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『モモ』

《ブックカバーチャレンジ(「読書文化普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する」)という、Facebookで行われているリレー投稿の続き》
【5日目】

中学2年生のとき、私はちょっとだけいじめられっ子だった。
ちょっとだけ。今思うと、自分で勝手に壁を作って周りを拒絶していたようなところもあったので、いじめられてもしかたないのかもなあと自省するのだが、事実として、クラスで浮いた存在であったことは確かだった。
学校に行きたくない。この世にいたくない。どこか、別の世界に行きたい。
ずっとそんなことを考える日々。
そんなとき、母の実家に行く途中に(珍しくも)映画を観ようということになり、『ネバーエンディングストーリー』を観に行った。
心が震えた。
自分と似た境遇の主人公に思い切り感情移入した。
自分の想像力が世界を救う。
繊細に感じること、イマジネーションが武器になる。
なんて素晴らしい世界なんだろうと思った。
その世界に行きたくて、行きたくて胸が苦しくなるほどだった。
そして、その映画に原作があることを知ってすぐに買い、夢中で読んだ。
この本を読めば自分もあの世界に行けるかもしれないとひそかに思い、夜になると、あの世界に連れて行って下さいとお願いしてから寝た。
朝目覚めて、自分が家のベッドで寝ていることにいつもがっかりした。
アニメ映画「風の谷のナウシカ」の主人公ナウシカの強さに憧れた。
救いを求めて、聖書を読んだりもした。
すがる何かが欲しかった。
やがて、その息詰まるような日々は、3年生に昇級したことでほんの少しだけ解消される。独りでいることに慣れ(というよりも、他人と自分との間に壁を作る方法を獲得したというべきだったかも)、なんとなく『友だち』的な会話をする人もできた。
そしてあるとき、かつて自分をいじめていた人が、新しいクラスでいじめられる存在となっているところを目撃する・・・その人も、私が見ていることに氣付いてにらむような目つきをしたが、どこか泣き出しそうな雰囲気がまとわりついていた。
一瞬「いい気味だ」と私は思った。
だが、むなしさに切なくなった。
人は、自分より弱い存在を作って自分が優位であることをアピールしないと生きていけないのか。
何かが、ほんのちょっとだけ大衆と違っているだけで、蔑まれ、存在価値がないとされる。
お前は「間違っている」と。

人は心優しい生き物だ。
でも、人間は凶暴な動物になることが多々ある。
それは、人間であることがとてもパワフルであるがゆえの、諸刃の剣なのだ。

けれど、中学生の頃の私には、人間はただただ怖いだけの存在でしかなかった。

今は昔。

人間(じんかん)に在りて思うことは、それでも、人は愛すべき存在であるということだ。
1人ひとりは、美しくて豊かで唯一無二の存在なのだ。
だからこそ、人間は調和し強大なエネルギーを発することができる。
いつでも自分自身であり続けたいと思う。

結局、『モモ』の感想になったな・・・


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