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普通ってなんだろう

「普通にやっといて」「普通にしてくれればいいから」「普通知ってるよ」「普通できるでしょ?」

こういう感じで「普通の振る舞い」を要求されることは、どこに行っても多々あることだ。

しかし「普通ってなんですか」と尋ねても、キッパリとした回答は返ってこない。普通は普通であり、そんなことを聞くのは普通じゃないらしい。

明確でないものは苦手。これは私にとっての普通だ。何かを指示するなら、その内容を明確にしてほしい。そうでなければ伝わらない。

ところが指示者にそれを伝えても「甘えるな」とかで一蹴されることが多い。どうやら普通、その辺の意図は汲み取れるものなのだそうだ。それが出来ないと言うのは甘えであり、責められるべきことらしい。

そんなことを言われても分からないものは分からないし、苦手なものは苦手だ。普通の2文字にはあまりにも多くの意味が込められていて、しかも時と場所によって丸っきり変化する。言われるたびに意味が変わるのだ。

これほど奇怪な言葉が他にあるだろうか? ……結構あるか。
ただまあ、一度に複数のことは考えられないので、今回は私が考えた普通と至った結論について、普通に書き殴ってみようかと思う。

普通とはどういう意味か

普通とは発言者が属する集団によって定義された「ありふれた行い」「支障のない行い」を指す。

先に結論の方を書くと、こういう感じだ。

この「属する集団によって」という部分が肝だ。集団というものには実体がない。つまり、とうの発言者自身ですら「普通」が何かとは完全に理解していないのだ。発言者は集団の一部であっても、その全部ではないのだから。聞き返しが怒られるのは、この部分へのコンプレックスもいくらか影響しているのではないか、と思う。

「ありふれた行い」「支障のない行い」はそのまんまだ。日常的な行いであり、もっと言えば「問題の起こったことのない行い」だ。社会的に見てマズい行いが「現場での普通」として慣習化されていることは多いが、それも今まで問題がなかったから、というのが大きな理由だろう。

誰しも面倒は減らしたいし、余計な仕事は抱え込みたくない。そこに出来合いの答えがあれば飛びつきたくもなる。何より先輩たちもおこなってきたことなのだから、少し間違いや問題があっても気にならない。帰って自炊するのが面倒な時、多少健康に悪かろうと、出前や外食で片付けたくなることもあるだろう。そういう感じだ。

普通と言われたとき、どう対応すべきか

会話中の状況と似たような経験があれば、それを例に出して「こういう感じでいいですか?」などと尋ねると良いだろう。「はい」と「いいえ」の二択に解答を絞ることで、相手も答えやすくなる。

一方、全く未知な分野である場合は聞き返すしかない。ただこの時も「普通」という言葉を出した当人に聞くのはなるべく避けた方がいいだろう。こういう抽象的な言葉が使われるときは、相手の方にも余裕がないことが多いからだ。

人間が指示を出すとき、どうしても上と下の関係が生ずる。指示を出す側が上だ。そうして立場ができると、多くの人はそれを守ろうとする。

抽象的な言葉とは、上手く言語化できない内容をなんとか形にした言葉だ。そこに質問されるというのは、むき出しの弱点を針で突かれるのに等しい。そうして立場が揺るがされると、どうしても腹が立ちやすくなってしまう。

質問者も疑問に答えてもらえず、頭ごなしに叱られるのだから腹が立つ。お互いに腹が立っていれば、あとは売り言葉に買い言葉だ。相手が抑えてくれても、腹の底に不満は残るだろう。こういう結末は避けた方が無難だ。

それでも周りに誰もいなければ? そういうときはやはり、相手に質問するしかない。ただし「普通ってなんですか」という直球勝負は避けた方がいいだろう。自分がわからないものはわからないと思うのと同様に、相手もわからないものはわからないのだから。

前述のように、いくつか具体例を出し、結論に近いものを選んでもらって補足してもらうとか、今理解している内容をそのまま伝えてみるとか。とにかく相手一人で考え込ませず、こちら側から手を貸させてもらうことだ。このとき、あくまで下の立場からという点は注意しておいた方がいいだろう。

多くの人は、後輩にカッコいいところを見せたい(私も見せたい)ものだ。それなのに説明も上手くできずにしどろもどろになり、逆に助けてもらわなければならなかった、となれば惨めな気持ちになるだろう。説明という仕事は、想像するよりも遥かに難しい。そのギャップもある。

上手くいかない焦りと、上手くできたはずなのにというギャップ。そのどちらも結構なストレスだ。二つ合わさればさらに苛立つだろう。そうなればやっぱり感情的になりやすくなる。上の立場だろうが下の立場だろうが、同じ人間なのだから。

まとめ

普通とは何かなんて誰にもわからない。
普通と言われたときも、相手も意味がわかっていない。
そういうときはお互いに助け合おう。

あれこれ書いてみたが、やっぱり私は普通という言葉が苦手だ。もっとハッキリ示してほしい。とはいえ、いつもそう上手くはいかないのが人生だ。例えばこの文章を書いているときとかに。

普通という曖昧な言葉は、あまりにも多くの意味を内包する。それゆえに口に出すだけで何かを伝えた気になる、なれてしまう。たとえ相手が、その意味を上手く汲み取れていなかったとしてもだ。

相手と自分の思考を共有し、言葉の意味を擦り合わせていくこと。それこそがこの便利な言葉を上手に使うための唯一の、そして普通の手段なのかもしれない。

(おしまい)

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。