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時代の変化で消え行くものの守り方(MOTION GALLERY Crossing #3)

 消費社会のなかでは、新しかった物がすぐに古くなり、生み出されてはゴミになっていきます。伝統や歴史の「積み重ね」よりも、目新しさが歓迎されるなかで、喪われていく場所、物、記憶は数知れません。

 そんな社会においても、「大切に思うモノ」をなんとか留めようと踏ん張り、他の誰かへ、そして、次の時代へと届けようと奮闘する人たちもいます。彼らの「守りたいもの」への思いとは?喪われゆくものを残す意味とは?その残し方とは?

 これまでにMOTION GALLERYを通じて作品づくりや活動を展開してくださったクリエイターたちと一緒に、2020年以降の日本を”ソウゾウ”する企画「MOTION GALLERY Crossing」。第3回は「時代の変化で消え行くものの守り方」をテーマに、4人のゲストと考えました。

 ゲスト1人目は、中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト代表の前田達之さん。「中銀カプセルタワービル」(以下:中銀カプセル)とは、故・黒川紀章さんの設計で1972年に銀座8丁目に建てられた集合住宅です。二つの塔を中心の柱として、カプセル型の部屋がくっついているとてもユニークな建造物ですが、老朽化やアスベスト、耐震性などの問題で、保存と建て替えの間で揺れています。

 2人目は、有限会社石橋設計/豊劇新生プロジェクト代表の石橋秀彦さん。兵庫県豊岡市で1927年に設立され、地元の住民に愛され続けてきた映画館、豊岡劇場が、2012年経営難で閉館に。その場所を受け継ぎ、リノベーションをして、「映画だけではない映画館」として復活させ、運営を継続しています。

 3人目は写真家の熊谷聖司さん。生産が終了している8×10(エイト・バイ・テン)ポラロイドフィルム809(以下:8×10)を使って、写真家・富山義則さんとともに、それぞれのテーマと思いで撮影。二人の作品をあわせた写真集を製作しています

 4人目はスローコーヒー代表/ナマケモノ倶楽部共同代表の小澤陽祐さん。オーガニックとフェアトレードにこだわった美味しいコーヒー豆を自社焙煎して販売しているスローコーヒー。その水出しコーヒーを活用して、岐阜県郡上市に昔から根付く「水文化」を、新しい形で楽しんでもらうプロジェクトを展開しています。

 まずはそれぞれの活動について、お一人ずつ詳しくお話いただきました。

劣化することは写真の宿命

 ポラロイドフィルム809は、8×10インチのカメラで撮影できるポラロイドフィルムとして、フィルムカメラの全盛期、広告撮影の世界で広く使われてきました。原版の大きさによる精細な再現と独特の色相で、世界中の写真家を魅了してきましたが、10年ほど前に生産中止に。

 この8×10のフィルムを100枚ほど持っていた写真家の富山義則さんと意気投合した熊谷さん。それぞれ50枚ずつ撮影して、一緒に一つの本(写真集)を作ることにします。ただ、撮り終わるまでお互いに何を撮るかは秘密にしていたそうです。

 熊谷さんが8×10に感じる一番の魅力、それは現像してみるまで予測できない色合いだと言います。生産されて間もない頃であれば、鮮明に色が出ていたはずですが、期限が切れたこのフィルムから出てくる像は、ぼやけて、発色もうまくいかず、映し出されない部分もあります。しかしそれによって、今この瞬間に撮ったものでも、いつ撮られたものか分からない風合いになるのが、とても魅力的だと言います。

(Photo: 熊谷聖司)

 この魅力から熊谷さんが決めたコンセプトは「Time for time」、時間のための時間。今流れている時間が、1秒、1分と刻まれていく一方で、その一瞬を写真で切り取った時に、もう一つの時間がそこにあるのではないか、時を超えた新たな時間が流れ出すのではないか…。

