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いよいよ受洗日です!

1年に一度開かれるという聖会に初参加し、
信徒さんであっても初対面の方々も多くて緊張していました。
いつもバイブルサロンでお世話になっている信徒さんが一緒にいてくれ、
他の信徒さんや私の父を牧師先生に合わせてくれたりしました。
そして、他の受洗者の方々と共に信仰告白をするため会場に入りました。
みなさんの前で告白するなんてすごく緊張するのではと、大丈夫かなと不安がありましたが、私は思っていたよりも緊張せず、他の方々の告白をお聞きしながら涙することもありました。
皆、真剣に生きてきて、それでも自分ではどうすることもできない事態に遭遇し、神様と出会うという様々なストーリーを聞きました。
みな共通しているのは、人生のどこかで牧師先生と出会い、神様に触れていただいたということ。
私が洗礼を受けるつもりなく教会に足を踏み入れてからおよそ1年半が経過していました。それ以前の私からは想像することのできないことでした。
それを一番感じていたのはクリスチャンである父でした。
父が神様の話をするたびに拒否していた私が、
父からするとあの娘が受洗したというこの事実が奇跡でした。
後日談ですが、父は「5年かかった。」と言ったのです。
え?何が?ときくと、
教会を近所のところに変えた理由は、家族の心配からだったと。
私は病気の夫と息子を抱えこれからどう生きていくのだろうと案じていたようです。母や弟のことも心配でした。
父が変わった教会は私と弟が通っていた幼稚園の隣にある教会でした。
ここは昔に私も弟も母も出入りしていた場所だし、母も一緒に行きやすいと思ったようです。毎日祈っていたようで、私はそんなこととは知らず、聞いたときは驚きました。
父は持病があり、母よりも自分の方が先に死ぬと思っています。
残された母が心配で、また独り身の弟の心配もしています。
これはいまだに変わっていません。
でも、私がクリスチャンになることは想定外だったようです。

信仰告白を終えたあとはいよいよ水に没するときをむかえました。
お一人お一人牧師先生が川に沈めてくださり、
私は沈められたとき、途中で苦しくなり水からあがったときにむせてしまったのですが、感覚としては、特に何か変わった感じはしませんでした。
が、多くの信徒さん同士の交わりの中で不思議な感覚を味わいました。
信徒さん同士だと、前置きがいらないということです。
いつもどの方が相手でも本題から話ができました。
そして、みなさんがおめでとうと祝福してくださいました。

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