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ギャル雑誌モデルからアーユルヴェーダに辿り着いた訳。


皆さんこんにちは! 岡清華です。
かなり、お久しぶりの投稿となってしまいましたが、
今日は少しゆっくりと、あまり表に出してこなかった私の過去についてご紹介したいとおもいます。

私は、兵庫県に生まれ、地元の公立小・中・高校出身。大学は、管理栄養士課程の4年生大学へ進学しました。

高校生の時には、特に打ち込むものもなく、暇だったのか(笑)とにかくダイエットに明け暮れていましたが、大学受験で元通り以上になっていました。(笑)
この大学受験が私の全てを変えたと言っても過言ではない人生の壁を乗り越えた成功体験の幹になりました。

(食や栄養に目覚めたキッカケは、
→→こちらのインスタライブ動画←←をご覧ください)

そして、大学1年生の時に、当時流行っていた "読者モデル" 
にとある友達に推薦されたことをキッカケに、
ファッション雑誌などでのモデル活動に足を踏み入れました。

※衝撃画像※
こちら、おそらく、人生ではじめてのスナップ写真。
(決して中指を立てている訳ではありません)

この時大学一年生。(19歳?)
4年続けた居酒屋でバイトしながら管理栄養士家庭の大学に入るために死に物狂いで受験勉強してなんとか入学した大学。そしてそれを機に、毎日出会っていく新しいご縁と人脈が楽しくて仕方ありませんでした。一つ一つの出会いを大切に、ご縁を紡いでいくことを覚えました。人脈を宝だと思い始めたのも、付き合いというものを覚えたのもこの頃でした。

大学生になると、とにかく髪を染められたことやおシャレを楽しめることが嬉しくて。管理栄養士課程の専科での同期200名の中では確実に5本の指に入る派手さを誇っていたに違いありません。

読者モデルとしては、ViviやJJ、そして後に専属モデルとなるBLENDAに登場させていただき、CS放送や様々なカタログや雑誌にも出演させていただくなどとにかく毎日が初めてのことばかりで、刺激的でした。

20歳成人式。めでたいし、紅白やろ。といわんとばかりな派手さです。とにかく人目を気にせず自分らしさを益々確立していっていたように思い返します。


そこで、大学二年生のとあるタイミングで、当時海外セレブ風ギャル誌として人気だったBLENDAという雑誌の当時の編集長からお声をいただき、当時流行していたブログで発信していく専属グループということで、気づけばブロガーモデルとして活動していました。

そこからは、毎日休みなくびっちり授業や実習が詰まっていた大学に通いながら、月に一回東京へ、始発で向かい、最終で帰り(始発で帰ってそのまま大学に行ったこともあった。)な、生活が始まっていきました。

とにかく私にとって東京は、そしてこの業界は、見るもの聞くもの、全てが刺激的で、本当に衝撃の連続の毎日。

当時のDMLの皆んなは、特に、本当に、本当に個性的で、私にとっては刺激的すぎて・・・!今でも、皆それぞれが、それぞれらしく頑張っている姿を見ています。

海外風ギャル雑誌なのもあり、カラコン、つけまつげ2枚は必須。
こんなにメイクをしてもらったのは、人生で最初で最後でしょうね。


この時、私生活では、どっぷりファッションにハマっていて、ファッションで自分らしさを表現するようになった。誰かミューズがいるわけでなく、自分自身で、自分らしさを表現するようになっていきました。

学生不可の当時勢いがあったアパレルのセレクトショップへ飛び込み面接していただき、ショップ店員としてもアルバイトさせていただく中でどんどんセンスに関するアイデンテティが磨かれていったような気がしています。

そして、接客や、立ち振る舞いや、お客様を思う気持ち、商品を販売するにあたって大切なことなどをたくさん学ばせていただいた原点です。

3年ほど在籍させていただきましたが、こちらも毎日刺激的で、特にハロウィンパーティーにみんなで深夜まで繰り出していた恒例行事は忘れられない思い出です。(やっぱりクラブは苦手なので、12時になったら帰宅していました。)


さてここからが本題です。
高校生の時に独学で学んだ(ネットに溢れる健康情報をただすべて実践してみただけの)栄養学で、ダイエットに成功していた(見た目だけ)私は、ファッションが楽しくて・・・というだけではなく、月に一回の撮影に命をかけて、体作りに励みました。

モデル業は最初から憧れていたものではなかったのですが、一度チャンスを頂いたとしたら、それに120%で応えるのみ。という魂はその時からあったのですね。やると決めたらとことんやる。できるところまでやってみようという一心で。

高校生からのルーティンはずっと変わりませんでした。
朝5時に起床し、1時間走り、朝はフルーツなど決まった軽食。
昼は小さなお弁当か、コンビニのサラダやナッツのみ。
夜は肉などのタンパク質と野菜のみ。

学校帰りには、必ずプールで60分ほど泳いだりウォーキングしました。
そして帰宅してビリーズブートキャンプの腹筋プログラムと、60分のジョグ。

“見た目の体づくり“、誌面上での見栄えに命をかけて全てを注いでいました。


この時のことを考えてみれば、とにかく必死で生きていて、頭の中は、痩せることもそうですが、魅せることでいっぱいいっぱいだったように思います。食べるもの、運動すること、それらについてばかり考えていて。

何度もうまくできず、スタジオやロケの撮影中に映った鏡の前で涙を流したり、自分に自信がなくてもう自分には向いていないんだと諦めたくなることも何度もあった。自分の顔や体が大嫌いで仕方なかったこともたくさんありました。