 そして撮影対象に選んだのは、高円寺の北部エリアの路地裏。ただこれも、特定の場所について伝えたいのではなく、むしろ、どこの町か分からない感じにしたかったと言います。写真を見た時に、どこか違う世界、違う時代にいくような感覚を味わってほしい。それが、このポラロイドフィルムを使って残したかったものー。

 ちなみにもう一人の写真家・富山さんは「Time after time」というコンセプトで、まもなく建て壊しになってしまう、30年以上暮らし続けてきた自宅を撮影しました。

 撮るカメラも、撮る対象も、いずれは喪われてしまうもの。しかし、写真も永久に残せるわけではありません。「劣化は写真の宿命」だと熊谷さんは話します。

「今撮ったものが10年後にどういう風になるかは、コントロールしようがありません。もちろん、無酸性の紙に包んで暗いところに保管すれば、ある程度劣化を遅らせることはできます。それでも経年によって劣化していくことは、インクジェットの作品でもカラープリントの作品でも、写真には必ずついてまわる特性です。

 写真という、変化を宿命とする世界で生き続けてきた熊谷さんの姿勢は、喪われていくものをがむしゃらに追い続けるのではなく、自然に送り出していくようにも見えました。

 さて、残す手段の一つとして選んだ「写真集」ですが、これは年々売れにくくなっていっていると言います。

今の若い人は写真もスマートフォンやインターネットで情報として見ています。そうすると次から次に新しいものが出てくる。だから手元に持っている必要性を感じず、買うことに関心がなかったり、いますぐ買わなくても、無くならないような感覚があるんでしょうね。この傾向は、去年と今年でも全然違うくらい、加速して行っている気がしますね。ただ、海外では写真集に対して「今買っておかないと、次はもう無い」という意識を持っている人が多くて、値段に関係なく売れやすいですね。」

 「焦ることなく、10年越しの長いスパンで売ろうと最近は考えている」という熊谷さん。売る大変さはありつつも、それでも写真集という形にする魅力のひとつは"手触り"だと言います。8×10の写真集も、熊谷さんはしらおいという紙、富山さんはアドニスラフという紙を、それぞれの写真に合わせて選んでいます。また、片方の表紙から熊谷さんの「Time for time」が、もう一方の"表紙"から富山さんの「Time after time」が始まり、両者の奥付が中央で合うようにデザインされています。こうした直接目にし、触れることで感じる紙質の違いや、立体物で見たときのデザインの面白さは、オンラインで"情報"として受け取るだけでは得られない感覚のはずです。

建物以外の切り口から建物の魅力を伝える

 建築家、故・黒川紀章さんは1970年の大阪万博でカプセル型の住宅を展示。それを目にした中銀グループの当時の社長が、同じような住宅を作って欲しいと依頼。2年後に東京の中心である銀座に中銀カプセルタワービルが作られました。

 「メタボリズム」をコンセプトにした中銀カプセルは、"建物"としての二本の塔に、計140個のカプセルが"付属物”として付けられています。黒川さんはこのカプセルを25年に1回は交換することを想定していましたが、実際には一度も実現されることなく、46年の歳月が経過しています。

 老朽化やアスベスト、耐震性の問題などから、建て壊しの声も強まっている一方で、保存活動を行う人たちも少なくなく、4年前にそうした有志が集まって、前田さんを代表に、保存再生プロジェクトのグループができました。とはいえ、カッチリと固まった団体ではなく、企画ごとにオーナーや関心のある住民が集まって活動しています。

(1つのカプセルは4畳ほどの小さなスペースで、キッチンも洗濯場もなく、居住空間というよりは、ビジネスホテルのような作りになっています。実際、黒川さんはこのあとの1979年に、世界で初めてのカプセルホテルを作ってもいます。)

