9月13日

iPhoneの充電が3時間も持たなくなったので中の写真をクラウドに移して全部消し、それでも大して変わらないのであまり使ってないアプリは消し、それでも大して変わらないのでもうこんなスマホいらんと思いよく見てたYouTubeやInstagramを消し、ツイ廃なのにTwitterも消したが、かかってきた電話に出たり調べ物をしてたら結局夕方には虫の息になってしまう。もうだめだと思ったのでiPhoneを新しくした。どうせまた4年くらい使うので、大切に使いたい。

自粛期間の頃、手書きした日記をnoteにあげていたが、手書きの日記帳にはずいぶん心を許してしまっているので、あまりにもプライベートを書きこみすぎて公開するわけにいかなくなった。人に見せずに密かに続けてはいたが、外出自粛が終わると忙しくなってやめてしまった。    

小学生とか中学生とか高校生とか大学生の時はどんなに忙しくても毎日日記帳にペンを走らせていた。その日あったこと、楽しかったこと、つらかったこと、反省、幸せだったこと、恋愛の幸せ、未来の計画、恋愛のつらさ、将来の不安、恋愛の悲しみ、妄想、今読み返しても何がなんだかわからないこと。そのどれも電源を必要とせず、自分の頭ではなく心から勝手に湧き上がりかろうじて言葉になっているものたち。昔の日記帳は実家のクローゼットの中に大量に保管されていて、読み返したら面白いのかもしれないけど、今はもう恐ろしくて触ることもできない。「クローゼットの中に人がいるな」とすら思う。それは自分なんだけど、中身を見たらきっとおぞましい。

携帯電話やパソコンを触るようになってから活字で日記を書くようになって、中身は心からダイレクトではなく頭とかを経て記されるようになった。それがだいぶ良かった。活字で書いたものは昔のものでも読み返すのがそんなに怖くない。ただし大人になってから「ウケたい」とか「何か書かなきゃ」とかそういう理由で頭だけで書いているものが時々あり、それを読み返すと本当に辛い。心にも思ってないことを書くことは私はほぼ無いが、心から湧いたはずのものをただのネタみたいに扱って頭だけで書いたことがある。それはもう人間が空中分解したような文章で、卑しくて卑しくて諸共消えたくなる。もちろん他人が書いたそんな風な、格好つけの文章もつまらなくて苦手だ。(個人的に心は脳にあるわけではなく別のものだと思っていて、ついでに言えば肉体と精神も別物だと思っているからそう思うだけで、頭だけでなんて誰も書いてないのかもしれないけど)

しばらく忘れていたけれど、良いものを書いていきたいとまた思う。たぶん自分のために。そのために頭も心も大切に育てなければと思う。今日のはあんまり頭を使わなかったからだめ。明日たぶん消したくなる。

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