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竜童を看取る

ネフテラ峡谷に降り注ぐ雨。それは紅竜ヴルムドの死を嘆き、天の流した涙のようだった。雨は絶え間なく降り、かの竜の亡骸をしとどに濡らし、紅黒の血を洗い流す。それはやがて地を育み、峡谷に緑をもたらし、いずれ果実が稔るように、新たな竜が生まれるのだ。

一方、ヴルムドの腹部。破裂したそれから遥か下方には、長虫のように這う男の姿があった。男の下半身はもう無い。ヴルムドに喰われる過程で引きちぎられたのだ。無謀な仇討ちを為すために含んだ秘薬、その余剰がなおも彼を生かしていた。

はらわたを引きずり、泥混じりのヴルムドの血をすすり、吐き、失われていく体の感覚に怯えながらも、男は這った。やがて岸壁にたどり着き、かろうじて形の残った右腕で身を寄せた。

「……あ゛ぁ」

震えた声で呟く。霞んだ目で見上げる。禁忌を侵して仕留めた竜の亡骸を。<竜災>は男から全てを奪った。だから彼はかの竜から命を奪った。それが絶対の罪であろうと、もはや関係なかった。

(畜生、死にたかねぇなぁ)

口角が不格好に上がった。このまま雨とクソ竜の血に溺れ、一人無様に死ぬのだと。だが、その時ふと思い至った。秘薬を提供した年若い商人。彼女が紹介した奇妙な少年を。彼が名乗った肩書を。

「いるの……かい。看取り、屋の、ごほっ、旦那……」

雨に咽せながら呟く。返答はない。竜の憤激に巻き込まれ逝ったか、それとも大罪人との契約など初めから守る気はなかったのか。冴えない土産話ができたな。男は自嘲した。

だが虚に飲まれゆく視界に、彼は見た。降り注ぐ雨の中に生まれた、人の輪郭大の空白を。それがやがて色づき、形を取り……少年の姿へと変わる、超常の光景を。

「いる」

灰色のフードの少年は言った。

「<竜童>……だったの、か」

目を見開こうとしたが、叶わなかった。だからただ、見つめた。少年の赤い瞳に感情の色はなかった。ただ静かに、厳かに、男を見下ろしていた。その最期を看取るために。

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。