 これまでに、建築の観点から中銀カプセルを取り上げた本は多数出版されていましたが、前田さんたちは、新しい切り口から2冊の本を出版しています。1冊目は、中銀カプセルで暮らす住民たちにフォーカスを当て、彼らへのインタビューや部屋の写真をまとめた『中銀カプセルタワービル 銀座の白い箱舟』。2冊目は、様々な女性モデルをカプセルのなかで撮影した写真集『中銀カプセルガール』。書籍を制作したことの意義について、前田さんはこう話します。

本ができて書店等に並ぶと、この建物ってまだ残っているんだって認識してもらえるんですよね。もう存在しないと思っている人も多いので、そういう人に対してアピールする機会になります。また出版をきっかけにメディアが取り上げてくれるという相乗効果もありますね。」

 書籍出版だけではありません。カプセルを使って、現代美術アーティストの展覧会を開催したり、10名限定の映画の試写会を開催したり、チップチューン・アーティストのミニライブを開催し、その様子をインターネットで配信したり…。

 建築という切り口だけでなく、写真、音楽、映画と様々なジャンルと掛け合わせることで、それぞれのジャンルのファンにアプローチすることができ、より広い層に中銀カプセルを知ってもらうことができるのです。

 こうした様々な方面からの企画を展開していくなかで、バラエティやワイドショーなどのTV番組でも紹介されたり、最近ではCMの撮影に使われることや、ファッション系の撮影でも人気を集めているとのこと。

 特に海外の人からの注目が高く、著名人も訪れているほか、英語の見学ツアーも日本語ツアーより人気。かつてAirbnbで1泊15,000円で掲載していた時も、ほぼ毎日予約が埋まっていたと言います。こうした海外からの人気をうけて、今は、ただ「建造物を壊さないで」と訴えるのではなく、「東京の観光資源を壊さないで」という内容で、東京都知事向けのオンライン署名活動も展開したりしています。

 多様な角度から中銀カプセルの魅力があるなかで、前田さん自身はどこに一番惹きつけられているのでしょうか?

ここに集まっている人たちが面白いんですよね。キュレーターの人とか、ベンチャー気質の人とか、映画監督とか、いろんなクリエイティブな人たちが、住まいにしたり、事務所にしたり、集めているコレクションを並べるスペースにしていたり…。僕から見たらみんな“変人”ですが(笑)、そういう人たちが集まってくる建物って、他にはなかなかないと思います。見学会に来た人たちも、ものすごく喜んで帰っていくんですよね。人を幸せにする、笑顔にする建物って、日本でも世界でもそんなにないのではないでしょうか。だから残さないといけないと思って活動しています。」

一度は経営破綻した映画館を「ビジネス」のなかで守っていく

 豊岡市で生まれ育った石橋さんは、地元の中学を卒業したのち、映画監督を志してアイルランドに留学します。そのまま気に入って10年間北アイルランドで暮らしている間に、現代美術の世界へ転向。イギリスで大学院を卒業後、現地で作家活動をしばらく続け、1999年に帰国します。作家活動だけで生計を立てていくのは難しく、2011年に家業の有限会社石橋設計を継ぐために豊岡市に帰郷。不動産業や、空き物件を活用した飲食店の開設などを手がけていた折に、2012年、豊岡劇場閉館のニュースが飛び込んできます。

 豊岡劇場は1927年創業で、その頃から、ワーナーブラザーズやユナイテッド・アーティスツなどの作品を上映する貴重な洋館でした。ずっと地域に根ざして運営されて続けていたものの、映画館が位置する旧市街地の人口は4~5万人程度と減少。加えて、老朽化により冷暖房設備が行き届かなかったり、建物全体の清潔感が欠けていたりと、どんどん利用者が減少してしまったのでした。

 豊岡劇場がなくなってしまうと、石橋さんの住むエリアから半径約70kmは映画館がなくなってしまいます。「映画館がないようなところで暮らしたくない」と思った石橋さん。ご自身が長年携わってきた文化的な面と、職業として行なっている不動産業の知見を重ね合わせれば、映画館の再生ができるのではないかと考え、クラウドファンディングも活用して、再生に挑みました。

