【※フィクション】大晦日の夜に死のうと思って近所の公園に行ったら青姦中のカップルに遭遇したというフィクションにおいて

※このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

※このフィクションには自殺の話題が出てきます。閲覧は自己責任でお願いします。

大晦日の夜。死のうと思って家をでた。

家から徒歩5分程度の場所に、桜並木が地元でちょっと有名な、大きめの公園がある。その公園で首を吊ろうと、手持ちのなかで一番、幅が広くて生地の柔らかいストールを選んだ。知人が海外旅行のお土産にくれた、赤と黒のフランネルっぽい生地のストール。幅も長さもたっぷりしていて気に入っている。これを使えるのはすごくいいと思った。
ちなみにこのストールを選んだのは、以前駅中のトイレで、ナイロンの買い物バッグの持ち手の片方に頭を突っ込み、もう片方をドアの裏側についている荷物かけにひっかけて首吊りを試みた時、細くて固いナイロンの持ち手が首にガッツリ食い込んで大変痛かったという教訓からのチョイスだ。あの時は、「首吊りは痛くない」とかネットに適当なことを書いたどこかの誰かにめちゃくちゃ腹がたった。時間もかかるし、死ぬほど痛い。苦しいというより痛い。痛いのと、腹がたったのとでその時は死にきれなかった。

今回は前ほど痛くないはずだが、苦しくなった時に喉をつくための包丁を持っていくことにする。
用意のいい自分に満足しながら、適当な部屋着から着替えることにした。1900円のフリースの上下で死にたくない。
私は様式美を重んじるタイプなので、季節外れだが雰囲気を優先し、死に装束は綿100パーセントの白いロングワンピースを選んだ。クローゼットにかけっぱなしの夏物。アイロンがけをしていないので皺だらけだが、アイロンがけが嫌いなので、そこの様式美には目をつぶる。
少し迷ったが、コートや上掛けは羽織らずワンピースにストールだけで家をでることにした。
その日は大晦日で、当然のことながら12月31日で、まもなく新年を迎えるくらいの時間帯だったから、外は普通にすごく寒い。
が、繰り返すが私は様式美を重んじるタイプであるからして、フェイクファーのついた黒いコートを着て首を吊るなんてダサイと思ったのだ。最後に脱げばよいのだろうけれど、その時はそんなことを思いつかなかったし、考えられなかった。頭のなかの、働く部分と働かない部分が、ものすごく偏っていたのだと思う。

理想を言えば裸足で公園まで歩いていきたかったが、さすがに冬のアスファルトの上を裸足で歩くのは断念する。冷たいうえに、アスファルト舗装は意外と凸凹している。以前裸足で駅から家まで帰ったことのある私は知っている。駅前あたり、人通りの多いところのアスファルトは滑らかで施工が丁寧なのに、駅から離れて住宅地とかになると、だんだん肌理が粗くなっていくのだ。
せめてもの意地で靴下ははかず、素足に歩きやすい運動靴を履いた。選んだストールを首に巻き、右手に包丁をもって家を出る。

死のうと決めたものの私の体はまだ生きていて、7分丈の綿のワンピースにストールを巻いただけで公園にむかう間に鳥肌がたったし、吐く息は白かった。自分の体に血が通い、熱をもっていること。外の空気の冷たさ。風がふくと耳が切れるようで痛いと感じること。そうした感覚を確かに自分の体で感じているのに、私はどこか他人事にとらえていた。手を大きくふって歩くと右手の包丁が風を切る音がして、心がどんどんスライスされてくように軽くなる。
白い息をごうごうと吐きながら、自分を機関車のようだと思い、私は意気揚々と公園を目指した。明かりがついている家のすぐそばを何軒も何軒も通り過ぎるが誰とも出会わない。誰かいたら「こんばんは、いい夜ですね」と声をかけたいくらいの気分だった。目線をあげると、山に近いせいで暗く見える夜空に星が散っている。綺麗だなあと思った。雨が降ってなくてよかった、こんな星の夜に死ねるのが嬉しい。私の日ごろの行いがよいのだなあなんて考えて、自分がずいぶんウキウキしていることに気が付く。

