見出し画像

第5回 工場の赤ちゃんが生まれる


モノづくりの現場に身をおいて

直営店ができることで、直接お客様とお話する機会も増えていきました。
遠方からわざわざ足を運んで下さるお客様、
毎月お店に来るのが楽しみだと言ってくださるお客様、
直営店で生まれる全ての出会いにマザーハウスのビジネスの意義を感じる日々。

同時にマザーハウスがしなくてはならないものが見えてきました。
それが製品のクオリティを上げること。
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念の実現のためには、
避けては通れない道。

山口は、一つの決断をしました。
「私は、もっとバングラデシュで生産に携わりたいと思う。
私の役割はやはりバングラデシュにある。」
生産体制を作ることに大きな力を割くということは、
社長が現在の販売地である日本にいる時間が大きく減ることを意味します。
講演や取材などの依頼を受けることもできません。

しかし、物作りの会社として、一番大事なこと。それはプロダクト。
山口の決断は当然のものでした。

2007年冬、山口は片道のバングラデシュ行きのチケットを手に、海を渡りました。
現地では、これまでのゲストハウスではなく、
現地スタッフが働く事務所の上に住まいを構えました。

最初のステップとして、工場でのサンプル開発という体制から、
自前のサンプルルームを確保して商品開発に集中するという試みが始まりました。
小さなサンプルルームですが最新の設備と共に、
サンプル用のスタッフも雇い入れ始めたのです。
その後、そのサンプルルームがマザーハウスの生産を支える規模になるとは、
想像もしていませんでした。


サンプルルームから生まれる新しい工場

モノづくりのレベルを上げるために2007年の冬に立ち上げたサンプルルーム。
立ち上げた当初は、このサンプルルームが生産工場への始まりだとは
誰も想像していませんでした。

サンプルづくりは度重なる修正を繰り返すことで
品質やデザイン力が上がっていきます。
しかし、生産を委託している外部工場では、妥協しないサンプルづくりがままならず、
山口が理想とするプロダクトに行きつくことも難しくなっていました。

そうなると、自社のサンプルルームでのサンプルづくりが多くなってきます。
モノづくりに対する情熱は、必然、サンプルルームの拡大につながっていきました。

しかし、マザーハウスがサンプルづくりに力を入れて、
プロダクト力を上げていけばいくほど、
外部の生産工場が持っている品質とマザーハウスが求める品質の間に
かい離が広がっていきました。
すると、自社のサンプルルームでは、本来のサンプルづくりだけでなく、
一部の商品で生産を行うものも出てきました。自社生産の始まりです。

最初は意識せずに始まった一部商品の生産。
それが少しずつ他の商品にも広がっていくと、
自社サンプルルームの規模も大きくなっていきました。
ひとり、またひとりとスタッフが増えていくにつれ、
サンプルルームは自社工房へと形を変えていったのです。

サンプルルームが立ち上がってから1年もすると、
山口を含めてスタッフの人数は10人近くなっていました。
これが自社工場の赤ちゃん的存在であるとは考えてもいませんでした。

読んでいただいてありがとうございました!マザーハウスをもっといろいろな角度から楽しんでいただける毎日の出来事を、生産地やお店からお届けしていきます!