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どうか、奪わないで

 ひさしぶりに、文字と向かう。ここ1か月ほど、文字を読み書きすることが「出来なく」なっていた。これを書いている今もまだ、原因不明の涙をぬぐい、動悸を感じながら、文字を打っては消してを繰り返している。自分の書いた文章でさえ、読み返しても意味が理解できない。伝えたい内容が書かれているのか、筋は通っているのか、今の私には判別がつかない。

こんな状態でもずいぶんとマシになったほうで、もう少し前には、パソコンの前に座ることもチャットの短い文面を作ることすらも出来なかった。文字を打とうとすると、酷い頭痛がして思考は止まり、気づけば数時間が経過する。

「あぁ、ついに文章が書けなくなった」。そう自覚してから、大声をあげて泣いた。胸が張り裂けるようだった。いっそのこと殺してくれと、誰ともなしに大声で怒鳴り散らしてやりたいような気分だった。


ずっと。ずっとずっとずっと、文章を読み書くことが大好きだった。たくさん本を読めば、母や祖母が喜んで褒めてくれた。作文を書けば、「上手だね」と、学校の先生が小説を書くことを勧めてくれた。
いつしかそれが、私自身を表現する手段になって。誰かの褒め言葉なんてなくても、私はただ自分と向かい合い、自分が生きるために文章を読み書き続けていた。

 私にとって文章を書けなくなることは、ほとんど死ぬことと同義だ。そういう意味では、私はこの1か月のうちに一度、死んでいる。


 嫌な汗をかいている。全身に妙な力が入り、両肩が不自然に上がっている。気づけば、無意識のうちに息をとめていた。どおりで、ときどき視界がかすんだり、指先が冷たくなるわけだ。
私はいったいどうして、こんな文章を書いているのだろう。誰が読んでも不快になりそうな、こんな文章を。一度死んだゾンビのような状態になってもなお、生きたいという気持ちがあるんだろうか。自分のことなのに、なにも分からない。

 ただ、ひとつだけ強く思うのは。

書くことをやめたくはない。どれだけ苦しくても辛くても、反対に他のなにかで満たされることがあっても。それらを余すことなく全て、自分の文章として残したい。
どうか、どうか。なにがあっても。私から書くことを奪わないで。

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