もう目途がたったからだ。いつまで我慢すればいいか、わからなくて堪らないことはもうない。
長いトンネルの先に小さな明かりが見える。出口の向こうがどうなっているかは知らないが、肝心なのは、トンネルを抜けることだった。この、内側に棘棘がいっぱい生えた拷問器具のようになっている自分の体からでていけるなら、どこでもいい。私は私にがっかりしてしまったのだ。息をしても痛くて、生きていることが情けなく思える。眠れないのに何も出来なくて、ただただベッドの上で苦痛に耐えている長い長い時間。いつまで続くかわからない苦しみに見通しが立ったことで、重たい石で塞がれていた胸に風がやっと通るような気分。都会の空なりに美しい星空の下で私は(ああ、早くこの重さから抜け出てあちら側にいかなければ)という決意と期待を新たにした。

わりと広い公園の、桜並木のある通りから奥、遊歩道のある坂をのぼる。
名前のわからない木が、桜並木よりは雑に枝を伸ばしているせいで葉陰が重なり、昼間でも涼しくて薄暗い。夜はなおさらだ。街灯もないので、私の目的にはうってつけの場所だった。
ストールを引っかけられる適当な枝を探して遊歩道から外れる。運動靴の下で柔らかい土が沈んだ。ざくざくと踏んで歩く。誰が設置したかわからない、野良猫が住み着いている謎の犬小屋を通り過ぎる。もう少し奥へ。ふと右側の生垣に注意を向けた時、私は気が付いた。誰かがいる。
2人、どうやら男と女。
人影は、公園のところどころにおいてあるベンチの上にあった。
気づいた瞬間総毛がたったが、その男女のほうもかなり驚いたらしい。はっきりと息をのむような気配があった。暗いので表情まではよく見えないが、私達は目線をあわせたまま固まった。見えないのに、なぜか目が合っているという感触があった。闇のなかで、私達の視線には影が凝るような質感が生じていた。
ベンチに半分寝ころんでいて帽子をかぶっているのが女性、その上に半分覆いかぶさっているのが男性、のようだ。男性のほうがずいぶんダルッとしたズボンを履いているなと思ったが、それは膝上で生地がたごまっているせいで、黒っぽいコートとズボンの生地の間から太ももか見えていることに気づく。半分ズボンを脱いでいるのだ。
私は察した。
この男女、外でいたそうとしていたのだな、と。

今夜は大晦日、もうあと数十分で新年だ。
近隣の寺は住民への配慮からか、煩悩の数の鐘も鳴らさない。
それをいいことにこのカップル、2019年から2020年を、煩悩のおもむくままに青姦しながらまたごうとしていたらしい。

暗くてよく見えなかったが、着ている服とか雰囲気、何より冬の夜に戸外でいたそうというチャレンジャー精神の持ち主なので、多分若い2人だった。盛り上がりかたの無謀さを鑑みるに大学生くらいかもしれない。
パリピかな、と思った。
最近Youtubeで覚えた、ヤバいT シャツ屋さんというグループのパリピの歌が、脳内BGMとなって一気にめぐる。
(パリピ、パリピ、混ぜてくれ。酒飲めねえし、踊れへんけど)
もっとも賑やかなのは私の脳内だけで、カップルも私も、さっきからお互いに声も出さず、息さえつめてフリーズしている。
数十年生きてきたが、野外でいたそうとしているカップルに出くわしたのは今夜が初めてだし、おそらくカップルのほうも、野外で年越しいたそうとしている時に誰かに見つかるなんて想定外だったと思う。そこは想定しておけよ。そして野外で致すなよ、と思ったが後の祭りだ。もともと寒い夜ではあったが、その日私は、空気が気温以外の理由、気まずさで凍るということを、初めて体感で知った。

