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てれアクト、ふりかえり。

2分の芝居を1日1本、50本書いていく企画。
おかげさまで6月25日に50本目を更新して、目標を達成しました!
最終日の1日前から風邪をひき、記念すべき50日目は打ちあがる元気もないという間の悪いことでしたが、50本更新記念の初ツイキャスもして、自分で自分に買ったホールケーキも食べて、毎日決まった時間にnoteを更新するという時間が中断して、今じわじわと達成感が沁みてきているところです。
最後まで、更新を続けることが大きなプレッシャーや義務、苦にならず、楽しく続けられたことが幸せだったなあと思っています。

今回の企画は、そもそもは私1人の発案ではなく、演劇もバイトも全ての仕事が飛び、給付金関連の情報がまだ少なく、経済が大変なことになりそうだった私の「ひえ~」という声に反応してくれた友人知人とのやり取りのなかから生まれたものです。
稽古も出来ず、劇場も閉まり、多くの俳優スタッフ関係者が仕事を失った演劇界隈。映像配信やZOOM演劇をしようにも手元にはスマホだけ、映像編集のスキルもなければ機材もスタジオもない俳優でも、演じて、配信が出来る芝居の脚本があったらよいのではないか。
私自身が、劇作家で演じることが出来ず、動画編集の技術も機材もなく、色んな人に声をかけて配信のための演劇をつくるパワーのない人間だったので、そのアイデアはとても腑に落ちるものでした。

同時に、「2020年3月以降の人々の生活を書く」ということも、個人的に大切にしてきたコンセプトです。てれアクトの企画名で書いてきた作品は全てフィクションではありますが、私自身や、取材に協力してくれた人々の体験からエッセンスの多くを抽出した作品もあります。
自粛期間中に家で踊ろう、というスローガンが流行していた頃、家にいたら殺されるかもしれない子供達がいたし、父親の葬式のために都内から地方に帰省し参列を拒否された人がいたし、高熱が続いて怖い思いをしながら人に迷惑をかけることが心配でなかなか検査を受けられない人、出産のために帰省したまま自宅に帰れなくなった人、特に変わらない日常をおくる人もいれば、安全な場所で非日常を満喫する人もいました。自分の身近ではありませんでしたが、亡くなられた方も大勢います。
世界中が未曽有の事態に直面している昨今、後の人々が振り返るための公的な記録や、歴史の教科書に載るようなことは、おそらく多くの専門機関が記録することでしょう。ですが、その危機のさなかでも、朝起きてご飯を食べて、仕事に行ったり仕事がなくなったり、家から出られなくなったりしながら生活している1人1人の記録は、意識して掬わなくては、時代や世界の大きな流れのなかで簡単に見えなくなってしまいそうで。目をこらさなくては見えないようで、確かにそこに存在している一つの点のような個人のことを書いて残したいと思いました。

50本達成してみて、自分でも意外だったというか、新鮮だったこともあります。
私はこの、50日連続で新作を更新する、という目標を無事に達成できたら、それは「業績や自信のような何かを得る」「それを成し遂げたという事実が自分のものになる」というように、今までと違う新しい何かを得る、持つという方向と結び付けて考えていました。
でも、いざ50日連続更新を達成してみると、その事実は自分のなかでそれほど重くはなくて、何かを得たというよりも、何かを手放して軽くなったような感覚があります。
それは企画に意味がなかったとか、毎日更新する手間がなくなって楽になったとかではなく、自分のなかに、新しく風の通る道ができたような、穏やかで気持ちがよい感じです。目標を達成するための更新ではなく、毎日色々な話を書くことを思いつめずに自分なりに楽しめたことが、50日連続更新という結果よりも自分のなかに、爽やかな風の吹いた後のように残っています。

私は今でこそだいぶマシですが、元々は固定観念に縛られたり依存しやすいタイプで、さらに世の中には「大人ならば〇〇をもて」とか「一人前の人間なら〇〇できるようになれ」といった資格試験や審査がたくさん用意されているので、年をとるごとに、キャリアを積むごとに、何か目立つものを得なくては、人に見せて恥ずかしくないものを持たなくてはという気持ちと、それを持たないことに焦りや恥を感じる気持ちとに苛まれることが、今も時々あります。他人の用意した試験や審査に合格しようとあくせくすることを馬鹿馬鹿しいと頭では思いつつ、心のどこかには、その基準に頼ろうとする気持ちがまだありました。

今回50本連続更新という目標達成をしてみて、自分のなかのそういう気持ちが、全部とは言いませんが、だいぶ成仏した気がします。
毎日考えて、書いて、人に話を聞いて、整理して、無理はしないけれど自分なりによい力をだせていると思いながら続けていくこと。結果を優先してそこに至るまでの道筋を疎かにしなければ、派手なものを手にしなくても、自分の自由の領域が広がるようなよい気分になれること。自分のなかに、こういう風通しの良い場所、空白を多くしていくことも悪くないことだと実感できたからかもしれません。
そしてそれはやはり、私が自分の体験とか記憶とか想像だけでなしに、他者の体験や記憶をなぞったことが影響していると思います。自分だけで50本書こうとしたら早々に詰んでいたし、楽しくなくなって、とにかく50本書こうという目標だけに躍起になったかもしれないです。仮にそうやって50本書いたとしても、その体験は痩せていたと思います。自分では「そうしよう」と思ってしたことではありませんでしたが、自粛期間中に脚本を書くことを通じて、外の世界に開いたりなかなか会えない人達と繋がっていたことも、私が健やかに更新を続けられた理由だと思います。
あらためて、取材に協力してくれた皆様。脚本を購入したり、演じたりと応援サポートをしてくれた方々。この企画を気にかけて追いかけてくださった全ての人に、感謝します。

またこんな楽しいことをしたいです。

応援・サポート、いつもありがとうございます。 気持や生活、いろいろ助かります。 サポートを頂いた方宛てに、御礼に私の推し名言をメッセージ中です。 これからも応援どうぞよろしくお願いします。