと出てくるかというところ。

他人とコミュニケーションが取れない自分がどういう状態であるのか、言葉にできなかった。ただ単に自分は「ネクラ」で、人から避けられる気持ちの悪い「オタク」だ、という意識がありました。

そんなコミュ障な自分が活路を求めたのが部活でした。

高校では「とにかく部活で活躍すればモテるんじゃないか」と思っていました。1990年代後半にはマンガの「スラムダンク」が大ヒットして流行。作品の中で主人公たちが目指すのは全国制覇!かっこよかった。

自分も全国大会に出て活躍すれば「すごい奴になって、モテる!」そう期待して部活に入りました。

しかし野球とかサッカーとかもちろんバスケなどの、今で言う陽キャなメジャースポーツにはいかず、マイナーメジャーな半文化系のオタクが集まりがちなスポーツ、弓道部にしました。競技人口が多いと全国大会には出るのは難しい。その点、弓道部は「ちょうどよかった」。

全国大会に絶対に出られるとは言えないけれど、めちゃくちゃ頑張れば無理でもない、そういうレベルでした。強豪校でもあったのがさらによかった。

話を「コミュ障の元井さん」に戻すと、部活に入ることでコミュ障という問題は棚上げになりました。部活に入ってしまえば「コミュニケーション下手でも、部活の雰囲気でなんとなくコミュニケーションできる状態」になってしまう。

結果、部活に入ってゆるく浅い友達はできて、ゆるく薄く浅いコミュニケーションで高校時代をやり過ごしてしまった。その後、高校卒業と同時につながりはほとんど切れてしまった。自分は、その薄く浅い友人づきあいとなんとなくのコミュニケーションにうんざりしてしまっていた。

そしていざ全国大会へ!!勉強を捨てて部活に集中すれば全国に出られる!を合言葉に、そしてモテて彼女を作るために必死の努力をしました。酷い怪我も乗り越えて、歯を食いしばって、勉強そっちのけで練習しました。(※2)結果、団体戦で県大会に優勝し全国大会に出場することを果たせたのだ。

(※2:といってもオタクなのでストレス解消のゲームやマンガ、アニメなどを楽しむ時間はちゃっかり確保していた。それをやめられないからオタクと言うんだと思う。)

そして…部活で片思いしていた女の子に告白してふられました。
県大会で優勝して全国大会に出られたけれど、ふられた、ダメでした。

教訓その2:部活で活躍できたからと言ってモテるわけでなはいし、彼女が作れるわけではない。

しかし部活の同級生の男は全国大会とは関係なく、部活の女の先輩と付き合っていた。

なので…

教訓その3:部活で活躍できたからと言ってモテるわけでなはいし、彼女が作れるわけではないが、しかし人によっては彼女ができる。

〇大学時代~全力で迷走・暴走する~

コミュ障な自分は部活に入ってコミュニケーションがうまく人と取れないことを雰囲気でうまくごまかしてやり過ごしたまま、大学に進学しました。

なので、そこで待っていたのは当然「ボッチ大学生活」。高校入学でクラスに馴染めなかった人間が、大学で友人を作ることなど不可能。やっぱりこの時にはまだ「ボッチ」という言葉はなかったのだ。2000年代初頭なのだ。「便所飯」「キョロ充」なんかの言葉も、すべて誕生前でした。

自分は「もう部活になんて絶対に入るものか、何の成果もなかった」と思っていましたが、結局その部活に再び入ることにしました。

大学で友人が、話し相手ができなかった。必死で、全力でやって全国大会に出て、それでも彼女ができず、しかも最後の大会は惨めに負けて…あんな思いは二度としたくない、そういう気持ちでいたのにまた部活に入ってしまった。

それくらいに「孤立する」ということに恐怖感がありました。

本気で弓道をやる気はない、けど部活に入らないと人との交流がゼロで孤立する、そういう不誠実な気持ちで入った部活は、大学のガチの「体育会」でした。高校よりも本気でやる、練習時間は高校の比ではない、そういうタイプのガチな部活でした。

結果的に、その部に馴染むために且つ、人はどうしても環境に影響をうけてしまうものなのだな、一年後には他の部員と同様に本気で部活をやるようになり、高校時代の部活メンタリティに逆戻りしました。しかもさらに悪化をした形で。

「大学生活の全てをなげうって部活に取り組み、そこで人から認められるような立派な男になれば、自分は彼女が作れるはず…」またこういうことを考えるようになりました。

ただ孤立を避けるための選択が、苦難の四年間を決定づけました。

そして結論を言うと、自分は弓道部の副将に選ばれ、個人で全国大会に入賞を果たしました。そして、告白してふられたので彼女は作れなかったし、コミュ障も当然なおらなかった。

4年時に、今度こそ両想いなんじゃないかという部の後輩ができた。いけるはず、ここまで努力してきた自分ならいける、そう自分に言い聞かせたかったのですが…コミュ障である自分がどうやってアプローチしていいかもわからず、そして自分の勘違いから勝手にもりあがっていたとか、拒絶されるのが怖いという気持ちからビビッてしまい何もできませんでした。

そしてわけのわからないタイミングで謎の勇気を発揮して、空気を読まずいきなり告白をしてしまい、私には彼氏がいるので付き合えません、と断られたのだ。

部活は、誇張抜きで血のにじむ努力をしてきた。手の皮は破れ硬くなり、硬くなった皮ふがまた裂けて…絆創膏ではらちが明かず瞬間接着剤で傷口を塞ぐといった戦場での乱暴な治療のような事をしてみたり…徹夜で練習し、週に何日も道場に泊まり込み、雨の日も風の日も、夏の暑い日も冬の寒い日も、遊びもせず、大学生らしい何らかの楽しいことも全くしないまま、青春の何かキラキラしたものをすべてを捨てて練習をして(※3)…成果を出して…ダメでした。ふられました。