 一度経営破綻した映画館を再生するにあたり、石橋さんは「映画だけでない映画館をつくる」というテーマを掲げます。大ホールでは映画を上映、小ホールはコミュニティスペースにし、ご飯を食べたりお酒を飲んだりタバコも吸えるスペースも設けることにします。

 基本的に内装は昔のものをそのまま残して活用。客席の椅子も、フランス製の良いもののため、そのまま利用。ただぎゅうぎゅうに敷き詰められていたため、列数を減らし、代わりにタップホルダーとテーブルを設置。冬場はテーブルこたつにして、話題を集めています。コミュニティスペースにした小ホールは、残念ながら利用者が伸び悩んだため、映画上映用に戻し、映画館全体の上映作品数を増やすことに。オープンスペースに作った飲食店は地元の人たちから、「普段よく会う近所の人とお互いの顔がよく見える空間は嫌だ」という声が集まり、2018年12月に再リノベーション。細かくスペースを区切り、目線が合わないような空間に変えました。

 いわば”トライアンドエラー”を重ねながら、変化をしつづける豊岡劇場。そこには石橋さんの「ビジネスとしてやる」ことへのこだわりがありました。

基本的に、行政や地方団体からはお金を全くもらわずにやっています。そもそも映画館は興行というお金を儲ける行為をしているので、そこに行政がお金を投資することは難しいとも思います。同時に、僕らの独立感を守るため、いわゆるエッジの効いた作品を上映するのに、大切なことだと思っています。そういう作品は、田舎で上映しても、3週間で20人しか来なかったり、0人の日もあったり…という状況なのが正直なところです。それでも求めている人はいるし、そういう人を作っていかないといけないと思っています。ディズニーのような主流の作品と、エッジの効いた作品と両方を上映することで、うまく回していきたいと思っています。」

 再建した初年の年間来場者数は4000人。2年目は5000人で、3年目は1万5千人と大幅に増加。まだ映画館単独では黒字にならないものの、石橋さんの「ビジネスへのこだわり」は着実に功を奏していそうです。

コーヒーをきっかけに「守りたいもの」が繋がっていく

 2000年に創業したスローコーヒーは、オーガニックで、かつフェアトレードの豆だけを仕入れ、自社で焙煎して提供しているコーヒーメーカーです。ヨーロッパでは、普通のスーパーでもフェアトレードコーヒーが何種類も並んでいて"選択できる"状態になっています。「日本でも同じようにフェアトレードコーヒー市場を確立したい」という思いを持って、小澤さんはスローコーヒーを営んでいます。

 もともと千葉県松戸市の出身で、松戸で家族と暮らしていた小澤さんですが、2015年に奥さんの出身地である岐阜県郡上市に移住。郡上は、郡上踊りという江戸時代から続く“クレイジー”な盆踊りで有名な街ですが、もう一つの特徴が「水」です。長良川をはじめ、美しい山と川に囲まれた場所で、今でも街の中心部には、100箇所ほど、自然に湧いた美味しい水を汲める場所があります。今では各家に水道も通っているものの、自然の水を使って暮らしている人たちは少なくありません。

 こうした多様な「水」、山水、湧き水、井戸水、そして水道水を使って、スローコーヒーの水出しコーヒーを作り分けてみたところ、全部味わいが異なることを発見。郡上の水と町歩きを楽しんでもらえるようにと、500mlのタンプラーと水出しコーヒーの豆、そして美味しい水を汲める場所を記した水汲みマップを3点セットにして、観光客に提案する「郡上発水出しコーヒープロジェクト」が生まれました。

 この企画の一番の発端には、小澤さんの「郡上の水」との印象深い記憶があります。

 2011年3月11日東日本大震災で、福島の原子力発電所が爆発。風で運ばれた放射能が松戸市の近くで雨となって落ちてしまいました。その結果、松戸市の水源である江戸川から放射能が検出され、水を飲めない状況に…。この時に、郡上の親族がタンクに水を入れて送ってくれました。「助かった。生き延びた」という思いが湧いてきたと当時に、水を飲まないと人間は死んでしまうことを、強く感じたと言います。

