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ファッキンクソ田舎ではなぜコロナが拡大しないのか

コロナは村社会で軽減できる、そんな妄想です。

暇ですね。
出かけても店がやってないんじゃ味気なく、用事だけ済ませてすぐ帰る日々です。
これを機に生活習慣を改善しようと、毎日1万歩歩こう、本を読もう、スマホを控えよう、自炊をしようと大変人間らしい生活になりつつあります。
意識高い系です。今思えば、意識高い系と罵られてきた人々はすごい、尊敬できると考えるようになってきました。意識を高く保ち続けるって大変です。人間は怠惰な生き物ですから、楽な方へ楽しい方へと簡単に流されます。

スマホを持たずに散歩をすると、通知もニュースも入らないのでそれはもう暇ですから、いろいろと考える機会になります。
なぜ意識高い系は罵られるのか、バカにしたくなるのか。それはおそらく人間は群れる生き物だからです。

村社会というやつです。田舎の特徴として挙げられがちなワードですが、島根、山口、大阪、三重、大阪と住む場所を変えてきた中でも、それはどこにでもありました。
コミュニティが存在する限り、そこに村社会は生まれます。
友達の輪を構築し、健全な関係を保ち続けるためには、はみ出し者は石を投げられます。コミュニティ崩壊の脅威を感じるからです。自分たちが正しいのだと信じたいのです。

教室で一番前の席に座って発言するヤツはクソ真面目だとバカにしてきました。
先輩からの過去問さえ手に入れば単位なんて楽勝だ、知識よりも人間力と経験とコミュ力のほうが大事だろ?と信じていました。まあ大事な要素ではありますがね。
大学2年からインターンシップに行くやつを罵っていました。早すぎだろ、頑張っても意味ねーよ、今を楽しめよとか言っていた気がします。

それがどうでしょう、いまや大した給料ももらえず、大した仕事もせず、30にもなってたいしたキャリアもありません。副業はなにかできないか、転職も視野に入れようなんて考えている始末です。
あの時、こうしていれば、あの日に、戻れればなんてアジカンのソラニンの歌詞みたいに後悔がじわじわと襲ってきます。
責任者はどこか、
私です。


不要不急の外出を避けよ、巣ごもりせよ。
急速に発展し繋がりが拡大し続けた世界が、ある日突然静止しました。
嫌でも自分自身の生活と人生について考える時間が、全人類に与えられたことでしょう。
好機はいつでもあなたの目の前にぶら下がってございます。はい5千円。
あらゆるメディアやスマホは、我々の余暇時間を奪おうと躍起になっています。
この好機、逃す手はない。それはネットフリックスにとってもそうでしょうが、私たちにも同義です。

ここ最近、新しく色々とはじめました。ウォーキング、ドラム、太極拳、自己啓発本の読書、甲種危険物取扱者の勉強などなど。
いい本を教えてくれる友人から最近やたら活動的だねと言われますが、なぜいま意識が高くなったのか。

おそらく近くに知り合いがいないからです。

部署の異動で春に引っ越し、周りに自分を知る友人はいません。部署には年上の上司しかおらず、自分をよく知りません。繋がりがないのです。
さらに社会人ともなれば、お互いのATフィールドに深く立ち入ることは避ける傾向にあります。すでに各個人でコミュニティを持っているため、新しく深い人間関係など作る必要がないのです。

するとどうなるか、なにをしようが自分という人間を見張る目がありません。
世間体が、周りの目が、といいますが、そもそもコミュニティに所属していなければ世間体なんてありません。だから無敵の人は現れるのでしょうね。
私は私ではなく、大多数のその他通行人Aでしかありません。モブです。
モブがなにをしようが気にも留めませんよね。あの人の一生が、私の一生と交わることが想像できないから。

しかしながら、田舎にモブは存在しません。
私は私でしかなく、〇〇学校の〇年生で〇〇部に所属して勉強ができる米屋の〇〇さんちの息子です。永久に。

田舎に暮らしてスローライフを楽しもう!
なんていいますが、それはただの妄想です。
よく聞く話でしょうが、ほんとうに妄想です。
田舎ほど人と人が繋がって拘束しあう場所はないでしょう。
村社会なんて甘いものではありません。監視社会です。

地元に帰るといろいろとよく耳に入ります。
「工務店の〇〇さん家の△△さんが結婚したらしいよ。あんたの下の学年だったでしょ。あの子〇〇大学行ってたらしいよ。最近まで海外にいたとか。」
いや話したことないですが。

「聞きたいんだけど、こないだポプラの前をあんたくらいの年の男が歩いてるって○○さんに聞いたのよ。だれかわかる?」
いや知らんが。
「○○さんがわからなくてあなたもわからんなら、私がよく遊んでた友達じゃないね、そしたら小学校以来話してない〇〇くんか△△くんじゃないかな。知らんけど。」
「なるほどね、確かに最近地元に帰ってきたって聞いたことあったわ。〇〇さんに言ってみるわ。」

「なあ、こないだジャスコいってただろ」
「なんで知っとるの」
「お前の車が入っていくの見たっていう人がいたんよ」
「えっ」

嘘みたいな恐ろしい話ですが、これは本当にあった会話です。
その辺をただ歩いてるだけで噂されます。
こんなん夜にランニングなんてしようもんなら、お茶の間の話題のトップニュースですよ。
黄色やジャスミン色の目立つ色の車を選べば、どこにドライブしようが特定されます。

ご近所ネットワークなんていいますが、それは時にtwitterよりも高速で伝播拡散されていきます。他ならぬ誰でもないあなた自身の過去と共に、より確実に。特定班なんていりません。あなたのことは町のみんなが知っています。村の目があなたをあなた足らしめるのです。

人口の少ない場所ほど、この監視社会パワーは強まると予想します。
ゆるやかに続いていくコミュニティと生活を保つために、異分子を排除する力も例外ではありません。

そこでコロナです。
人口の少ない件、鳥取や島根は感染者数がケタ違いに少ないですが、それは人口が少ないから、で片付く問題ではないと思います。
昨年のコロナ騒動が始まったころ、窓ガラスに石が投げられた、他県ナンバーの車にでていけと張り紙がされた、感染者は村八分にされた。
なんて話題になりましたが、他人事には思えませんでした。それが起こることに何の疑問もわかなかったからです。

だってファッキンクソ田舎だから。
バレるに決まっています。病院に言ったら誰かいます。
それは名も知らぬモブではなく、誰かのお父さんであったりお婆さんであったりとにかくどこかであなたと繋がっています。あなたの知らぬところで。
というか病院に勤めるその医者も、あなたの中学校の同級生のお父さんの友達である可能性もあります。あなたがモブになれる場所なんて町中どこにもありません。ファック。

だからこそ行動に気を付けます。
感染したら終わりだから。未来永劫語り継がれるでしょう、あの家の息子さんはあんなんだからあの子の息子にも気を付けなよ、と。まさに孫子の代まで呪われます。

感染対策でいろいろとありますが、これが一番効果的じゃないでしょか。
お互いを監視する。自由なんてありやしませんがね。

ライブ会場を想像してください。
あなたの右も左も前も後ろも会場全体があなたの知り合いだったら、ツバを飛ばしてはしゃげますか?モッシュダイブできますか?

知らない方がいいこともある。知り合いがいない方がいいこともある。
悪事が働けるのは相手を知らないからです。

1億総村社会、それはユートピアではなく、ディストピアかもしれない。そんな妄想でした。











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