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1年と1か月と15日

今思っている事を、そのまま書こう。実はこのnote、登録したはいいものの使い方に迷い、そうしているうちに1年と1カ月と15日経ってしまった。そう始めたのが昨年の元旦だから、ちょうど1年と1か月と15日なのである。その間、色々な事を考えては頭の中の黒板消しで消し、また考えまた消しを繰り返した。それでもいい使い方が判らず、今に至る。お気づきの読者もいるだろうが、私の頭の中には黒板がある。無論黒板消しもある。パッと浮かんだものを書き込んでみる。書いたあとは大体、「私は世紀の天才だ!」とか何とか、しょうもない賞賛を自分に送る。勘違いも甚だしい。そうやって自分の中で「ボツ」となった案は、なかったこととして消される。
だから、実際に行っている行動よりもうんと多く、10倍程考えている。すべてがボツになることもあるから、何をしてるのか側からみたらよくわからないんじゃないかと少し不安だ。そう言えば学生の頃、とある方から『何考えてるか解らないんだよねー。』と言われ、「アンタみたいに思った事を直接言うタイプじゃないんだわ!」とツッコミたくなったが、そこをツッコンでしまうとその方の良さを自分が認めてない、僻みのように聞こえてしまいそうだからやめておいた。ただその方は、反対に清々しい程に「言い切るタイプ」だったのですごいなぁ…と思っていたし、意外と見てくれているんだなぁと喜んでいる自分もいた。今でも思い出すと、ニヤニヤしてしまいそうになる。そのくらい嬉しかった。
まぁ、表に出すまで時間がかかると言うのは得てして皆あるものだが、声を大にして言いたいのは「優柔不断」ではないと言うことだ。言わない、やらないを「選んでいる」のだ。noteで言えばしっかりとした作風や記事のテイスト、そこに割く時間、リターン等々諸々をコンスタントに続けて行けるのかと考えた結果、不定期更新になるだろうと結論をだした。それなら控えようと辞めた訳だ。一度に考える量がこれだけ多ければ、誰だって腰が重くなるのは言わずもがな。ただ産まれた時からこれだから、反対にこうでなければ私ではない。うん、これに関しては謎の開き直りである。

ここまで書いてきて一つ気が付いたことがある。出してる10倍考えて1出すのを、反転したらどうか?と言うことに気が付いてしまったのだ。
1つ思い付いたらむりくりにでも10個のネタにしてしまう。子供の頃工作で作ったスライムの如く、ぐーっと引き伸ばして幾つも書いたり作ったりできないものか。Twitterではそんな風にして書き続ける事ができている。少なくとも1年と1か月と15日は。それ以前からやっているので、正確にはもう少しだけ長い期間は。

そして大切な事がもう一つだけ。それは「残すこと」だ。黒板消しなんて、頭の中に持っていなくても投稿してしまえば意外といいかもしれない。保存機能に残してさえいれば、無駄になることはない。下手だからと感じるのが書いた本人である必要はない。書くことが上手くなるのには、「書く以外のこと」をやる必要がある。書いた本人は「自分の中では頭フル回転で作ったんだ。」がいい。下手だと感じるのは、読者だ。それは読者の自由だ。でも私は私の文章がたまらなく好きだ。読んでくれているあなたも大好きだ。下手でも、書き切ったと思えれば良いと思えるようになった。これも消さずに出したから気が付けたことだ。
頭の中で色々考えるからこそ、私は私であると再認識できた。こんなこと考えてたのかって改めて自分を好きになれた。

「頭の中で考えてることが形にできたら、少しずつでも変わっていくから。」

学生時代のノート、絶対に取っといて。捨てないで。今、私がやってる事は7歳の頃の絵日記と、まったく同じだから。私ほぼ絵なかったけれど、裏まで文章書いてたからね。

お付き合い頂き、誠にありがとうございました。

もとし

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