 生命に関わる水。もともとは公共のもののはずですが、現代では、ペットボトルで購入したり、ウォーターサーバーで契約したりと、「商品」として買うものになってきています。加えて水道の民営化も進められようとしています。そうした状況のなかで、「水」について改めて考えてもらいたい…。

 そんな思いから生まれた「郡上発水出しコーヒープロジェクト」は、2017年の夏に開始。地域の新聞やラジオで紹介されたり、2018年には愛知県岡崎市の市役所の人が視察に来たりと、広がりの兆しが見えてきています。

 ただ、水文化を盛り上げるのであれば、コーヒー以外の切り口もあったはず。なぜコーヒーとの掛け合わせにこだわったのでしょうか。

「僕たちはコーヒーからフェアトレードという概念を知って、フェアなコーヒーとアンフェアなコーヒーがあるなら、フェアな方がいいじゃないかって選択したんですね。そして、コーヒーを通じて、何がフェアで、何がフェアじゃないのかを考えるきっかけをもらったし、社会にもそれを伝えたいと思ってやってきました。その延長にずっといるんです。以前、太陽光発電でコーヒーを焙煎するプロジェクトもやったことがありますが、これも、コーヒーを通して、電気のことをもう一度考えてもらいたいと思ったんですね。だから根本は全部一緒だと思っています。

 そして、その一番最初の原点であるオーガニック・フェアトレードコーヒーにも、小澤さんの「守りたい」という思いが詰まっていると言います。

 見せてくれたのは、小澤さんが2002年に訪れたメキシコのコーヒー豆生産地の写真。コーヒーが育てられている同じ場所で、パパイヤやマンゴー、カカオの木も一緒に植えられています。他にも建材になる木や、樹液が薬になる木などもあったと言います。

 一般的なコーヒー生産地は、一面をコーヒー畑にする”プランテーション”の形が多いですが、ここの場合は逆の発想で、森の中にコーヒーを植えています。自然に飛んできた鳥が糞を落として、それが堆肥になったり...と、自然の循環の中で植物が育っていくうえ、コーヒーがうまくいかなかったとしても、他の作物があるため「生きていける」という力強さが、生産者の方々にあったと言います。

「この森を見た時に、豊かだなって思ったのですが、この地下には鉱物資源が眠っていて、それを国や多国籍企業が狙っている状況がずっと続いています。この生態系豊かな森が無くなるのか残されるのかだったら、残ったほうがいい!って、自分の目で見て単純にそう思えたんです。その思いが会社の原点にあって、ずっとやっていることは変わらない気がします。

 森を守りたいという思いから生まれたコーヒーが、別の「守りたいもの」と結びついて、新たなアイディアへ繋がっていく…。守りたいものがこの先も連なっていくのが、スローコーヒーさんの取り組みなのかもしれません。

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 4名のゲスト、それぞれの活動内容をお話いただいたうえで、"Crossing"トークがスタート。ここから先は、臨場感をもってお伝えするために、会話形式でお届けします!

 進行・MOTION GALLERY・アーヤ「失われていくのは、社会のニーズが減っていったり、保存することに問題があったりと、何かしらそこには理由がありますよね。それでも守ろうとすることに、迷いや躊躇いを感じることはありますか?」

 石橋「豊岡市は山間にある小さな限界集落です。街全体が限界集落なので、残すかどうかという話になったら、究極を言えば、みんな都会に住めばいいじゃないか、という論理も成り立つと思うんです。高齢化が進んで、インフラも老朽化していくなかで、おじいちゃん、おばあちゃんたちの生活を守るのは、本当に限界集落であるべきなのか、っていう考えは出てきますよね。

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