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絶対に忘れたくない思ひ出

 大学受験が終わって、初めてのアルバイトは自分とは無縁のスキンケア商品を扱う販売店員だった。姉が当時気に入っていた店で、姉とその店長が仲良くなった結果、私をアルバイトとして紹介されたのだった。
普段から化粧っ気もなく、他人と交流する様子もほとんどなかった私が販売店員なんてと、家族はずいぶん可笑しがった。「図書館の司書とかも時給良いみたいよ」と、出勤の日が決まっているというのに、叔母は笑いながらそんな風に言ってきたりもした。
あのとき、叔母の言う通りに図書館司書のアルバイトも考えておけばよかった…というのは、働き始めて約3か月間の私の本音である。しばらくは目の前を通るお客さんを見て声も出なかったからだ。それでもその3か月の内にすっかり慣れて、正社員のような店の任されかたをするとも、夢にも思っていなかったけれど。
結局その店は私が大学2年になってすぐ閉店してしまったが、あの1年と少しの間であった経験の中で1つ、忘れかけていた忘れたくない記憶がある。


 あれはいつだったか、私は1人で店に立っていて、ある1人のおばあ様がやけに熱心に私の商品説明を聞いてくれたのだ。イモーテルという花を使った、スパイスのような独特の香りがするバームが気になったようで、その効果を説明すると幼女のように目を輝かせていたのを覚えている。私も同じバームを使っている、というとおばあ様の視線が途端に私の肌に刺さった。私はお化粧してませんよ、と笑うとため息交じりに「すごくきれいな肌ね」とおばあ様は言った。
ここで他のお客さんだったら「それは貴女が若いから」と言って流すのだけれど、その人は私の顔にずずいとご自身の顔を寄せて「バームはどんな風に使っているの?」と、殊更興味を持ってくれたようだった。

「お風呂上りにブースターとしてオイルを塗ったあと、ほんのちょっとだけ手に取って伸ばすんです。これを塗るとお肌の回復力が全然違うので、傷があったり肌荒れがあるときに使います。普段は別の香りを使ってますが、ときどきでも十分効果はありますよ」
「使い分けるなんて贅沢ね。ブースターのオイルはどんなのが良いの?」
「オイルはこちらのブランドがすごくオススメです。これも使い分けてるんですけど…」

 最終的に、私のオススメを全て紹介しつくした後、おばあ様は20分ほど悩んでから私が一番オススメしたオイルとバームのセットを購入された。とても満足げな様子で。私もそんなに語り尽くせることは滅多にないので、達成感というか満足感があった記憶がある。


 大事なのは、この数日後の出来事だ。

 確か、そう。夏休みだった。大学もなくて昼から出勤するためにプラットホームで阪神電車を待っていた私の携帯に、珍しく社長から連絡が入った。コピーアンドペーストしたのであろう長い文章は女性らしい文体で、イモーテルのバームを購入してからとても肌の調子が良いこと、商品説明をしてくれたショートカットの店員をとても気に入ったこと、ぜひ今度買いに行くときはその店員が普段使っている他の商品を購入したいと思っていること、が書かれていた。

 その後に社長からのこんなメッセージが続けられた。

会社のFacebookにメッセージが届きました。あなたのお店での頑張りをこうしてみることが出来て、本当に嬉しく思います。お礼の連絡はこちらから送信済みですが、またお店でお会いした際にはよろしくお願いします。これからもお店を頼みますね

 私は電車を待っていたことも時間を確認することも忘れて、熱くなった目頭をおさえた。達成感、とか、喜び、とかそんな簡単な言葉では言い表せないくらい、嬉しかった。


 それ以降、その素敵なおばあ様はたびたび来店されていたが、私と再開するタイミングはなかなか訪れなかった。私がおばあ様の来店を知るのはいつも、他のスタッフから「今日来たお客さんに、もときさんのことを聞かれたよ~」と教えてもらってから。さらに言えば、レジの管理をするときに確認するクレジットカードの署名でも、私はおばあ様の来店を知ることが出来た。
初めてお会いしたときもクレジットカードを使われていて、ハッキリとフルネームで記憶していたわけではなかったけれど。丁寧な筆運びと漢字の印象が彼女の雰囲気にぴったりで、見かけるたびにお会いしたあの日のことを思い出せたのだ。


 再会できたのは、お店が閉店してしまう少し前のことだと思う。お互いに顔を覚えていなくて「どこかで見かけたことがあるな?」という探り合いをしながらの、ぎこちないやり取りをしたんだった。
そしてレジで彼女がクレジットカードを出して署名をいただいたときに、私が気づいたのだ。私はもちろんだが、彼女もとても私との再会を喜んでくれた。会計を終えてからさらに質問を受けて、その日彼女が購入した商品について2,3のアドバイスを添えたのを覚えている。

 こんな素晴らしいことを私はしばらく忘れてしまっていた。どうして忘れてしまっていたのだろう。私が携帯を変えて、あの宝物のメッセージが消えてしまったせいもあるかもしれない。
もう忘れないだろう、ここに書いたのだから。彼女のメッセージには陽だまりのようなあたたかさがあった。


 最後に、勝手ながらトップの画像使わせていただきました。素敵なお写真をありがとうございます!

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