その時、パリピの男のほうが動いた。
男のだるっとした足腰まわりのシルエットがゆっくり動く。そろそろと、パリピ男はズボンを履こうとしていた。
(ああ、別にそれはいいな)と思った。何がいいのかはわからなかったけれど、息をとめるような膠着状態が続くのは苦しかったので、この状況で半裸の男子がズボンを履くというポジティブな変化が起きるのはありがたかった。

だがなんということだろう。男は途中で動きをとめた。
さらに、とめたどころか、せっかくあげたズボンをまたゆっくりそろそろと降ろしてしまったのである。

…なんでだよ! と、突っ込む自分と、いやわかる! と納得する自分が、脳内で衝突して火花を散らす。

怖いよね、よくわからない状況で動くのは。異常な場面でもフリーズしている限りは何も起こらないかもしれないものね。ズボンを履くなんてことして状況に変化を起こしたら、そのアクションが波紋をよんでさざ波を起こして大嵐になるかもしれないもんね。
男の日和っぷりを情けねえなとは思えど、気持ちはすごくよくわかる。

ともあれ、状況は再び0地点、振り出しである。空気はまたも膠着してしまった。
だが、曲がりなりにもパリピ男が行動を起こしたなら、順番的に次は自分の番である。
そして私は、遅ればせながら自分が右手に包丁を握っていることを思いだした。

ああ、やたら空気が凍ると思っていたが、原因はコレか。
今さら思い出すなんて、カップルもパニクッていたが、私は私で相当にテンパっていたらしい。
そして悪いことに、私はテンパればテンパるほど真顔に迫力がでて、思考が停止して、言葉が足りなくなるタイプなのである。

暗がりとはいえ、目も慣れてきて私にはカップルの姿かたちが大体見えるので、向こうからも私の装いはだいたい見えるのであろう。
大晦日の夜に、季節外れの白いワンピースに赤と黒のストールをまいて、右手には包丁を握った女。
たぶん今の私はカップルに相当な不審者だと思われている。

とにかく誤解をとかなくてはいけない、そう思った。
何がどう誤解なのか自分でもよくわからなかったが、とにかくこれは誤解なのだ。

「あっ………大丈夫です」

沈黙。

ベンチの上の2人は微動だにしない。

それもそうだ。だって何が大丈夫なのか、自分で言いながら私にもよくわからなかったから。多分言われたカップルはもっとわからなかったに違いない。
夜気は相変わらず、というよりもますます重く凍ってきていて、ガラスの欠片を敷き詰めるような、キシキシと音がしそうな緊張をはらんでいく。端のほうからひび割れていきそうだ。

「ぐううっ」という低い声がした。

動物みたいな唸り声。一瞬犬でもいたかと思ったが、それはカップルの、女の子の方の泣き声だった。喉で自分の声をつぶすような低い音をたてて彼女は泣いていた。
気持ちはわかる。私だって、私みたいのがいきなり夜の公園に現れたら泣く。

大晦日の夜、薄暗い公園で恋人と二人きり。
新しい年を迎えようという時に、たぶんロマンチックな雰囲気になってしまい、若気の至りでそのまま盛り上がろうとしたところに、いきなり白ワンピに包丁をもった女が現れたのである。
まるっきりホラー映画の導入だ。
もしこれが映画だったら、このカップルはオープニングで殺される最初の犠牲者に違いない。だが、キャーとか、シクシクとか、創作における危機的状況でよく見かけるオノマトペとは違う唸るような低い声に、映画とは異なるリアルを感じる。
人間はシクシクとは泣かないんだなあ、と、いつかネタにすべく頭の片隅にメモりながら、ああそうだ、私は今夜死ににきたんだと思い出した。

そうだ、違うんだ、私が殺しにきたのは私であって、あなた達じゃないんだ。

そう思ったし言いたかったが、うまく声がでなかった。私は元来言葉でのコミュニケーションが不得手だ。さらに応用がきかない人種なので、想定外すぎるこのシチュエーションにおける振舞いの最適解が全然わからない。

あまりうまくまわらない頭で、とにかく何か声掛けをしたほうがよい、と考える。

「だっ、だひ、大丈夫だよ…」

噛んだ。一生懸命言ったら噛んだ。
ヒーッと本格的に女の子が泣きだした。

いやだから今大丈夫って言ったじゃん…。

理不尽!