(※3:さすがに大学時代は学年を重ねるにつれて追いこまれていってゲームはできず、アニメもマンガも最小限になり、生活からそれを楽しむ時間は消えていった。オタクの名折れ。)

そして失意のまま、コミュ障のまま、彼女いない歴=年齢の童貞のまま大学を卒業することになりました。

教訓その4:部活を頑張った結果、部活での成果は出ても、恋愛などには直接関係が無い。他人とのコミュニケーションが取れない、という問題が恋愛においての最も高い障壁となる。

〇社会人に~現実や現状を全力で無視~

ここからは今回の記事のエピローグとなります。

失意のまま就職した自分はブラック企業に入ってしまったのだ。単純に労働時間が長いというタイプのブラック企業。不幸中の幸いなのか、逆にこれがさらなる不幸のはじまりになっってしまったのか、そこは個人の裁量で成績が上がるタイプの職場でした。つまり、高校大学時代の部活と同じく、頑張れば成績がわかりやすく上がる職場だった。

そして自分は、高校時代、大学時代と同じ間違いを犯すのだ。

仕事を頑張って、成果をあげて、出世をすればモテるはず、彼女ができるはずと信じ込んだ。もう思考停止していた。そういう問題ではないかもしれないという事は一切頭になく、自分に信じ込ませた。

仕事で成果をあげるために、プライベートの時間を投げ打って仕事に打ち込んだのだ。プライベートを捨てるのは得意。(※4)高校大学とやってきたことだから。仕事以外での他人との交流は限りなくゼロに近く、社会人になってからできた友人はほとんどゼロ。高校、大学の時にやっていた事と本質的な差は、ない。

(※4:会社での徹夜作業や毎月泊まり込むことも多く、残業も当たり前だったので睡眠時間=生命を削ってゲームやマンガの時間に充てていた。)

そうやって会社で評価され実績を作ることに成功し、それを足掛かりに業界内でも有名でホワイトな会社へキャリアアップの転職を果たしました。

「客観的に見て、これでもうモテないはずがない、彼女ができないなんてことはない…はず」

そして結果、彼女はできなかった。転職後しばらくたってから前職の後輩に告白し、ふられ、35歳彼女いない歴=年齢の男が生まれた。仕事面でのコミュニケーションはなんとかなるようにはなっても、それでもプライベートや恋愛面でのコミュ障は克服できなかった。

恋愛面で高校、大学と同じ間違った戦略を社会人になっても取ってしまい、高校では3年、大学では4年を費やし、社会人になってからは13年間、同じ戦略で恋愛に挑み、すべて失敗してきた。
恋愛面での失敗の本質的な原因は、20年間、もしくはそれ以上の期間、自分の努力が足りなかったのではなく、戦略が間違っていた事に気づけなかったことでした。

自分より若い人にお伝えしたい、こうやって彼女いない歴=年齢のアラサー限界中年は生まれる。

教訓その5:失敗から学ばず、反省をせず同じ失敗を繰り返し続ける事で人生は行き詰まる。自分の戦略が間違っていたという事を認める冷静さや、客観性、勇気が大事。

しかし「はい、だからこういう人生を送ってきた人はだめでしょ、彼女作れない、限界」という「絶望」的な状況をお伝えしたいわけではないです。

自分はここからもうひとあがきをし、双極性障害になるまでに精神的に追い詰められたところからコミュ障を克服し、初彼女を作り、結婚するに至りました。

自分がお伝えしたいのは、その限界の状況から「コミュ障」を克服し、男女問わず他人と良い関係性を構築し、彼女を作って「非モテ」を克服する方法です。

小手先のテクニックではなく長期的な視点での戦略なんです。

こんな限界の35歳になってしまった自分の状況からでも、自分のような彼女いない歴=年齢になるコースをトレースしているような人でも「ここから人生を軌道修正できるかもしれない」そう思ってもらえるような「希望」をお届けしたい。

決して女性からモテるようになる方法ではないせれど、少しずつ確実に人生を豊かにする方法でもあるのではないかと思います。

繰り返しにはなるのだが、実績として自分が主催する非モテオフ会からは、自分の戦略、方法論によって非モテの状態から「初めての彼女」を作れた人が複数いて、その中でも最も古くから付き合いのある人は、参加から二年を経て、非モテ状態から多数の女性から好意を寄せられるようになった。自分より14歳若く、自分よりモテて、青春を楽しめるようになったのだ。

この洒落男子での連載でも、みなさんの非モテの克服と、初めての彼女づくりのお手伝いができればとてもうれしいです。一人でも多く、他人とのコミュニケーションを楽しめるようになり、人生を豊かにできるように、そして最愛の人と結ばれるように、力を尽くせればと思います。

ご興味のある方は、しばしお付き合いいただければと思います。

また、これは宣伝になりますが、趣味が高じてタロット占いをやっております。依頼をいただければ有償で通話やDMで直接、鑑定させていただきます。

詳しくは以下をご覧いただければと思います。


また毎月最終日曜日には、タロットを使って人間関係やコミュニケーションを改善するための対話会『つながるワークショップ』を開催しています。

人とのつながり方を、一緒に考えていきましょう。

https://note.com/motoarai/n/n0c902d874ee6?sub_rt=share_h

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