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Mother Gooseになるまで①大学デビュー

《Mother Gooseという屋号を掲げ、セラピストになるまで》


本格的にセラピストを名乗り始めたのは2021年7月からです。

それまでは(これを書いている時点では今も)、社員が1万人以上いる組織で総合職を、生活のメインとしてお勤めしてました。

これまでの人生、今は、「すべて自分が望んだこと」「すべてが完璧に起きている」と受け入れることができました(^^)
それまでは、「なんで私ばっかり!!!(泣)(怒)」と思っていました(笑)

今回は、生まれてから学生時代までのことをまとめてみます。長いです(笑)

※※※※※

《小学校》

出生地の神奈川県横浜市に小学校2年まで住み(楽しかった思い出しかない♡)、その後、藤沢市にお引越し。

転校先の学校では、人間関係でこじれます。

「自分」をそこに存在させるのに必死で、転校前の学校の話ばかりをしていたら、担任の先生から「転校前の話はもういいから」との趣旨の発言。

そして、仲良くしてくれた友人は、「私以外の人と遊ばないで!」と言いつつ、時々は気まぐれで私のことを無視してくるタイプ(笑)

そんなわけで、「私は嫌われないために、主張してはいけない、周りに合わせないといけない」「誰か1人、私だけを大切にしてくれる大親友が欲しい」という思いを心に刻みます。

《中学校》

その後、私学出身の親の意向もあり、中学で私立を受験し、第一志望の女子校へ。

今思えば、その女子校も、塾の先生の勧めを受け、志望理由の半分くらいは偏差値が高いという理由で選びました。

付属校があり、小学校から上がってきた生徒も多く、先に書いた思い込みがあったため、とにかく目立たないように、そしてひとりぼっちにならないように、私だけを見てくれる友達を探しました。

幸か不幸か、そんな友達ができたかに見え、1年生のときはその子を入れた4人グループでとても楽しく過ごしました。
周りに合わせまくっていたので、その時の私が何にわくわくしていたのか、今、思い出そうとしてもわかりませんが…笑

2年生になり、
(神の采配は本当に完璧だなぁと思いますが、)
なんと、クラス替えで4人グループのうち、私だけが別のクラスになってしまいました。

私は強がっていましたが、「なんで私だけ?」と納得できず、その気持ちが投影されたのか、前の席と横の席の生徒に目をつけられ、主に容姿や持ち物をネタに、いじめられるようになりました。
そうなるとますます気持ちは荒んでいき、別のクラスの元仲良しグループの友人たちや、なんとなく仲良くしていたクラスメイトとも、たった1人を除いて疎遠になりました。
が、親を含め、周りの目を気にして、皆勤賞をとるために、学校には通い続けました(笑)
部活(部員数10名程度の文化系部活)にも通い、部長にもなっています(笑)

変わらず関係を続けてくれた1人の友人は、1年生の頃、私は「私だけを大切にしてくれる大親友」だとは思っていませんでした。人の気持ちにとても敏感で、適度な距離で寄り添い上手だったその子は、下駄箱を経由した交換日記をしてくれました。そんなわけで私は「大親友!」と思ってすがりまくったのです。

3年生になり、クラス替えで、新しい友達もでき、私の精神状態が落ち着いてきたとき、その子は交換日記をスパッとやめました。
そのときの私はわけがわかりませんでした…。

《高校》

その後、高校に内部進学し、卒業を迎えようかという頃、1つの答えを得ます。

「いじめっ子は、私にとっては悪魔だと思っていたけれど、他の人にとってはかけがえのない人だったりするんだ。他の人にとっては大親友だったりするんだ。」ということでした。

いじめを容認する、とかではありませんよ。

ただ、私はずっと、私は被害者であり、悲劇のヒロインであり、いじめっ子は性根が悪魔な、人間として最初から最後までどうしようもない人間だと思っていたのです…(笑)

卒業前にそんな1つの答えを得て、
人間は相手によって変化する存在であること、
そしてただただ、感覚で、「私だけを大切にしてくれる大親友」なんて存在しないし、存在しなくていいと感じました。
たくさんの人との出会いが私を、人間を、つくっていくのだと。
交換日記をやめた友人は、日記をやめるという行動も含めて、それを教えてくれたように思います。(その友人とは、今も交流があります。)

《大学》

そして大学受験をし、都内の共学の大学へ進学。

まだまだ、「私は嫌われないために、主張してはいけない、周りに合わせないといけない」思い込みがあった私は、合わせすぎて、既に4月で疲れ果ててしまいます。

が、ある意味「合わせて」入った合唱サークルで、同期たちの自由奔放な言動に、「なんて自由なんだろう(楽しそう)」という思いを抱きます。

「1人で行動している人」=「独りぼっちな人」=「嫌われている人」=「人生終わり」と思って、大学でもとにかく周りに合わせまくっていたのに、
同期たちは全然合わせてないのに、時に、陰口を言われているのに、本人は気にせず、人生とっても楽しそうなんです。(私にはそう見えました。)

「他人より、自分の意見を尊重するって、そんなに楽しいことなのかな…?」

その後、合唱サークルで団長になり、主張しなければならない場面、それによる衝突も増え、怒ったり、泣いたりもするなかで、自分も相手も尊重しながら、自分のやりたいことを優先して行動することの楽しさを経験します。

というか、それまで、合わせてきたんですから、自分のやりたいことなんて、よくわかりませんでした。
ただ、行動することの楽しさを知ったので、他人のことはともかく、好奇心の赴くままに出かけ、出会いを楽しみ、その結果、今のメインの勤め先で、総合職として就職することに決めたのです。

中学受験も、大学受験も、周りがするから、だったのですが、
就職は、就職しないという選択肢も考えた上で、インターンシップもして、自分で選んだという気持ちを強く持てる状態で、決めることができました。

そんなわけで、わくわくが止まらない状態で、新卒として社会人生活がスタートしました。

※※※※※

つづく。




ついつい、頑張りすぎてしまうあなたに。「いい人であろう」と、無理しすぎてしまうあなたに。ほっと一息つけますように。