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変容
朝、目覚ましがなくても5時くらいに目が覚めてそこからダラダラして、6時過ぎに起きます。
夏は朝が明るくて好きです。
トイレに行って、お水を飲んで
そこから水風呂に入ってさっぱりしたところで洗濯機を回します。
ゆっくりコーヒーを淹れて、メールのチェックなどをします。
洗濯機が回る音を聞きながらこうやってパソコンで文章を書いています。
すごくありがたい贅沢な時間だなあ、と感じています。
私はずっと自分が変わりたいと思っていました。
生きるのが辛くて、衣食住が揃っていても、友達がいても、恋人がいても、ずっとずっとどこかで自分は不十分な存在だと思っていました。
もっとお金があれば、ちゃんとした仕事をすれば、性格が良くなれば、あれが手に入れば、これがあれば、きっと幸せになるはずだ、と思っていました。
両親は、いい大学(偏差値の高い)に入るためにいい高校に(偏差値の高い)入りないさい、と真面目に言っていましたし、いい企業にお勤めしなさい(お給料が良くて福利厚生がしっかりしているところ)という希望があったと思います。
早々にその希望から外れた人生を歩んでいるわけですが、それでも安定、という言葉を頼りに看護学校に入学してみたもののやっぱりそこでもドロップアウトしてしまいます。
そしてずーっと、自分は不十分な存在だと思いながら生きてきました。
表面上は楽しそうにしてもどこかきちんとして認められて生きていけるようにとしていました。
先日、父の誕生日に家族で食事をしたのですが
アルバイトを探している私が書類や面接で落ちて落ちてなかなか決まらない話をしていると母が、
「この間テレビで60社くらい受けて全部落ちた人がアフリカに行ってなんかそこでビジネスで成功したって話を聞いた。だから落ちてもいいのよ、そういう人っているんだもんね。」
とお話ししてくれたことを嬉しく聞いていました。
願わくば、その言葉を20代の頃に聞きたかったのですが
そのころは酔っ払った母が
「ETSUKOを自分の娘として認めなくてはいけない、認めるのが辛い」
と書きなぐったメモが机の上にあって、それを夜中に見つけてしまい、泣きながら読んでいた私の姿が思い出されました。
これを癒し、と言わずになんと言いましょうか?
私も変わりましたが、家族も同様に変わっていきました。
父は相変わらずだけど、歳をとりました。
ロミロミをハワイ島で学んでいる時、クム(先生)にこう質問しました。
「癒しって何ですか?」
その言葉にしばし、クムは考えた後
「変容」
という言葉が返ってきました。
(もっと色々説明したいけど、一言で表すのならと言っていました)
私はその後も色々あって、ヒーリングを学んだりもしたのですが、本格的に変容し始めたのはヒーリングスクールで学んでいた頃だと感じています。
人を根本から癒して変えていくお手伝いがしたい
まずは自分が根本から変わりたい。
その思いが現実となっています。
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