『ハムトー』の人間

いつもの喫茶店がある。僕にはいつもの喫茶店がある。「なんだ、お前がいつもの喫茶店を語るな、コーヒーの違いもわからないくせに」との声が耳に届きそうだが、僕にはいつもの喫茶店がある。とは言うもの、通算の来店数は10程度。東京は北区。自宅から徒歩2分。ここで言い訳を。東京にアパートを構えたのは、かれこれ一昨年の4月。そこから2ヶ月で札幌に飛ばされ、去年の1月に本州帰還と思えば小田原でのホテル暮らし。週末は東京に戻るものの、2週に1回の頻度で実家への帰省に励んでいるため機会に恵まれず。それでも都合がつく際にはこの喫茶店を訪れ、もしくは、行かなくとも、喫茶店の前を通る時には店内の様子を想像し、ハリいいマスター、キュートな奥さん、年齢層は高めの常連客。その空間の平均年齢を劇的に下げる若造が、遂に本日、常連客の仲間入りをしたことを報告します。

土曜の朝。起床後は枕元に積読された愛する本たちをめくりながら、部屋の温度と自分の体温が高くなってきた頃に、ようやく重い腰をあげる。寝巻きの上からダウンを羽織り、厚手の靴下を仕込み、顔も洗わず家を出る。普段使いの意味を履き違えているかもしれないが。

「いらっしゃあぃ」と微笑む奥さん。少し遅れて「いらっしゃーい!」と声の通るマスター。いつものテーブル。見覚えのある顔ぶれ。土曜朝のスターティングメンバー。今日で3週連続の来店記録を更新中の僕は、いつもの"タマゴトーストとホットコーヒーのモーニングセット"を注文するつもり。こちらのタマゴトーストはほんとうに美味しい。3等分されたトーストが上下2枚に重なり合い、その間に、肉厚でぷりぷりのタマゴが鎮座する。程よいバターの風味と、シンプルなレタスもよい。かぶりつく。とまぁ、このような感じで土曜の朝を過ごしているわけだけれど、今日はついに、「いつものでいい?」と奥さんから尋ねられ、「お願いします〜(え、いつもの。いつもの。いつもの。嬉しい。やった。前から顔は覚えてもらっていたけれど、注文には至らなかったから、そうです。いつものです。例のをひとつ、ね。これで自分も喫茶テラスの常連を名乗ることができる)」「ハムトーだったわよね?」「はい!」と、ついに常連客の仲間入りを果たしたようで、やっと認めてもらえたようで、心が躍った。

待てよ、奥さん、『ハムトー』っておっしゃられていた?ハムトーは、タマゴトースト?壁に貼られたモーニングセットのメニューを探す。"ハムトー=タマゴトースト"ではない。"ハムトー=ハムトースト"。『ハムトー』とは、ハムトーストのことである。奥さん、僕がいつも口にしているのは『ハムトー』ではない。【タマトー】だ。けれども、訂正などしてはいられない。そんな姿を他の常連客に見られたら鼻で笑われてしまう。「ふっ、あいつ、注文を訂正してやがる」だなんて、ようやく常連客の仲間入りをしたにも関わらず、一瞬で蹴落とされてしまう。いや、待て、もしかすると、"ハムトー=タマゴトースト"なのかもしれない。喫茶テラスでは、『ハムトー』とは、タマゴトーストのことを指しているのかもしれない。どこからか舞い降りたわずかな期待を抱えたまま、静かに待つ。卵を割り、フライパンで奏でる音が聞こえてくる。ほらやっぱり!と思ったものの、そのタマゴトーストは他の席へと運ばれる。待つこと5分。僕の席に現れたのは、どこからどう見ても【ハムトースト】であった。涙目で奥さんに訴えるも、伝わらない。「あっ、あなたはタマトーだったわ、ごめんね」とはならず、ホットコーヒー(喫茶テラスではホットという)が運ばれてくる。致し方ない。

ハムトーを頬張る間、考えたことがある。奥さんの中で、僕は「ハムトーの人間」と認識されている。この認識を改めさせるべきか否か。次回以降もおそらく奥さんは、「いつものでいいわよね?」と聞いてくる。僕が「はい」と答えると、ハムトーストが出てくる。僕が「やっぱりタマゴトーストでお願いします」と答えると、タマゴトーストが出てくる。後者では、不穏な空気が店内に漂ってしまう。「あなたはどっちなの?ハムトーの人間が、どうしてタマトーを頼むの?あなたはいったい何者なの?次回はどちらを注文するの?」奥さんを混乱の渦に巻き込んでしまう危険性すらある。かつ、僕が常連となり、"いつもの"をようやく使えるようになったも束の間、タマゴトーストへの変更という暴力的行為をすることにより、"いつもの"が通用しなくなってしまう。"いつもの=タマゴトースト"この式を成立させるには、10回は通わなくてはならない。いや、既に奥さんの中では「いつもの=ハムトースト」なのだから、訂正するには、最低でも20回は通わなくてはならないだろう。「やっぱり、タマゴトーストでお願いします」と苦渋に満ちた訂正を行い続けなければならない。"いつもの=ハムトー"を受け入れて常連客の最後尾に位置するか、"いつもの=タマトー"になるまで、律儀に訂正を繰り返してタマトーの常連という肩書きを手にするべきか。

かねてより僕は、この喫茶店に恋人と訪れたいと思っている。恋人と一緒に来店。すると、「あら、彼女さん?」「そうなんです。東京に遊びに来たので連れてきちゃいました」「あらまぁ、可愛い彼女さんねぇ」「あっ、はい…(照れ)」「あなたはいつものでいい?」「はい、いつもので」「さてと、お隣の彼女さんは何にする?」という会話を夢に見ている。東京に遊びにきた僕の恋人に、"いつもの注文"を見せつけたい。東京の喫茶店で"いつもの"を発揮している僕に、惚れていただきたい。

結論。恋人と一緒に訪れるまでは、"いつもの=ハムトー"にし、恋人と一緒に訪れた後に、"いつもの=タマトー"に訂正していく努力を始めよう。

喫茶テラスはいいお店です。本当に素敵です。マスターも、奥さんも、とっても愛らしい方々。キュートでチャーミングで愛おしい。大好きです。トースト2枚が3等分されているので、合計で6切れのパンがあります。コーヒーを差し出すタイミングで、1切れのパンが崩れてしまいました。「あらまぁ…」と微笑みながら親指と人差し指でそっとつまんで元の位置へと戻す、悪いことしちゃった、という様子すら伺える奥さん、いつもありがとう。

追伸。最近はよく通ってたお店が閉店していることがある。特に仙台。寂しく、悲しい。だからこそ、喫茶テラスのようなお店には、足繁く通っていきたいと思う。永遠に、とはいかなくとも、今はまだ、その場所に在り続けてほしいなと思う。そして、閉店してしまったお店たちも、つまりはその場所に在ったという事実は消えることのない確かな営みなのだから、時折に思い出してみて、そういえばあんな味だったな、とか、あそこの店主はどうしているのかな、とか、どこに行っても、どれだけ経っても、思い出し、想像して、何一つ変わらないあの頃の温度と質感を、心に灯し続けてゆきたいと思います。閉店してしまったお店たちも、お店だけではなくとも、通って、通われて、愛して、愛されて、私たちの生活は続いてゆく。

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