でもそれ以上に、表現することが楽しかった。
求めてもらえることが嬉しくて、新しいことにチャレンジすることが楽しくて。


そんなこんなをしていたら、大学卒業間近。
そろそろ国家試験が近づき、芸能活動を今後どうするべきか考えていたころ、
専属モデルのセンパイたちとも撮影させていただくようになり、益々毎日が楽しく、どんな辛いことでもどんなにしんどいことでも吹っ飛ぶくらい、夢中になってやり切ることができました。

(先輩方には、沢山お世話になり沢山その仲良くしていただきました。)


ちょうど私が、大学を卒業するころ。ギャル誌が一斉に出版停止となり、専属で所属していたBLENDAも休刊になりました。

就職をするつもりも一切なく、私は大学卒業前に、とある決断をしました。
それは、管理栄養士として学んだ内容だけでは、私の体調はもちろん、人生における幸せや心地よさ、心の豊かさには程遠い、“あくまで、理論” のように感じていたからです。

そんな時にネットでたまたま調べていて辿り着いたのが、アーユルヴェーダでした。その内容を軽く読んだだけで、あ。これだ。と、稲妻が走るように、すでにその瞬間から私の今にまで繋がる道が決まっていました。

すぐさま、母親父親にプレゼンして、幾晩も幾晩も説得し、100万円もの大金を貸していただくという投資を受けることができました。(我が家はそんなに裕福な家庭ではないですが、私の未来を信じて、投資して貰えたことは奇跡だと思います。)

今、この自分の衝動的な行動を、心から褒めたいし、どこから来るかわからない自信満々の私に大金を投資してくれた両親には頭が上がりません。一生かけて、何倍返しにでもしたいと思っています。

師匠が住んでいたカウアイ島に合宿し、アーユルヴェーダにどっぷり浸かって修行をしたあと、帰ってきた私は、すぐに自分の人生を見直して本当に生まれ変わったかのように新しい人生をスタートさせていきました。

本当に、ここに全てが詰まっていました。
ここに辿り着くことができた、今までの過去全てに感謝し、新たな人生を東京でスタートさせました。

上京してからも少し所属していた芸能事務所。私は、事務所の皆様にも心から感謝していますが、そもそも興味があったわけではない芸能界にも日に日に違和感を感じました。

本当の自分を表現できない、真実を伝えられないという世界の中に、
その先に私の幸せはありませんでした。

芸能を完全に撤退し、365日24時間アルバイトを3つほど掛け持ちして働きました。元いた華やかな世界からの新しい土俵でのゼロスタート。どうしようもない悔しさや不甲斐なさで押し潰されそうになったことも多々ありました。

しかしそこで新たに出会った人脈や全ての経験が、かけがえのない宝物。今の仕事の基盤となっているのです。過去は何ひとつ欠くことのできない宝物。そう、過去培ってきたものなど、新しい世界に踏み込めば、なんの効力も示さないのです。ひとつ、自分の経験ということを除いては。

そして、2年間のフリーランスでのアルバイト生活、そして2年間の会社への所属を経て、2019年に独立、MOTHERの立ち上げに至りました。

このプロセスは至って単純です。
私は、アーユルヴェーダという真実に出会い、衝撃的なほどに人生の価値観が変わった。真実を知った。真実に生きたくなった。だから今までの全てに感謝をして、本当に自分らしい生き方をするために、着実に準備を整えていった。

答えがわかっているのにプロセスがわからなく、先が見えなくて辛いこと、辛い時期も沢山あったけれど、私には確固たる軸がありました。

そして今、こうして自分が本当の意味で自分らしくいられる場所を自らで作り、真実に生き、真実を伝え、真実を求める人とだけ仕事もプライベートも付き合うことができています。

自分のことを理解する。生きる意味を理解する。真実を知る。
・・・これはどれほどに幸せなことか。

これが、私が今、生きているだけで毎日幸せが増し続けていく理由です。


真実は簡単には手に入るものではありません。
準備と段階を経て、自分のペースで少しずつ登ることができます。

しかし簡単に手に入らないから、長い道のりだからといって諦めますか?
いつ手に入るかわからないものだけれど、一歩一歩進んで行けば、
いつかは必ず手に入るものだとしたら、その道をすぐにでも進み始めるべきではありませんか?


遠くに見えるゴールを眺めているだけか?
それとも気づいた瞬間から着実に一歩を踏み出していく覚悟を決めることができるか。

その勇気ひとつで、人生が大きく、大きく、変化していくのではないでしょうか。

これが、今の私の活動に至るまでの過去の大きな流れです。
勿論、これは簡単な一部であり、もっともっと壮絶で濃厚でドロドロです。笑


しかし、今の幸せがあるのは、私の過去のどれかひとつでも欠けていたら叶わないものでした。全てにおいて必然的で意味があったものなのだと鳥肌が立つほどです。

私はこのように、人生における指針と出会えたことが何よりの幸せです。
これからも一生、死ぬまでかけてアーユルヴェーダを軸に最高の自分を更新しづつけ、伝え続けていきたいと思っています。


長くなりましたが、こんな私が伝えるアーユルヴェーダを、皆様、これからも、注目していていただきたいです。必ず、私にしかできない方法で、この世界最古の伝統医学を現代の日本に微小たりとも役立てて面白い活動を継続して、人生を楽しみ切りたいと思います。

そして私と過去、現在、出会ってくださった皆様に心から感謝します。
これからもよろしくお願いいたします。

2021.1.31  Mother株式会社 代表 岡 清華

MOTHER Ayurveda Leader  アーユルヴェーダスクール

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