希望職種で不採用。でも挑戦して見えた、バトンをつなぐ自分の仕事の意味。アートディレクター長田愛美
仕事内容や大変なこと、やりがいなど、マザーハウスではたらくリアルをスタッフに聞く「スタッフインタビュー」。
今回はマザーハウスに中途入社し、現在はアートディレクションを担当している、長田愛美に話を聞きました。
プロフィール
まず、なぜマザーハウスに転職しようと思ったのですか?
青年海外協力隊を通して国際協力に携わり、援助や支援などが瞬発的なもので終わる現実を知りました。 そして「可哀想な人」では決してない、イキイキとした現地の人々との出会いの中で、徐々にどうすれば生まれた環境に左右されずに、知識や情報を得る機会を均等に作ることができるのか。どうすれば努力が報われるようになるのかを考えるようになりました。
協力隊の任期を終えて、次はどんなキャリアを歩もうかと考えていたときに、一方的に終わることが多い援助や支援の形ではなく、また一般的なフェアトレードとも違う「健全な企業努力をしながら、経済活動を通して、途上国の可能性に光りをあてる」という、マザーハウスの会社の在り方に共感し、働いてみたいと思ったんです。
今の仕事のやりがいはどんなところですか?
描く、つくることは、子どもの頃から大好きでした。好きだからこそ、こだわりを一つずつ積み上げていった先に、自分自身で良いと思えるものをつくることができ、さらに、「誰かの心を動かすことができた!」と思えたときに、やりがいと感動を感じます。でも実は、この会社でアートディレクター(AD)として異動した当初は、経験が少なく、自信も持てませんでした。
前職でデザインの経験はあっても、苦労したことがあったんですね。
はい 、商品の良さをお客様にビジュアルでお届けするためには、その商品が持つ「美しさ」をどう表現するかを考える必要があります。でも、経験も力量も足りていなかったので、自分の考えに自信が持てず、誰かの正解を探してしまうことが続きました。何が「美しさ」なのか、それをどう表現するかも、誰かが示してくれるものに頼っていたんです。
自分なりの考えや答えがないままつくるので、良いもの、納得するものがつくれず、その時期が一番苦しかったです。でも結局、私がつくるものに私が責任を持てなければ、良いものは絶対につくれない。と思うようになって、それから人の中に答えを探すことをやめました。
そう覚悟したものの、その自分で課した責任に潰されそうになることもあります。実は毎回、何かをつくり始める時は「ワクワク」よりも、良いものがつくれるかの「不安」の方が圧倒的に大きいです。
それでもがんばれる理由はどこにあるのですか?
「努力は好きに勝てない」という持論があります。どんなに不安で苦しくても、好きだからこそがんばれるし、苦しさがあるからこそ、良いものができた時に感動があると思っています。そして、自分が感動するものがつくれたときに初めて、人に伝わっていくと思うので、それができたときは苦労や不安な気持ちが報われたなって思えます。
それと、店舗でお客様と接した経験から、自分がつくったものがお客様にちゃんとつながっていることが見えていることも大きいですね。インスタなどのお客様のコメントも必ずチェックするようにしていて、一言一言にこちらが勇気をいただくことも多いです。
また、お店のスタッフから「お客様からカタログの表紙に載っているこのバッグ素敵ねー!、どこにおいてあるの?」と聞かれるんですよ!なんて言葉をもらったときは、すごく嬉しいですし、お客様だけでなく、販売側のスタッフともつながる仕事ができている、おもしろさを感じます。
生産国から受け取ったバトンを店舗につなげ、お客様にお届けできるのはマザーハウスだからこそだなと感じています。
これまでの仕事の中で一番心が動いた瞬間を教えてください。
入社してから、二子玉川ライズ店で働いていたのですが、その時のお客様との出会いがとても心に残っています。
そのお客様と、何気なくお話ししていた際に、数年前に大病を患われたこと、その時に息子さんから初めてもらったプレゼントが、マザーハウスのバッグだったと知りました。そして、お話をおうかがいするうちに、気づくと店頭でお客様と一緒に泣いてしまっていたんです。このできごとは、自分の考えが一気に変わる瞬間でもありました。
前職でも、デザインをするときに、「誰をターゲットに作るか?」みたいに、お客様像について話すことはよくあることでした。でも、恥ずかしながら、そのお客様に出会った時に初めて、「お客様=1人の人格を持った人間」という当たり前のことに気づかされたんです。
良いことも辛いこともある、お客様それぞれの人生の中で、マザーハウスと交差する点があり、その交差地点に自分がいるのだなと。それであれば、その交差地点のお客様に、私は何をお届けできるのだろう、と考えるようになりました。そして、この出会いがあったから、事務所に異動した今でも、お店で出会ったお客様の姿を想い浮かべて、その方たちに、デザインを通して何ができるかを心に留めて、仕事ができていると思っています。
マザーハウスは長田さんにとってどんなところですか?