イラッとする気持ちが、小さな火のように頭のなかに点火する。その時急に頭のなかが狭くなった気がした。まるで誰かが頭のなかで拳を握って、私の思考まで握りこんでしまったみたいだった。心臓がひゅっとどこかへ落ちて、芯をくりぬかれた林檎のように体の中がごそっとなくなって軽くなる。頭のなかが三角形になって、その角がとがっていく。

殺そう。

その瞬間まで思いもよらないことだったが、私はその時この場での最適解を見つけた気がした。
緊張して逆立っていた自分の内側が、妙に平坦になる。平坦な気持ちで、あらためて暗がりのカップルを見ると、ベンチの上の2人の恐怖を手に取るような感じがした。その時の私には、それは軽いボールを手にとるくらいのことでしかなかった。右手の包丁がぐっと重たくなる。他人へ向かう包丁の先を自分自身のように感じた。

死ね、死んでしまえ。この幸せな人間が。この包丁の先で2人の心臓に触るのはとてもいいことなんじゃないか。腹をかっさばいて彼らの中身に顔を埋めたら、世界にハマッて安心して安心してもう何の心配もないという安寧に頭からすっぽり埋まれるんじゃないか。私にそういう望みが何もないなら、この地獄に一人でも多く道連れにすることの何が悪い。誰の手も届かないところで苦しんでいる。誰も私のいるところへ来てくれない。私は人間がほしい。酷いことをするから許してほしい。包丁の先になった私を人の腹のなかに沈めたい。愛されるということ。私はこんなにもあなた達が好きだ。

運動靴の下で柔らかい土が沈んだ。
気分があがる。
その時声が聞こえた。

「彼女は関係ないんで…」

細い糸のような声だった。小さくて、かすかに震えて濡れている。蚊の鳴くような声、という形容詞は、多分こういう声を表現するためのものなんだろう。
それでもその細い糸はピンと張っていた。ピンと張られて、ひび割れた夜気が刃物のように尖っているのに弾かれて、意味や意図をもつ言葉というよりも何か、言葉の通じない国の歌のように最初は響いた。

ほとんど点のように狭く鋭くなっていた頭のなかが、その切っ先で2人に向かっていく包丁になっていた自分がゆるむ。

この2人は、
一般的にいうところの馬鹿なカップルだ。
誰が来るかもわからない公園で、うっかりコトに及ぼうとして見つかって。多分ツイッターとかに晒されたら炎上するやつ。思慮の浅いパーリーピーポー。
彼らの馴れ初めや付き合いについて詳しくは知らないが、どうせ結婚どころか来年の今頃付き合っているかどうかさえ怪しい2人だと思う。
そこで泣いているパリピ女は、どう考えてもパリピ男の運命じゃないし、命でもなかった。だけど、

