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書かなきゃならん時には書かず、やらねばならんことがある時に書く

中学の同級生が経営している喫茶店に自分が描いた絵を飾らせてもらうのだけど、自分のプロフィールが書かれた名刺的な紙を添えてもらいたいとの要望があり、慣れない脳の筋肉を使っています。
その作業から逃れるために、そうだnoteを書こう、という気になったのであります。

心のオアシスはnoteと生姜を煮込んでいる鍋のフタを開けた瞬間に立ち上がる蒸気です。

自分の絵の活動をどう表現すればしっくりくるものかと考えいると落胆します。
なぜなら、考えを文章にまとめることががっかりするほど苦手だからです。

ああそうさだから絵を描くのさ。
とはいえ、ここ一年ほど文学にハマっているのだから少しは物書きも上手くなろうよ、と自分に過分な期待を寄せているのも事実なのです。

小賢しくも、自分の絵は文学だ、と言い切っている今日この頃なのだから、自分の活動紹介ぐらいサラッと書きたいものです。

小さな紙に印刷するつもりだから一文にまとめます。
必要な要素は、吸収、発酵、 表現。
この三段階のプロセスを一つにまとめたいというのが今晩のプロジェクト。

1.吸収 外国住みで多様な価値観に触れている
2.発酵 吸収したことを自分なりに体内で練る、文学と混ぜる
3.表現 絵として表現

異国で出会う様々な人生観と景色を取り込んで描いた絵を展示して文学的な表現をする。

チープなAIのだとこれよりもしっくりくる文を1秒間に50通りほど見せてくれる気がします。
しかし、今から20年も経ったら、AIじゃなくてただのおじさんが1時間かけて見せた文に寧ろ価値が出るのではないでしょうか。
客観性と羞恥心を欠いた、残念な汗臭い一文。
20年先取りした駄文です。

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