ある意味考え方も行動も「自分次第」の会社だなと思っています。自分の行動次第で、今ある現実を変えていくことだってできる。そこがおもしろくて、好きなところです。
実は、私は応募当時、希望していたAD職では選考に落ちているんです。店舗スタッフとしての採用と言われて、元々やっていた専門職を手放してまで、この会社に入るべきかギリギリまで迷い、嫌なら半年で辞めようと決めて入社したんです。
希望ではない職種に飛び込むことは、勇気のいる決断でしたよね。
はい、決意したポイントは、選考の中で面接官が私のことを応募者ではなく、一人の人間として話してくれたことも大きかったのですが、一番はワクワクしたことでした。
例えば、「店長は中小企業の経営者であれ」というような言葉を聞いて、普通の小売りやショップの店員とは違う、枠を超えた挑戦ができそうだと感じました。
そして、飛び込んでみたら、あっという間に半年が経ちました!一緒に働くスタッフに恵まれて、思った以上にやりがいと楽しさを感じる店舗での日々の中で、この会社での自分のキャリアと真剣に向き合う覚悟ができました。とはいうものの、元々希望していたアートディレクションの部署への異動への気持ちも捨ててはいませんでした。
でも、希望する部署の人員状況からも、すぐには異動は実現できないことも実感してきて、諦めに変わりはじめていたんです。
そこから、どうやってADへの道をつかんだのですか?
難しいとわかっていながら、何故か不思議と落ち込むことなく、逆に燃えてきたんですよね。「絶対、何か突破口があるはず!」と、思っていました。
考えていくうちに、店舗スタッフとして、お店周りのデザインを担当する「店舗デザイナー」という枠を作ったら、誰にもできない、お店にいるからこその視点をもった、私だけのオリジナルの仕事になるんじゃないか!と思いついたんです。
すぐに店長に相談したら、「おもしろいね」と背中を押してくれました。所属店舗以外の周辺店舗にも「必要なことがあったら、POPなどのデザインやります!」と宣言して、周知したり、事務所の販促チームに声をかけたりして、店舗にいながら、デザイン業務を行うようになりました。そうやって少しずつ動くうちに、ADポジションで人員を募集することになりました。その際、店舗でのアクションを見てもらっていたことから、私に声がかかり、希望していた職種につくことができたんです。
今でも、辛い、苦しい、迷う、そういう時こそ、自分の考えを整理するために、自問自答するようにしています。できる、できないより、やりたいか、やりたくないか。やりたいことを実現するために動く。そして、動いたら動いた分だけ「今」を変えることができるのは、マザーハウスの好きなところですね。
最後に、これからの目標があれば教えてください。
グラフィックデザインのチームをもっと能動的なチームとして機能させていきたいなと思っています。
どういうことかというと、私のチームは、他の誰かからの依頼を受けて、デザインを作ることが多いので、仕事の内容的に受動的になりやすいんです。でも、ADのスタッフそれぞれが考えていることが結構おもしろくて、「こういったものをやりたいよね!」ということも大事にしながら、「できる」「できない」という視点とは別に、何がやりたいかをみんなで話すようにしています。
そうやって、新しいアイデアや自分たちのやりたい!から、新しい挑戦をして、今までなかったデザインや表現が生まれたら良いなと思っています。だから、それらを実現していけるチームとなれるように、まさに今チームの体制を整えていっているところなんです。
読んでいただいてありがとうございました!マザーハウスをもっといろいろな角度から楽しんでいただける毎日の出来事を、生産地やお店からお届けしていきます!