彼女は関係ないんで。

泣きそうな声でそう言うパリピ男は、どうやら女をかばおうとしているのだった。

えーなんで、お前パリピだろ。

パリピという人種への偏見バリバリの心の第一声の後、不意に視界が変わって空が見えた。
明かりの少ない公園から見る夜空には幾つか星が散っていて、大きな星はわかりやすく瞬いている。
その、降るように、でもなければ、まったく見えない、というわけでもない星々の全てが、いつの間にか目なのだった。ある目は瞬きをしながら、ある目はじっとこちらを見つめている。
気づくと私はその目にぐるりと囲まれていた。私が空を飛んだのか、星の目の方が落ちてきたのかはわからない。ただ、その星々の目は全て私を見ていた。見ているだけじゃなく語り掛けているのだとわかってから、私には彼らの言葉がきこえだした。大声じゃないのに厚みのある、みょうに間延びした響きで、なんとなく舌足らずに聞こえる。
私が彼らの声を聞くことが分ると、星星はいっせいにしゃべりだし、その声は幾つもの鐘がいっせいに鳴るようにして重なって響いた。
「にんげんがなにをみるかではなく」
「にんげんいがいのものがなにをみているのかをみることを」
意味ありげだが意味のなさそうな言葉が、寄せてもひかない波のように繰り返される。目に見えず触れられない音声なのに、それは重たい毛布のように私にかぶさってきた。
ああ、もうなんの心配もない。
何故だかそう思った。
波があって、温かくて、なにかが響いていて、自分の体や心の重量を感じない。存在はしているけれど命のない星々と私は同じもの。生まれて初めてのまったき安寧。
「シュールジュール、シュールジュール」
「それが私の名前なの?」
聞こえた声に思わずそう問い返していた。どうしてそれを私の名前だと思ったのかわからない。だけど答えを聞く前に、ガクンと夢の中の階段で足を踏み外すような感覚があって、星々の目は消えていた。
運動靴の下で柔らかい土が沈んでいる。
私は夜の公園にいた。

不意に、ものすごく寒いと思った。さっきまで皮膚の上を滑っていたような「寒い」という知覚が、突然骨まで食い込むような力で私を掴んできた。
寒い。
考えるより先に、炎にふれた指先を引っ込める時のような反射で、私は公園を背にして家を目指していた。
寒い、寒い、その一心で家に帰りつく。
鍵をかけて出なかった玄関のドアをあけ、スリッパに足を突っ込みリビングに直行。
包丁をキッチンのシンクの扉の裏の定位置に戻して、エアコンと灯油ストーブのスイッチをいれた。灯油ストーブの力で部屋はすぐに暖かくなっていくが、芯に食い込んだ寒さはなかなか消えていかない。スリッパに突っ込んだ裸足の足の指が寒さで丸まっている。
だけど体は震えなかったし、心にせまるものも何もなかった。
ただ、少なくとも今夜はもう死ぬことはないだろうと思った。ここにきて、さっきのパリピなカップルのことを思い出す。何も考えず置いてきてしまった。
私はあのパリピなカップルに救われたんだろうか。
そう考えてみたが、救われた感は全然なく、むしろ徒労感の濃い疲れと体の芯に残る寒さで、心も体も水に濡れたみたいに重い。
自分がついさっき行きかけた世界のほうが断然よかったんじゃないかと思った。心も体も命も、無重力のように軽い星の世界。

不意に、まもなく日付と年が変わることを思い出した。途端、道を途中で切り取られたみたいに、私1人が2019年末という行き止まりにぶつかって先へいけないのではないか、という心配が、蕁麻疹のようにメンタルを泡立たせて、息がしづらくなる。

そうだ、電話をかけてみよう。
ふとそう思いついた。
SNSでフォローしている某氏が、自殺しそうな人のために公開している、いつでもかけていい電話番号。

スマホを開いて、ツイッターのアプリをタップする。明るくなった画面にタイムラインが動き出し、2019年の総括と、2020年の目標やら希望やらがズラズラ並ぶパレードの列にメンタルを削られつつ、蜘蛛の糸を雑にたぐるようにして目当ての相手を検索した。
某氏は寝ていた。おせちの仕込みをして早々に寝ていた。某氏のホーム画面のてっぺんには、あかるく爽やかに「おやすみなさい!」と表示されていた。

「寝てるんかーい!」

まだ生きている肉体から久々にでかい声がでて、気づいたらスマホをぶん投げていた。
そのスマホが宙を舞っている間に、たぶん2020年になった。


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